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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
127/163

127.憎しみの始まり3

 ――今日は一体どれだけ忙しくなるんだ。

 アンドレアフは悪態を吐きながらも、事態の把握に努めるべく若い記者に指示を出しながら、自らも外へと出る準備を進めていた。

 今朝、社内の椅子で気持ちよく寝ていたところを課長が飛び込んできて目が覚めたら、余りにも必死になって顔を歪めている上司に眠気が一気に吹き飛んでしまった。

 一体何があったのかと事情を聞けば、説明が下手すぎて状況がサッパリ分からない。とりあえずとコーヒーを勧めて気持ちを落ち着かせ、順に話を聞いていくと、今度はアンドレアフの顔が驚きで歪んでいった。

 ケープ市に住んで一体何年になるか、と言われれば、アンドレアフは生まれた時からここに住んでいた。その決して短くはない人生を振り返ってみたところで、課長が持ち込んだ速報のような事態は今まで起こった事がない。もし本当にそんな事態が起こっているのだとすれば失礼かもしれないが大スクープに他ならなかった。

 だから今はどんな記事を捨て置いてでもその事件について調べなければならない。


(一晩で……)


 アンドレアフは考える。あらゆる可能性を考慮して、本当にそんなことが起こり得るのか、その結論をいくつも導き出していこうとする。あくまで仮定に過ぎず、どれもが真実と離れているかもしれないが、今回ばかりはあらゆる可能性を事前に探る必要があった。


(たった一晩で、人間が百人以上死ぬか?)


 昨晩アンドレアフが霧を嫌ってしっかりと社内のドアや窓を閉め切り、夜中まで働いた後にそのまま寝ていた間に、老若男女場所問わず、今判明しているだけでも合計で百人もの人間が突然死亡したとあった。

 どれもこれも外傷は見当たらず、まさに自然死とばかりのものだったらしい。苦しむ様子もないというが、そうなると殺人鬼がケープ市に現れたという小説のような展開は無いだろうとアンドレアフは考える。


(だとしたら……疫病。するってぇと不味いな)


 もしこのケープ市で未知の病原菌が発生し一晩で百人も殺したというのなら、もちろんその危険性もさることながら、アンドレアフは記者らしくこの件に報道規制が掛かることを畏れた。政府から直に規制を受ければ、いくら何でも逆らうことは出来ない。特にこの国は最近莉隣接する国々とあまり良い関係を築けていないので、割と緊張状態が続けている。そんな中で政府に逆らうような新聞社などいつ潰されてもおかしくはなかった。報道の自由とはあくまで表向きの顔であり、いざとなれば掌を引っ繰り返させることなどざらにある。


「いいかてめぇら、今の内に情報集めるだけ集めてこい! やっちまったもん勝ちなんだからなぁ!」


 だったらその前に新聞記事で流してやる。

 本当に今日は忙しくなりそうだった。


 ――その時、ドアが開く。


 外に出ていた記者が戻ってきたのかと思いきや、アンドレアフは首を傾げる。少なくとも彼には見覚えの無い老人が無言で社内に入ってきたからだ。いくらアンドレアフといえど社員の顔はほぼ覚えているので、今入ってきた老人が部外者だということぐらい分かる。

 しかし追い出すのは自分ではない。誰かが追い出すだろうと思って放置していたのだが。


「スティーブという刑事を、知っているか?」


 呟かれた言葉に、アンドレアフは再び意識を老人へと向けた。


「誰か、ここでその名の刑事を知っている者はいないか?」

「……あんた、スティーブを知ってるのかい?」


 太った身体を真っ直ぐに伸ばして、アンドレアフはくわえていた煙草の火を消した。

 その名はある時を境にして忽然と行方不明となっている刑事と同じだったからだ。




「……ん」


 目を覚ます。

 陽射しによって目を覚ましたが、不意に襲い来る不安が眠気の残滓を一気に吹き飛ばした。

 身体を起こしてすぐに周囲を見回し、窓にその人影を発見してハンスは止めていた息を大きく吐いた。何よりも彼女がそこにいる安心感が心に充たされていった。


「おはようございます」


 彼女――テースが挨拶をしてくる。今ここにはハンスとテースしかいない為か、彼女は自分に対してにこりとも笑おうとしない。あの笑顔が見られないのは寂しい気持ちもあるが、生来彼女はあまり表情を変えるタイプではないのだろう。

 つまりハンスにだけは本当の自分を見せているということになる。

 その意味をハンスはまだ掴みかねているが、それだけでもテースに近付いているという気がして、彼女に笑えと言うことすら出来やしなかった。


「おはよう」


 立ち上がってテースに近付く。

 テースはハンスが近くまで来ると、目を逸らして窓の外に視線を向ける。


「窓を少し開くと、温い風が流れ込んできます」

「え?」

「その風は温くて、冷たくも、暖かくもなく、中途半端です。故に私はあまり好かないのかもしれません」

「気持ち悪いってことか?」

「気持ち悪い? ……ええ、そうかもしれません。誰も癒すことすらない風は、いっそ害悪です。今の私のように、良くないのです」

「あまり自分を悪く言うなよ」

「ですが」

「俺が救いたいのはテース、あんたなんだ。俺の隣で自分を悪く言い続けたら、その分俺が気分を害するだろ?」

「……ごめんなさい」

「あ、あー」


 ハンスは頭を強く掻く。


「くっそー、こういう湿っぽい空気が嫌なんだ。テース!」


 ハンスは思い切ってテースの両肩を叩く。


「な、なんですか?」


 さすがのテースも驚いた様で、きょとんとした目をハンスに向けていた。そんな顔も出来たことに嬉しくなって、ハンスは強く笑顔を作る。


「俺が馬鹿話をしてやる! もうほんとーにくだらなくてどうしようもなくて、返事に困るぐらいのな! よく学校でオットーと馬鹿話してたから、いくらでもそういう話のストックはあるんだ!」

「え、ええ?」

「いいか、もう笑えるか笑えないかよく解らないぐらいひどい話ばかりだぞ。覚悟しろよテース?」

「か、覚悟ですか。それは大変ですね」

「そう、大変だ」


 根は真面目だろうテースはハンスの心を読み取ることも忘れて真剣な表情をする。しっかり聞く姿勢が出来ているようで、ハンスもどことなく気合いが入ってきた。

 これでテースの心が少しでも晴れるなら安いものだと、オットーと盛り上がった話を思い出し、まずは軽い牽制からだと話そうとしたところで。


「ごはんできたよー」


 ドアを開けてアンナが入ってきた。


「うぐっ……」


 今まさに話そうとしたところで止められる。


「どうしたの、おにいちゃん?」

「い、いや、なんでもない……それよりも今日の朝食は?」

「パンにジャム。あとはコーヒー」

「フォルカーさんもメニュー変わらないなぁ」

「そう言うと思って、あたしサラダ作ったの! 朝ご飯はあたしが用意したんだよ!」

「え、アンナが?」


 テースが「まぁ」と言いながらそう問い返す。


「そうだよー」

「凄いですね。それは楽しみです」


 微笑みながらテースは早く来てと急かすアンナの後を着いていく。誰か第三者が入り込むとテースは普段の顔を取り戻し、真実を巧妙なまでに隠してしまうのだ。その完璧さには心理学者といえど騙しきってしまうんじゃないかとさえハンスは思う。

 二人が向かった先へ同じく向かうと、そこにはエプロンをしたフォルカーが「起きたかい、遅かったねぇ」と声を掛けてきた。


「おはようございます。朝食を作ったのはアンナだっていうけど、どうしてエプロンしてんですか?」

「うぐっ、手伝ったっていいだろう。アンナちゃんはまだ子供なんだから、大人が面倒見ないといかんだろう」

「アンナはひとりでも出来るモン!」


 咄嗟に抗議するアンナを適当にあしらいながら、フォルカーは食器を並べていった。


「そんなことよりハンス君、疲れはとれたかい?」

「大丈夫です。久しぶりにゆっくり寝ましたから」


 気付いてみると、普段からは考えられないぐらい太陽が高い位置に昇っての起床だった。眠っている間にテースが消えてしまうかもしれないという恐怖もあったのだが、それでも疲れが上回っていたのだろう、本当に身体が軽くなるぐらいに眠ってしまっていたのだ。

 パンを噛むと、口の中に触感が広がっていく。


「……ああ」


 そうか、と呟く。同じように食べるフォルカーやアンナ、そしてテースを見回して、今の自分がこの場にいることをようやく実感した。

 ――食事とは、味のあるもんだったんだな。



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