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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
132/163

132.疑いの始まり2

 今日もまたベルンホルト・ベック先生のところへ勉強を励みに行くつもりで、黒髪の長い少女が彼の家に尋ねてきた。

 先生と仰ぐ彼の家はケープ市から少しだけ離れたところにある。そんな場所でも足繁く通うのは、彼女が――メイはケープ市で学校に通えるような身分ではないからだ。学校は全ての人間に開かれているというが、実際のところそれなりの身分、稼ぎがなければ到底通うことが出来ないのも現実であり、メイは本来学問に触れる機会がないとされる子供だった。

 そういう子供はメイだけではない。あのケープ市には割と多くの子供がそうだった。それでもまだ他に比べてケープ市は少ない方だと言われるのだから、あそこ以外の町はどれだけ貧困の差が酷いのだろうかと思いを巡らせた時、メイはふと悲しくなる。

 全く知らない異邦の地にいる子供達を想像して胸を痛めるような子だった。性根から優しく、素直で、ベルンホルト・ベックの言いつけをよく守ってきた。

 それでも、いや、それだからこそここで学んで自分はまともに生きなければならないと決意している。色々と知り、学び、そしてそういう子供達の力になることをメイは夢見ている。


「せんせーい!」


 ドンドンと扉を叩いて呼ぶ。それからしばし待つとベックが無表情を保ちながら、しかしどこか嬉しそうに開くのだ。その時よく別の子供達が先に家の中にいて、一緒に笑いながら勉強を受ける。どの子供もベックの勉強が楽しく、自分に知識が蓄えられているのに喜びを覚えていた。

 それはベルンホルト・ベック――アウグストの手腕によるところも大きかった。ベックは実に子供達の勉強を丁寧に見て、教え、分からないところは出来る限り伝わるように拘って教えていた。子供達の性格を逐一把握し、それぞれに合った内容で教えていく。その凄さを実感している子供は一人も居なかったが、彼の慕われようからその効果は見事に実証されていたといってもいいだろう。

 メイはドアの前でトントンと爪先で地面を叩く。


「先生?」


 しかし、今日は遅い。

 いつもはここまで待たせないというのに。


「……うん?」


 どこか不安になってきた。

 窓越しに覗き込もうとして裏に回る。

 家の周辺は静かで、もちろんここへ通う人は自分を入れた子供以外は滅多にいない。

 だからこの静けさはごく当然のことだった。

 でもここでベックが出て来ないなんてことは初めてのことだった。普段ならもっと早く来る彼が、どうしてこうも遅いのか。


「誰もいないの?」


 メイはそっと裏手のドアを開くと、鍵もかかっておらず、音を立てながら家の中が顕わになる。

 恐ろしいぐらい人の気配が無かった。


「先生、いないの……?」


 家の中に入り、まずは先生の部屋へと向かう。主人のいない家の中へ勝手に入るのは気が引けたが、それでも半分は勝手知ったる家だ。普段からみんなで授業を受けているベックの書斎に入ると、やはりそこに居るはずの先生の姿は存在しない。

 今この家には誰もいなかった。


 ――いいさ、いつでも来なさい。私はこの家にいつでもいるから――


 そう語ってくれたのは他でもないベルンホルト・ベック本人だ。その言葉を実現するかのように、ベックの家へと行くと常に彼はここにいた。本当にずっと家の中で引きこもっていた訳ではないだろうが、彼はまるで子供達の行動を見透かしたように尋ねると必ず家にいた。

 いつでも必ずベックはここにいる。ここに来ればベックが勉強を教えてくれる。社会を教えてくれる。――生き方を教えてくれる。

 それは親も兄弟も信用できない子供達にとって、信用できる絶対の真理に近いものがあった。

 しかし今はこの家に誰もいない。

 物音を立てるのは来訪者であるメイだけだ。彼女の足音だけは別で、主人の居場所を守る沈黙を破り続けていた。そこに罪悪感を覚えたメイは引き返そうと思ったが、しかし身体を反転させたところで、一冊の本が書棚から落ちたので出ていくタイミングを失ってしまう。


「な、なに?」


 それは薄いノートだった。床に落ちて中央辺りのページが開いている。


「……なに、これ?」


 細かい文字が書かれている。子供達の中でも年長者であるメイはそれだけベックの授業を長く受けていて、この国の文字は一通り読める程になっている。道端に落ちている新聞とその内容なら十分理解できる。

 だからこそメイはその本が読めてしまった。


「なんだろう……これ。誰が書いたんだろう」


 だからこそメイはそれが『ベルンホルト・ベック』本人が書いたものだと認識出来ず、謎の人物が書いたノートで何故かベックが持っていたのだと勘違いした。

 しかし冷静になれば、メイがこの家の誰もいない空気に呑まれていなければ、ベックが書いたものだとすぐに気付いた筈だ。


「悪魔を作る方法? 悪魔って……何?」


 悪魔とは人間を誑かし罠に陥らせる者達のことだ。ベックが貸してくれた小説にはそう書かれていたのをメイは覚えている。


「悪魔って作れるの?」


 そんなものを作る方法など、少なくともベックの貸してくれた本には書かれていない。ましてや授業で教わることもなかった。


「神様はなんとかなるのに?」


 メイは首を傾げる。

 神は人間の祈りで降臨するが、悪魔は人間が作り出すというのか。

 ――よく解らない。

 神と悪魔。悪魔と神。メイの中でそれらは相反するものだ。人はより神に縋り、悪魔を敬遠する。メイ自身がそこまで考えたわけではないが、それでも人が悪魔を造り出すなんていうのは正直信じがたい話だった。

 しかしノートはあくまでノートであり、小説ではない。内容の書き方も小説の三人称や一人称ではなく、あくまで何かの実験を纏めたレポートのような書き方だった。読み手を楽しませる文章など一行だってありはしない。


「えっと、悪魔っていうのは……なにこれ?」


 悪魔の作り方とは、つまり人間の欲望を叶えるだけでいいという結論が書かれている。人間を誑かすのが悪魔なら、甘美な果物を餌に魂を喰らうことぐらいするだろう。

 そうメイは解釈しようとしたが、その先を読んでそうではないと思い知る。

 悪魔とは、人間を生かす存在だと、書かれていた。


「……なんで?」


 意味が分からない。悪魔が人間を生かす? それなら悪魔とは何だ? 悪い魔は人間を喰らう、つまり人を殺す存在だろうに、どうして生かすのか。


「悪魔ってなに?」


 神と対極に居る、憎むべき存在。

 このケープ市には神を崇拝する人達が溢れている。メイも下層の人間ではあるがケープ市に暮らす者として、もちろん神を崇拝する心を持っている。


「……悪魔が人を生かすなら、神様はなに?」


 神は人を生かすとはこの本に書かれていない。神に触れてもいなかった。これは悪魔を作る為の本で、神を作る為の本ではない。

 そこまで考えたメイは、途端に手に持つ本が異様な重さへと変貌したような気がして、思わず手放してしまう。

 その時、外から誰かが近寄ってくる気配を感じた。その足音を荒々しく草を踏みしめてこの家へと近付いてくる。


「あっ……」


 メイはその本を拾ってすぐさま部屋を出た。

 あの足音は大人のものだ。

 自分と同じ子供達や、ましてやベックのものではない。

 嫌な予感が芽生えて、メイは裏口から外へ出て逃げようと判断する。以前にもベックはメイの事を「頭の良い子だ」と褒めていたが、実際この機転の速さと行動の素早さは驚嘆に値するものだったろう。


「はぁっ……」


 この家には誰もいない。そう思わせなければならないのだから、足音一つ立てずに裏口から出て行こうとする。

 ドアを開こうとしたら、その音は鈍く響く音を、無情にも大きく奏でた。――メイは青ざめ、つい振り返る。しかし今ベックの書斎から歩いてきた廊下を振り返っても、そこには誰もいない。

 ひとまず安堵して廊下から外へと視線を戻す。

 そこでメイは言葉を失った。


「お嬢ちゃん、どこに行こうとしているのかな?」


 男が一人、そこにいた。

 全く見覚えのない男が、ニタニタと笑いながら、メイとメイの持つ本を見下ろしていた。


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