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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
123/163

123.悲しみの始まり4

 本来ならすぐにでも道を見失ってしまうような霧の中でも、迷うことなく孤児院へと辿り着けた。


「こんな中で見えるなんて、本当に俺は……」


 そこまで言いかけて、口を噤む。


(何を言いかけたんだ……俺は)


 よりにもよって彼女の目の前でそれを言おうとした。ハンスは背中にオットーを背負っていなかったらその場で頭を抱えていたかもしれない。

 今まで追い掛けてきたテースがやっとそこにいる。七年前に掴めなかった少女が今まさに目の前で、けど彼女の手を握る筈の自分の手は重傷の友人を抱えている。

 色々な事があった。色々な人と出会った。そしてようやく七人の子供の一人、最後の一人と出会えた。

 真夜中に見上げる孤児院――教会は恐ろしく大きかった。昼の時よりも遙かに背が高く、幅が広く、闇が深い。子供達だけが住むにしては、その教会は、その施設は、余りにも大きい。


「……あ」


 その『施設』は余りにも大きい。


「まさか……」


 手が震えて力が入らない。オットーを落としそうになるのだけは耐えて、一歩ずつその建物に近付いていく。


「まさか、ここは……」


 こんな夜中にこの教会を見上げたことは無かった。普段は昼間か、そんなことすら考えている余裕が無い時だ。

 今は興奮しているとはいえ、あの時と状況が違う。


「テース、ここは、まさか」

「ハンスさんの想像通りです。ここはあの時の、私達を閉じ込めていたあの七年前の施設です」

「だ、だけど! あの時は確か燃え尽きて!」

「あの時の施設は燃えましたが、こうして建て直されました。元々燃えたのは一部です」

「……建て直したって、けど」


 確かにあの施設のままだったなら、もっと早く気付いていた筈だ。外見が微妙に変化していたからこそすぐには分からなかったのだろう。


(いや、そもそも俺達はまともに施設の外に出てなかったんだから……)


 施設の内部に関して記憶があっても、外に関しての記憶は実に希薄だ。自分のそんな頼りない記憶を頼りに過去のことを探っていたのだからそうそう見つかる筈も無かったのだ。


「俺達は、ここに、いたのか」

「その通りです。そして今も、私はここにいます」

「……なぜだ?」


 純粋な質問だった。恐らくは予想がついた返答だろうが、それでも自然と口から漏れた言葉は純粋だった。


「私はここに居るだけです」


 ここに居るだけということは、別に彼女自身が望んでここにいるわけではない、ということだろうか。もしこの場が無くなれば別の場所に居るだけだと言葉に出さず語っているつもりなのだろうか。

 その真意が計りかねて、ハンスは黙ってしまった。


「中へどうぞ。その方を治療しなければなりません」

「あ、ああ……」


 言われた通りに孤児院の中へ入り、二階へと上がっていく。階段を登り切り、そして案内された部屋は見覚えがあった。


「こんな夜中にどうしたのですか、テースさん」


 まるで待っていたとばかりに窓から外を眺めていた女性が振り返る。


「夜分遅く申し訳ありません、セーラ様。実は治療していただきたい方がいるのです」

「――私に、ですか」


 年老いてもなお背筋が伸び、背の高い女性はハンスとハンスの担いでいるオットーを交互に見遣った。


「もう一度訊きます。私にですか?」

「私は人の治療が出来ません。セーラ様に頼む以外ありません」


 そう言いながらテースは深く頭を下げた。


「わかりました」


 セーラが小さな溜息を吐いたのをハンスは見て取った。人が頼めば有無を言わさず協力してくれそうな女性だと思ったが、どうして二度も食い下がったのか。まるでテースが最初から治療をすればいいのではないかと言っているようである。


「彼をそこに」


 ベッドの上を指差して、そこにオットーを寝かせる。それからハンスはセーラを見上げた。


「ここはあなたの」

「いいんです。治療が先でしょう」

「……すみません」


 テースが頼んだだけあって、セーラの腕は確かに見事だった。ただの孤児院なのにテースが後から運んできた治療道具は孤児院とは思えぬ程に色々と揃っていた。一度ハンスとテースに外へ出るように命じ、それからしばらく二人はドアの前で黙ったまま立っていた。

 その待っている間、ハンスはずっとテースと自分はこの狭い廊下ですら同じところを見ているのだろうかと不安になる。


「なぁ、テース」

「はい」

「これから、どうする?」

「何も変わりません」

「いいや、変わるさ」

「いいえ、変わりません」

「変わる。俺が君をここから連れ出すから」

「……私を? ハンスさんが? 私を?」


 ハンスは無言で頷く。

 彼の前では無表情を貫き通してきたテースが、少しだけ眉を動かした。


「なんで、どうしてあなたは今更そんなことを言うのです。本当に、どうしてあなたは私を、そんな」

「テース!」


 名を叫びながらその手を掴む。


「七年前、俺は君を救えなかった! あの時はただの子供だった。けど、今の俺は違う。今の俺ならテース、君をその闇の底から救い出すことだって出来る! 俺は世界中を歩いて見て回ってきて、色んな経験をしてきたんだ。だから!」

「その世界中を歩いて、本物の神を見たことがあるのですか?」

「神なんて、いない」

「世界中を歩いたといっても、世界の深淵を見たわけではないでしょう。人の願いを聞いたことはありますか?」

「人は死を望んでいると言いたいんだろ。違う、人はそんなこと望んでないんだ」

「ハンスさん、貴方はあの施設の底を一度も見たことがないのです。貴方の役割は、だって、私を押さえ込むためにあったのですから」

「え?」

「人の心の底を見たことがありますか?」


 テースが柔らかく微笑む。


「そんなハンスさんは、私があの時あの場所で、私の中で何が起きていたのか、知らなかったのです」

「……」

「もちろん誰も知りません。この実験を直に行っていた人達は亡くなりました。どうして亡くなったのでしょう。一緒に実験を受けていた子供達は私を含めた四人を残し、みんな死んでしまいました。どうして死んでしまったのでしょう」

「……テース?」


 突然語り出した彼女の言葉は、何故かハンスの胸を締め付けた。


「あの実験の真実は何か、知っていますか? あの施設の実験が成功した時、一体どれだけの人が亡くなったと思いますか? この地下には一体どれだけの魂が埋もれていると思いますか?」

「……テース、君は、あの時――」

「私達子供が一つも罪が無いと、断言できますか?」


 ガン、と頭を打たれた気分だった。

 あの時生き残った自分達は、あの時、一体何をしたというのだろうか。

 少なくともハンスは覚えていないが、あの時何もしていなかったとしたら、こうして生き残っている方が不思議だったのかもしれない。

 突然倒れ出す大人達と子供達、その記憶は断片ながら残っていた。まるで魂を吸い取られていくかのように、この地下にいた人間は次々と死んでいった。

 では何故自分はこうして生き残っている?

 何故あの場所で、現実とはかけ離れてしまった場所で、例外が存在した?


「罪は、私にあります」


 テースの手を掴んでいたハンスだったが、その手をそっと離してしまう。


「そしてハンスさん。実は貴方にもあるのです。あの時貴方達三人が願ったこと、思い出しましたか?」

「俺が、願ったこと……?」


 神は人の願いを叶えるという。

 最も多かった願いを叶えるために、死神が降臨した。

 ――その神に願うとしたら、何だろうか。

 一体何の罪を自分は犯したというのだろうか。


「――いや、違う。俺はテースに何の罪を重ねさせてしまったんだ!」


 そう、テースに願ったということは当然ながら自分にも罪があるが、同時にテースもその罪を被ったということだ。

 目の前の純白に身を包んだ少女へ向かって、自分達は何を願ってしまったのか、それが思い出せない。


「……俺は、あの時何をしたっていうんだ!」

「ハンスさん」


 手に温もりが戻ってきた。柔らかい手がハンスの手を包み込む。その温もりに荒れていた心が穏やかになっていくのを感じて、ハンスは顔を上げた。

 目の前にテースが居る。

 テースは今、自分の横に『居る』のだ。


「それでも、私を救うというのですか?」

「救う」


 離さないと誓ったのにまた離してしまった手を、今度はテースから握ってきたのだ。その意味を察してハンスは断言した。

 忘れていたと心の中で呟いた。自分が今、どうしてここにいるのか、それを決して見失ってはならない。例えテース自身が惑わすような真実を語ろうとも、自分がすべき真実を曲げてはならないのだ。


「無理です」

「どうして決めつける?」


 その問いに返答は無かった。


「いいから、いいから信用してくれ! お願いだテース……君は確かに何でも知ってる。俺以上に俺の事を知っているかもしれない。けど、俺を信じることはまだ知らないだろ!」


 少女の手から、今度は両手で両肩を掴む。思わず力が入ってしまった為に痛かったかもしれないが、まるでそんなこと気にするまでもないとばかりに、テースは顔色を変えない。ただ、驚いた瞳がそこにあった。


「……信じるなんて、無理なんです」

「無理じゃない。テース、行こう。ここにいちゃいけない。君が人の魂を狩らなきゃいけないのなら、今度からは俺がそれを止める」

「でも、私は、私がそれをすると、街が――」

「だったら、一度だけでいい。その重みを降ろしてくれ。そんな笑顔で誤魔化さないでくれ。そんな顔で、みんなを欺かないでくれ。アンジェラが望んでいた君の笑顔はそんなものじゃないだろ?」

「……あっ、うっ……だから、どうして貴方は、貴方だけは私の心を惑わすのですか……」


 その瞳に、うっすらと涙が溜まっている。

 その涙が彼女の何を意味していたのか、ハンスには分からない。だけど彼女の心に堆く聳えていた強固な壁を少しでも壊したのだと、それだけは確信が持てた。


「ハンスさんが今からしようとしていることは、恐らく一生消えない後悔という傷を自分自身に残すこととなるでしょう……」

「そんなものに脅えてたら、俺は弟妹をここに預けて君を捜そうなんて思わなかったさ」

「行き着く先に見る真実は人の闇の底です。それでもいいでしょうか?」

「だから言っただろ。そんなものにビビるようなら、最初からこんな場所まで来やしない」

「――そうですか。わかりました。いつか自分が何をしでかしたのか気付く日まで、私は」

「一緒にいよう。その後も、だ」

「……できれば、そうしましょう」


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