126.憎しみの始まり2
「ここまで聞いて、スティーブ、君はどうするつもりだ」
「まだ謎は全部解けてはいない。お前の実験の大まかなところは理解したが、しかし正直想像の範囲内だ。まだ何か隠していないか?」
「……」
アウグストはそこでようやく黙り込んだ。今まで流暢に語っていた舌は口の奥に引っ込み、そっと目を閉じていた。
余計なことは語るつもりはないとでも言いたげであり、スティーブはしばらく様子を見るべく近くの椅子に腰を下ろした。
「話すつもりはないのか」
しかしアウグストは応えない。不気味なまでに黙ってしまった。
「それでも構わないが、無理矢理吐かせる方法を知らないわけじゃない」
刑事として取り調べをしていた時も暴力で相手に吐かせる方法を選んできた覚えはないが、知識としては身につけている。やろうと思えば忠実に知識通りのことは再現可能だという自信もあった。
「……君にはできんよ。真実、答え、それらを追い掛けるアインズに、拷問はできん」
「よくそう断言するな。俺がそういうことを出来んと思っているのか?」
言葉で煽ってみるが、アウグストはまるで気にしてないという様子で肩をすくめる。
「そういうことが出来るような人間なら、今ここでこんな話をしとらんよ。命なんぞ惜しくもないが、もう少し長生きせんといかんのでな」
「子供か」
ここへ来る前にアウグストのことはある程度調べてあった。今どのように生活をしているか、彼の交友関係はどうなっているか、一通り調べたつもりだが、それでも表面上を撫でただけだろう。
だが、とスティーブは思うところがある。
今のこの男はどうして子供達に勉強を教えているのだろうということだ。
(罪滅ぼしのつもりか。いや……)
そうだとしても今更子供に関わるだろうか。過去のこともあり、スティーブはアウグストに何か下心があるのではと疑っている。実際、こうして過去のことを話す彼の姿は心なしか若返っているように思えたのだ。つまり軽い興奮状態だったのだろう。
――まだ過去の実験に対する未練が棄てられないのだ。心の中で燻っており、神を作ったといってもそれはアウグストが真に望んでいた結果ではなく、あの実験を真に成功させることを今でも夢見ている。その夢が、どうしても隠せないでいるのだ。
相手がスティーブでなければその望んでも届かない実験の夢を仮面の下に隠せていたかもしれないが、仮面を付けて話す連中の相手に渡り合うことを幾度となくこなしてきたスティーブの前では無意味だった。
「今度はあの子達をどうするつもりなんだ?」
「あの子達?」
「この家で子供に勉強を教えているだろう。お前は、あの子達をどうするつもりなんだ?」
「何もしやせんよ。ただ、学問を教えているだけだ」
「本当にそれだけか?」
必ずその腹の裏には何かが隠れているはずだと、スティーブは目を細める。相手が語る気がないのなら、その顔、目、指先の動き一本ですら見過ごすわけにはいかない。どこに本当の答えが隠れているかわからないからだ。
「――本当だ。ただ、教えているだけだ」
アウグストは窓の外を見る。外は朝日が昇り、十分に明るくなっていた。
つられてスティーブもそちらに目を遣り。
「……しゃがめ!」
アウグストの頭を掴んで無理矢理押しつけた。
「な、なんだ?」
「囲まれている!」
窓の外に見えた僅かな人影。たった一人ならそのまま無視もしたかもしれないが、そこに複数の影を発見し、その動きがまるでこちらを警戒しているような、あるいは見張っているような動きだと瞬時に判断した。
――窓から見えただけでも三人ほどの男だ。
この家は囲まれている、そう判断するに足る数だ。そうなると一体奴らの狙いは何か。そもそもどういった集団がここを取り囲んでいるのか。
(右腕の奴か?)
以前、そう名乗る男がスティーブを拘束した。その時はハンスの働きによって脱出出来たのだが、まさかまた自分を捕らえようとしているのだろうか。
(十分あり得る、か)
しかもここはアウグストの家だ。もしかしたら目の前の老人ごと捕獲するつもりなのかもしれなかった。
(どうやって逃げる? 銃は持っていないが……)
相手の数が把握できない。しかもここはやや郊外にある、周囲が森に囲まれた場所だ。助けも呼べない。
「……右腕か」
奇しくもアウグストはスティーブと同じ答えに辿り着いていたようだった。
「逃げられるのか?」
「アンタは危険なのかい?」
苦笑しながらスティーブは嫌味ったらしく言う。あの右腕と名乗る男が言った通り実験に関わっていたのだとしたら、当然アウグストとも面識があるはずだ。
「この私と奴が関わりあるとでも思っていたか?」
「当然あるだろう」
「当然ある、か。だが、友好的とは限るまい」
「それはそうだ。あんたが呼んだとは思えないからな」
スティーブはそっと窓から外の様子を覗う。隠れているつもりだろうが、注意して見れば丸見えだ。あまりの下手さに相手は素人だと判断したスティーブは、アウグストに裏口を案内させる。
「逃げ出せるのか?」
「あんたの体力次第だ」
かなり走ることになるだろう。老体であるアウグストを連れてどこまで逃げられるかわからないが、それでもやるしかない。アウグストをここで救う義理などスティーブにはないが、まだこの男には聞きたいことがあった。
ここで手放すわけにはいかない。
「裏口から逃げるのは安易過ぎないか?」
「自分の家だろう。堂々と真っ正面から出て行けばいい」
スティーブは台所からフライパンや包丁などの金属物を持って裏口のドアを少しだけ開き、そこから少しだけ周囲を見回してから、相手の数を把握した。
「やはり素人だな。丸見えじゃないか。これなら新米刑事のほうがいくらかマシというものだ。おい、俺が合図したら正面玄関から出て街に向かって走れ」
「正面玄関からだと?」
「ああ、俺がここから出たら派手な音を立てる。それが合図となる。ゆっくり十を数えたらそのまま玄関を走りここへ逃げるんだ」
スティーブは手書きで書いた地図のメモ用紙を渡す。
「ここは、新聞屋か?」
「そこにはちょっと知った男がいる。そこに駆け込めばそうそう襲われることもないだろう」
「アインズ、君はどうするつもりかね?」
「俺は最初から一人のほうが動きやすいんでね」
一人か二人なら気絶させるのもさほど難しくないだろう。あの程度の連中なら以前出会ったツヴァイと名乗る神父一人のほうがはるかに厄介だ。あとはタイミングを計るだけだ。
「一つだけ教えておく。彼女に関してだ」
タイミングを見計らいながら、スティーブは耳を澄ます。
「彼女と出会うな。一度会ったのなら、二度と会うな。二度目以降は必ず希望が潰えてしまう。――人が死を望む神は、どうなろうとも死神なのだ」
そして、と続ける。
「彼女を解放するな。世界を怪物の顎にかみ砕かせるつもりがないのならば、彼女をその運命から『絶対に解放するな』」
「もし、解放されてしまったなら……?」
ふとそんな質問が口から出てきた。彼女というのに出会うつもりはないし、恐らくは出会うこともないだろうと思いつつも、何故か妙な悪寒が走ったのだ。
「……何もしなければ何も起こらない。お前等三人は出会う可能性が最も高いが、出会っても何もするな。我々はそうやって今まで平穏に生きてきたのだ」
「……」
今まで出会わずに生きてきた、という口ぶりから、スティーブはアウグストが『死神の正体』を知っているだろうと確信する。このケープ市において誰も知らなかったとしても、この男だけは何故か把握しているのだ。
だが今はそれを問い糾している暇はない。
「――いくぞ」
ドアをそっと開き、身体を滑らすように走り出す。
どれだけ気配を殺したり足音を抑えようとも、そもそも裏口は見張られているのだ。発見されないわけがない。しかしこちらが素人を演じる上でそういう行為は必要だった。わざと包丁やフライパンを持っているのもその演技に拍車を掛けている。
出た瞬間に周囲から「居たぞ!」という怒声に似た声が響き渡った。スティーブは躊躇わず一番近くの男に駆け寄り、その男が殴りかかろうとしたところを、身体を捻ってフライパンで顔面を殴りつけた。すぐさまもう一人の男が襲いかかってくるが、動きがまるで洗練されていないので、瞬時に殴りつけて黙らせる。
気絶した二人の懐を漁ると、そこには予想通り拳銃がぶら下がっていた。二丁とも奪い取った後にスティーブは大きく息を吸う。
「うおおおおおおお!」
包丁の背でフライパンの背を叩く。大きな音が森中に響き渡り、恐らくはこの森の中に潜む全ての人間に聞こえたことだろう。
今の状況が見えていない人間にとって、そのスティーブの行動はどのように思えただろうか。
そしてその音を合図にアウグストは動いただろうか。
「グズグズしていられないな」
スティーブもすかさず動き出す。
囮として動くならあと二、三人は倒しておくべきだろうが、そう上手くいくだろうか。それとも派手な音だけを立ててここから逃げるのが正解だろうか。どこまで危険を冒せば奴らは自分だけを追い掛けてくるだろうか。頭の中で目まぐるしく思考が回転し、最適な答えが自動的に編み出されていく。
近くの木々の並びを瞬時に頭の中へ叩き込み、地形を把握する。姿を隠しつつ、しかしまるで釣り餌のように、追ってくる連中の視界の端へ映るように移動しながら、相手の意識を出来るだけこちらに集中させる。
目の前に突然男が現れる。
驚きながらもスティーブは咄嗟に相手を殴った。それだけでは気絶させるに至らず、さらにもう一撃、銃のグリップを強く握って殴りつけ、沈黙させる。
「思ったよりも数がいるみたいだな」
ならば目立つように相手を二、三人倒すなんて真似はしなくていいだろう。実際こうして倒してしまったのだから、相手がこちらに追いつくも時間の問題だ。今はこの森からすぐに街中へと身を潜ませるのが先決だ。
そう判断した時だった。
「アインズ! 君は私の手から逃げられない!」
鋭く大きく、そして聞き覚えのある声が森中を駆け巡る。
「……右腕――ペシェルか……!」
まさか連中の親玉まで来ているなんて、と呟きながら、今はそのペシェルに構っている余裕などない。
(とはいえボスが出てくるとは思わなかったが……それだけの理由がある?)
「君は、いや、君達はとんでもない過ちを犯した! 我々が数年間かけてきた事を、一瞬で引っ繰り返してしまった! これは許されざる罪だ!」
あの地下で出会ったペシェルは少なくとも感情を隠して話すようなタイプではなかっただろう。しかしそれを差し引いても今のペシェルの言葉には焦りが感じられた。
「よって我々は君達施設の子供を全て殺すことにした! 君達を生かしておくことがどれだけ危険か、身を以て知ったからだ!」
「俺達を殺す? ……ハンス達もか」
正直ツヴァイはどうでもいいが、とそこに付け加える。まさか施設出身の子供であれほど危険な存在に育っているとは予想外だったからだ。しかしハンスは仮にも恩人である。
(アウグストと合流したいのは山々だが)
ハンスはもう自分が狙われていることを知っているのだろうか。年齢の割には随分と強かさを備えているようだったが、命まで狙われているというのを知らなければ、その油断を突かれるだろう。
「本当に……! 私は、絶対にお前達を殺すことをここに宣言する……! お前等が動かなければ、いなければこうはならなかったのだ!」
ペシェルの中で何か事態が急転したのだろう。そうじゃなければ今までここまで強硬手段を用いてこなかった男が、急に殺すとまで宣言しないはずだ。
(俺達が生きていては都合が悪いということか。だが、みすみす殺されるワケにもいかんがな)
生憎連中はまだ自分がどこにいるか正確な場所を把握していない。唯一知っている連中もとっくに気絶させていた。あとはアウグストが上手く逃げることを祈るだけである。
とにかく逃げの一手だ。
スティーブは追っ手をかわしつつ、森の中を抜け出したのだった。