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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
128/163

128.憎しみの始まり4


 例えばその少年は週一回のジュースが好きだった。特に林檎のジュースはとても楽しみにしていた。


 施設の中で閉じ込められたままでも、どれだけ身体と脳を弄られる実験をさせられても、その地獄の中で楽しみを見つけることが自分の特技だとよく語っていた。

 そんな明るい彼に周囲の子供達も時々笑顔を取り戻す。遠く儚く手の届かない幸せがまるで傍にあるかのように語り、常に笑顔を絶やさずみんなを元気づけていた。一番上のアインズがややぶっきらぼうだったことを考えると、まさに彼こそが子供達のリーダーとして動いていたのだろう。四角く白い部屋の中には七人の子供と、それぞれに与えられた玩具、そして片付けもしない布団のみだ。それ以上の余分なものは一切無く、時計すら存在していなかった。外界の景色も遮断され、天井には声を通す管と到底背の届きそうにない位置に小窓がある。その窓が一度でも開いた形跡は無かった。


 完全に世界とは隔絶された四角く白い部屋。


 七人の子供達にとって狭くも広い部屋が世界に等しく、実際に部屋から移動することを許されなかった。それでも決して運動不足にならず、そういった体調面や精神面は徹底的に管理されていた。

 彼らは皆、人間社会という自然の中で生きているのではなく、カゴのなかで飼育された子供達だ。

 その中で、その小さな世界の中心でその子供は笑顔を失わなかった。上と下の子供達の面倒をよく見た少年は、やがて一番下の女の子と会話する機会を得る。

 一番下の子は少年のように笑顔を作っていたが、彼だけはその顔が作り物だと看破していた。だから面倒こそ見たが積極的に話しかけようとはしなかった。

 しかし、この地獄の生活の中で、ただ純真無垢でありながら仮面を貼り付けていた少女の周囲にある空気も徐々に変化していった。

 決して良くはない。むしろこの世界を構成する部屋の中を押し潰すような、得体の知れぬ空気だ。その小さな少女からそのような恐るべき圧迫感が生み出されることがそもそも異常なのだが、この部屋にいる子供達は自分達以外に比較する対象がいなかった。

 だからこそ少年は意を決して少女に話しかけることとなる。その少女に話しかける子供は六番目の子供以外にほとんど見かけなかったので、その時相当目立っただろう。自分に向けられる幾つかの視線を無視して七番目の子供に近付く。咄嗟に前へ出てきたゼクスを説得し、少女に声を掛けた。


 何があったか。


 その一言は少女にどのような変化をもたらしたのか。仮面を被っていた少女は一瞬だけその仮面を脱ぎ、下に隠れた無表情を垣間見せた。

 そして、彼女はこう言うのだ。


 世界は、いつ救われるの?


 その時その少年はそれを聞いて何を想像したのか。世界とは『どこから』『どこまで』の範囲をさしていたのか。

 誰にも気付かれず。誰にも分からず。しかし少女は理解されないと知りながらも、同じ部屋にいる少年に対し、そう喋った。

 少年はその言葉をどのように受け止めたのか。

 リーダーを気取っていた彼を横目で眺めていたツヴァイは、そのくだらなさに唾を吐いた記憶があった。


 ――ホマーシュは朱に染まったかつての豪邸の中心で、ふと過去のことを思い出し、それを冷静になって分析していた。その脳はほぼ自動的に状況分析を行ってしまう。かつての忌々しい実験の結果でもあった。

 自分の一つ下の男の子が実質的リーダーだった。ただし、彼は『あの日』のあの時になって簡単に命を落としている。

 結局リーダーを気取っていても死んでしまっては意味がない。どれだけ自分では子供をまとめていると気取っていたところで、いざというときに力を発揮できないリーダーは無意味なのだ。

 だからホマーシュは誰とも組むことなく一人で決定し、一人で行動してきた。巨大な組織に身を置くこととなっても、常に自分の中に定めた信念だけは揺るがず、どんな任務だろうと必ず一人で達成してきた。それを一度でも辛いと感じたことはないし、逆に楽しいと思うこともなかった。何かをこなす事に対する感情は極端なまでに欠落していたが、それ以外では仄かに感情を燻らせていた。

 燻った煙の奥でさらに燻る火は、今やどれだけ燃え盛ったのだろうか。そしてその火はこのケープ市で瞬間的に業火となって爆発する時もあった。


「そもそも、僕の中に復讐という感情が無ければ動くわけもない。はは、傑作だ。任務の時はあれだけ感情をなくせるのに、今はどうだろうか。何が計算通りに動くだ。何が全てを計算する脳味噌だ。はは、見ろよこれ」


 ぶん、と片手で大きな剣を振るう。すると刀身から散った赤い液体が白い壁をベットリと同じ色に染めた。

 神父の姿をした男の笑い声を聞く者はここにいない。

 少し前まではその声を聞いて不気味に思う人間が何人もいただろう。


「さぁ、僕はどうしたらいい。僕は」


 計算して今まで行動してきた結果が、間違った答えだった場合の修正方法とは如何なるものだっただろうか。自分は計算こそすれ徹底的に答えを求めるような性格でも、そういう脳の作りでもない。時に得意の計算は間違えてしまうこともある。

 何も間違えないなんてことは、それこそあり得ない。

 だが、それでもホマーシュは今回の間違いを受け入れるまでに時間を要してしまった。


「どうすればいい、僕は」


 実際、今でも受け入れられていないのだ。

 こうして過去を振り返ったということは、一種の現実逃避に過ぎない。こうして感情を爆発させて後先考えずに行動したこともまた現実逃避なのだろう。

 この屋敷には本当の聖女が上階で穏やかな眠りに就いている。薄汚れてしまった神父に彼女は眩しすぎて、傷一つ付けることは出来なかった。殺そうとした筈の少女を、死後、陵辱することを躊躇ってしまったのだ。その眠りは永劫のものであり、人々が信じる神の下へ召されたのだろうと、自然、信じてしまう輝きがあった。

 ――最も残酷な殺し方とは違う、最も幸せな死に方。


「……神よ。それが、貴方の答えだというのか」


 人間の殺し方は酷く汚い。

 毎日召使いに命令し綺麗に掃除してあったというのに、今はどうしてこれだけ赤く染まっているのだろうか。ああ、なんて汚い部屋なのだろう。


「……僕は知っている筈だ。この世の中は死で埋め尽くされていることを」


 部屋の中に散らばる死体は、大凡五を数える。つい先程まで他人の家で騒いでいた腕利きだという連中も、いざ不意を突けばほんの一瞬で全滅させることができた。


「そうだ、こいつらは死んだ。僕が死を運んだんだ」


 今まで殺せなかった相手など、それこそ居なかった。


「……あいつは、いや、『あいつらは』僕から人殺しの権利を奪ったんだ……そうだ、あそこに残っていた状況証拠は……いたんだ。彼女と他に、まだ」


 もう一人、彼女とは別の人物がいた。おそらくはその人物が重傷だった少年を引き摺ってあの部屋を脱出したのだろう。

 ホマーシュがどれだけ取り繕ってもアンジェラは心を開かなかった。もしやその人物がいたからだろうか。

 だとしたら、今回の権利を奪った本当の人物は彼女ではなくその人物ということになるのか。

 ……彼女は誰と一緒にいるのだろうか。


(……そうだ、彼女は、彼女は……!)


 ――だからこそ少年は意を決して少女に話しかけることとなる。その少女に話しかける子供は六番目の子供以外にほとんど見かけなかったので、その時相当目立っただろう。自分に向けられる幾つかの視線を無視して七番目の子供に近付く。咄嗟に前へ出てきたゼクスを説得し、少女に声を掛けた――


「ハンス・ハルトヴィッツ……!」


 彼女と常に行動を共にしている人物など、記憶を引っ繰り返せば簡単に分かることだった。

 六番目の子供こそ、本当に危険な人物だったのだ。

 その結論に辿り着くのと外から騒がしい気配を感じたのはほぼ同じだった。


「誰だ……警察か?」


 もしそうなら非常に不味い。この状況ではどうやっても誤魔化しは効かないだろうし、組織だった連中から逃れるのはそれなりに骨が折れる。


「……皆殺しは」


 さすがに馬鹿らしいと思った。相手は何人いると思っている。一斉に拳銃を向けられでもしたらさすがのホマーシュといえど対処しきれない。どれだけ鍛えていようが、所詮人間の肉体に過ぎないのだから、銃弾を一発でも受けようものなら即死する可能性だってあり得るのだ。

 物陰に身を潜めながらこっそりと窓から様子を覗う。迂闊に顔を出すわけにもいかないので、はっきりとした状況こそ理解できなかったが。


「警察ではないな」


 カモフラージュか警察の恰好こそしている連中もいるが、恐らく全ての人間が警察と無関係だろう。

 とにかくここにいるのは危険だ。ホマーシュは剣を握り窓から外へ出ようとしたが、突然屋敷を覆うような怒声が響く。その声が自分の名前を連呼しているものだから、思わず手と足が止まってしまった。


「ホマァァーシュ! 君達はとんでもないことをしてしまったようだ!」

「……右腕か?」


 覚えのある声だった。


「君と話をしたいのだが、出てきてくれないか?」


 少しだけ考える。右腕とは協力関係にあるが、ここで出て行っていいのかどうか判断に迷う。


「出て来ないのならば、今から一斉に屋敷へ突撃する。窓という窓、ドアというドアからだ! 逃げ場はない!」


 ――なら、逃げ道など存在しない。


「いいでしょう」


 ホマーシュはそう声を上げて、真正面の扉をゆっくりと開いていった。


「素直に出てくれるとは、さすがはホマーシュさんだ。これで話もしやすいというものだ」

「その割には」


 ホマーシュは周囲を一瞥する。ざっと人数を数え、どういう配置かを覚え、自分の優位性を計算する。


「随分と殺気立っているようですね」

「当然だ。君等施設の子供達はやってはならんことをやってしまった。アウグストですら辿り着いていない暗闇の真相という蓋を開いてしまったのだ。君達が一人でも欠けていれば、あるいはこんなことなど起きなかった!」

「何の話かさっぱりわかりませんね。それで、つまるところ何をしたいのですか?」

「ホマーシュ、君を殺したい」

「これはまたはっきりと物を言う方ですね。嫌いではありません」

「君と組んだのは実に失敗だったと後悔しているよ。やはり実験で結果を出している人間は始末しておくべきだったんだ」


 ペシェルは肩をすくめる。


「なまじ神を知っているだろうと、そこから話を聞き出すのは良くないことだったなぁ」


 そもそもペシェルと手を組みたいと申し出たのはホマーシュの方からだ。自分の知っている限りのことをペシェルに話すのを条件に、彼らの手を借りたのだ。

 もっともペシェルの部下は屋敷の中で物言わぬ屍と化している。中の状態を知られた上で助けを懇願しても全く意味はないだろう。


「やれ」


 その言葉を聞いて、ホマーシュは不思議と微笑む。殺されることをまるで意に介していないとでもいう風に。


「やれると思うのですか、僕を?」

「……所詮一人だろう」

「いいえ、言い換えましょうか。僕以外に他の子供達を殺せると思うのですか?」

「……」


 手を下ろそうとしていた右腕――ペシェルが固まる。


「つい先程アインズを逃がしたこと、知っていると?」

「いえ、別に。ただ彼は優秀な人間です。そんな雑兵を送り込んだところで無駄だとわかりきっていました」

「まるで見てきたような言い方を……」

「ですが、僕なら殺せます。確実に」

「……取引のつもりか?」

「いいえ、僕が殺したいからです。それが取引というのなら、あるいはそうでしょう。それでいいというのならね」

「なるほど。……取引、か」


 ペシェルは迫力のある目でホマーシュを睨む。それを涼しげに笑いながらホマーシュは受け流した。


「――いいだろう。なら、二人を必ず殺せ。これ以上何かが起こる前に、我々が予想もしなかった恐るべき事態が起こる前に、殺せ」


 明らかに信用していない目だったが、ペシェルがスティーブを逃がしたというのは本当なのだろう。

 そして一度人混みに紛れてしまえば早々尻尾を出すこともないということでさえ、ペシェルは実感したのかもしれない。そうじゃなければホマーシュの申し出を受け入れることなどしなかっただろう。それだけペシェルが二人の『施設の子供』を殺したがっている証左に他ならなかった。


「いいでしょう」


 そしてホマーシュは返事をする。

 それは確実に二人を殺すという意志を込めた返事だった。


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