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死神少女  作者: 平乃ひら
Acht
122/163

122.悲しみの始まり3

 物音がした。

 何かしらの気配を感じて上を見る。

 ホマーシュは担いでいるバッグからすかさず剣を引き抜く。その異様な重量感と威圧感に、ホールにいる協力達が固唾を呑んだのを気配で察した。そもそも神父である自分が暴力を奮い、人を殺すなどそうそう見られるものではないだろう。

 協力者達は全部で五人ほどいる。とあるところに頼んだ見返りは大きいが、それでもこれだけの人数が居れば手間取っていた手順が一気に省略可能となり、さらには順調に事が運んでいるのも気分が良い。


「ああ、あの顔は良かった」


 この憎たらしい一家を自らの手で潰すのは本当に気分が良い。自分をあれだけ辱めた研究の首謀者である一人の一族を滅ぼせるというのは、これだけ気持ちが良くなるものだろうか。ホマーシュは笑みが浮かぶのを止められなかった。あの夜、あの死神が忠告してきた瞬間、復讐を諦めるしかないと断念しかかったものだが、逆を言えばアンジェラを自分の手で直接手を下さなければいいだけの話で、このケープ市には都合良く人間の魂を狩る『畏るべき存在』がいるではないか。


「殺してくれるならば神だろうが悪魔だろうが、何でもいい。結局は僕の手で直に殺すのだけ諦めればいいのだから」


 しかし、それには条件があった。

 自分の手でこの一族に決着が着けられないのなら、せめて自分の目の前で死んでくれることだった。あの美しい娘が絶望のどん底に叩き落とされて、終いには目の前で死を望む姿を想像すると興奮して夜も眠れない。


「ああ、その為に君はいるのだから」


 神父の服を纏った悪魔の笑みは壮絶なものだった。彼の独り言が聞こえたわけではないだろうが、その異様な空気に圧され、協力者が二、三名ほど一歩下がった。

 その集団を眺めて、またもホマーシュは声を殺して笑い出した。


「ああ、愚かなる協力者よ」


 ――お前達は


「感謝しましょう。この場を作ってくれたことを。感謝しましょう。まるで純朴たる神父のように」


 ――結局、僕が殺すことになる。


 上に登ろう。

 さぁ、最後の仕上げと行こう。

 母親を殺した。

 父親を殺した。

 己を好いた友人を瀕死の状態にし、今まさに死の直前に至っている。

 そこで全ての真実を話そう。

 全てを話し、たった一人の少女を、世界を呪い殺したくほどに恨んでしまうほど自分自身を恨み、あの美しい顔が想像もつかないほどに歪んでしまう場面までもう少しだ。

 ああ、今だあの少女は自分を信じているというのだろうか。

 階段を踏む度にギシリと音が鳴る。

 何も音がしない闇夜において、やはり霧から鉄壁に守られた場所は違った。音がする。


「……音が、する?」


 そう、今この場で物音を立てているのは自分か、階下の協力者だけだ。もしかしたらアンジェラが何か音を立てているかも知れないが、しかしこの音と気配はアンジェラのだけのものとは思えない。


「誰かいる、のか?」


 あの忍び込んできたアンジェラの友人が一人だけと考えたのがそもそもの間違いだっただろうか。実際、アンジェラの人望は相当なものだ。あの友人が誰とも協力せず一人だけで忍び込んできたと考える方が甘い。


「好都合じゃないか」


 そう、好都合だ。

 その友人を今度はアンジェラの目の前で殺す。

 その時、アンジェラはどういう気持ちになるだろうか。

 自分一人の所為で友人が二人も、いや、もっと死んでしまうかもしれないのだ。

 さぁ彼女は何を考える。何を畏れる。自分か、僕か、世界か、やはり自分か――

 アンジェラの部屋の前に着くと音はとっくに消えていた。ドア越しに耳を澄ませて感覚を鋭くさせても、誰一人として気配を察することはできなかった。

 ――まさか。

 嫌な予感がしてハンスはドアを思い切り開く。もしかしたらアンジェラは逃げ出してしまったのかもしれない。あの友人を救うために部屋を飛び出して病院に向かうという選択肢があったのだ。無理にでも動かせばすぐにでも死んでしまうような怪我を負わせたが、アンジェラが正確に傷の具合を見抜けなかった場合はそういう無茶をすることもあり得る。やろうと思えば彼女の足でも窓から降りられるだろう。

 そうなれば計画は全て頓挫する。

 ここまで引っ張ってきた計画が終わってしまう!

 しかし、それは全てホマーシュの勘違いだった。

 アンジェラはこの部屋から一歩も外へと出ていない。

 部屋の中央に乗り込んだホマーシュは、風に靡くカーテンの隙間から差し込む光に優しく頬を触れられる少女の顔を見た。

 部屋にまだ漂う残り香が正確に状況を語ってくれる。

 この部屋はつい先程まで現世より隔離されていたのだ。あの晩、自分の前に現れたのと同等の、いや、同じ存在がここにいて、そして何をしたかといえば。


「決まってる――決まっている!」


 ホマーシュは顔を歪めて眠りに就く少女を睨んだ。

 これ程までに穏やかな顔をした『死者』と出会ったのは初めてだ。死神が命を奪ったと思しき子供は見たが、それ以上にこの少女はこの世の中でやり残した事はないという顔をしている。


「嘘だ……こんなの……」


 蹌踉めいて、壁に背を付ける。


「なんでだ? なんで? なんで? なんで死んでいる? 嘘だろう……嘘だ、僕は、じゃあ、何のために、僕は……僕は?」


 バッグから剣を取り出す。両手で掴み、振り上げる。しかし振り上げたところで切っ先が天井を抉ってしまった。無理矢理引き抜いて今度は斜めに持つ。


「うあぁぁぁぁぁああああああ!」


 斜めに剣を振り下ろし、その顔を叩き潰そうとする。

 しかし、その鈍重な刃は途中で止まってしまう。


「……あ、あっ……違う、そうじゃない! 僕が望んでいたことはこんなことじゃないんだ!」


 しかし、現実はこうなっていた。

 何日も掛けて信用を得て家族に取り込み、そうして今まさに最後の望みを叶えようとしたところで、この現実はホマーシュを裏切ったのだ。

 まるで神を崇拝しない偽物には味方しないとでも言いたげに。


「僕は、何のために! 運命に逆らえないとでもいうのか! このくそったれな世の中に復讐しようとしたのに、僕は!」


 アンジェラを見遣る。

 本当は死者を陵辱しようとも思ったが、しかし今の自分には彼女に指一本触れられないだろうという確信があった。其程までに今の彼女は美しかったのだ。

 美しすぎて、もし触れてしまったら、そこから崩れてしまいそうな気さえした。


「……なんだ」


 ホマーシュは軽く笑う。


「貴女は、最後の最後で本当の聖女になったのですか」


 だとしたら、もう笑うしかなかった。

 ――本当の聖女を本当の絶望に叩き込むなんて、烏滸がましいにも程があったのだから。

 暗い部屋の中央で剣を落とした神父は、人を殺し続けたその両手で自分の顔を覆った。



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