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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
135/163

135.地獄の始まり1

 霧が人を殺す。

 今日死んだ人間は、大凡百八の数だった。

 霧が、人を、殺す。

 突如として死んだ人間を悲しむ人は、百八をずっと超える。

 けど、悲しみは一度死した人間を取り戻すことなどない。死は死だ。どうしようとも決してその事実は覆らない。何をしようと過去の変更は出来ず、その過去に死という結末を迎えたのならば、もはやそれは絶対に覆せない決定事項だ。

 一度死ねば二度と元に戻らない。

 その生は、戻らない。

 死は恐ろしく絶対だ。絶対の孤独だ。死した後何が起こるか、あるいは己という自己全てが消滅してしまうのか。自己という意識が消滅してしまうのなら、それが絶対に訪れるというのは非道く残酷なことだ。

 ――死を畏れるとは、つまりそういうことではないか。




 霧が殺す。人を、殺す。

 そしてその死が突然であればあるほど、人はどれだけ悲しみを強めるか。

 だが、ケープ市を包む死は、突然というだけではない。

 霧が死をもたらす。

 夜になると町全体を覆う霧が、人の命を奪っていく。

 この事実に悲しみの入る余地はあるだろうか。

 他者の死を悲しむ者は、自らに迫る死をも悲しいと思うだろうか。




「町が……変わっている……」


 スティーブはそう呟いた。

 結局ペシェルの部下達の追撃を完全に逃れるまでに時間が掛かってしまった。刑事として働いていた時ですら一日であれだけの人間を昏倒させたことはないというぐらい、今日一日で人を大量に殴っていた。これが本当に刑事のやることかと少しだけ苦く思ったが、追撃を逃れて頭と身体を冷やすと、そこでケープ市の雰囲気が微妙に変化していることに気付く。

 人の流れが何か違う――それこそ刑事の勘だった。刑事として積んできた経験が、どこか違う空気を肌で感じさせる。歩く人々に伝わる異様な緊張感こそまだ色薄く大したことはないが、しかしそういう空気を纏わない人間が存在しないというのは、明らかに異常だった。


「……何が起きた?」


 昨日、アウグストの家に行く直前まで町はこんな空気を発していなかった。

 そこらの人間を掴まえて話を聞こうか、と思ったが、それよりも情報が集まる場所に赴くことにした。夕方にしかやっていない酒場に入り、とりあえず空いていた席に座る。注文は、と尋ねられたのでコーヒーを頼む。本当はアルコールが良いのだが、今はそういうのを飲んでいたい気分じゃなかった。


「客が多いな」


 時間が時間だ、本来ならそろそろ人も捌けて来る頃だろう。それなのに客の数だけ見ればこの店は随分と繁盛していた。


「悲しいんでしょうな」

「悲しい?」


 肥えた主人の呟きに、スティーブは聞き返す。


「ええ、そりゃぁ周りの人が死んだら悲しくなります。特に昨晩は、不思議なことに沢山の人が死んだようですので。……季節の変わり目、ですかねぇ。運が良かったことに我が家では誰も死んでいないので、こうして店を開けていますよ」

「死んだ?」


 一晩で人が大量に死んだ?


(……死神? いや、違うか)


 突然死を望む人間がそれだけ現れたというのは、少々考えが飛んでいる。そもそも死んだというだけで死神に結びつけるのは早計だった。

 ――死が重なったのはただの偶然だろうか。


「沢山というが、どのぐらい死んだか知ってるのか?」

「さぁ、噂によると百を超えるとかなんとか……新聞に載ってたんですが、その記事見たら驚きより『ああ、やっぱり』って気分ですよ。今朝から葬式が耐えなくて仕方ない。あれじゃ教会もパンク寸前だ」

「百を超える……」


 さすがに偶然とは考えられなかった。

 ――我が家では誰も死んでいない、と主人は語ったのだ。つまり、誰の家だろうと死者が出ている可能性がある。もはや大規模な無差別殺人だ。

 新種の疫病か、あるいは特殊な薬でも撒かれたか。


(いくら緊迫状態であろうと、隣国がこんな手を使ってくるわけないだろう。確かにここは国の中心から遠い町だが――)


 この地域は国で言えば外周部だ。いざ戦争となったら戦場と化す可能性もあるが。


(違う。そういう類のものではない)


 明確な根拠はまるでないが、スティーブは断定した。

 とにかく町の住民が変貌した理由は判明した。突然の家族の死とその数に悲しみや恐怖を感じ取っていたのだ。一人二人ならその身内だけで収まる感情が、今や町のそこここで起こっている。これらはそこで留まる筈の波紋に共感し、瞬く間にケープ市を覆っていたのだ。


「そういや行政官府も大変だったようですよ。いきなりこんなことになっちまいやがって、大混乱が起きているようで」


 はぁ、と店主は溜息を吐く。この店主も他人事のように語るが、内心穏やかではないのだろう。


「お客さん、コーヒー一杯でいいのかい?」

「ああ」


 スティーブは小銭を差し出しながら、


「そろそろ霧が覆ってくるから、行くとしよう」

「それがいい。早めに帰ってしまうのが一番良いでしょうよ。知り合いの雑貨屋の嫁さんも亡くなったっつーし、どうにも今日は不幸が続く」

「ああ」


 その死者の数がそれだけで済めば、深い悲しみこそ刻まれるがこれ以上心配することはないだろう。


「これ以上不幸は続いて欲しくないものだな」


 スティーブは立ち上がって、そう言い残す。

 ――だが、これで済むとは全く思えなかった。


(アウグスト……何か知っているのか)


 もしこれが死神の起こしている現象だとするなら、心当たりが一つだけあった。

 拳を強く握ってスティーブは店を出た。


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