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死神少女  作者: 平乃ひら
Sirben
118/163

118.死神の少女は声も心も殺し、なおその胸の内で慟哭する

「アンジェラ……?」


 呆然としつつ、ハンスは名を呼んだ。


「なぁ、アンジェラ……?」


 もう一度名前を呼ぶが、返事はない。


「おい、やめろよ。そういう冗談はしなかっただろ。そういうのは俺やオットーがやるんだよ。なぁ、アンジェラ……?」


 軽く揺さ振っても、少女は決して目を覚まさなかった。


「なぁ、テース……どうなってるんだ、これ……? アンジェラはどうなったんだ」


 死神はハンスに目を向けることなく、ただただ静かに眠るアンジェラの少し乱れた髪を整えていた。


「……。アンジェラは亡くなりました」

「いや、それはないって。どうしたんだよ。これはどうなってんだよ。な、おかしいだろ? 俺は約束したんだ。オットーとさ、アンジェラを助け出すって。……それが、コレは何なんだ?」


 死神は一切答えない。


「どうしてこうなってるんだよ。はは、死んだ? アンジェラが死んだ? そんな……こんなこと、ありえない。おかしいだろ……? 嘘だ、嘘に決まってる」

「……私は戻ります」


 そっと頭を下ろし、アンジェラの手を胸の前に置いてから立ち上がった死神の肩を、ハンスが掴む。


「待て、待ってくれよ。お願いだ、アンジェラを生き返らせてくれ。なぁ、俺と同じようにしてくれれば……できるんじゃないか、なぁ!」


 少女は横に首を振った。


「無理です。彼女は自ら死を望みました。その者に対して私は何もできません。貴方の時は望んだ死ではなかった。だから例外として可能だっただけです」

「じゃあ、テースはアンジェラが死んでいいっていうのかよ! くそ、いいっていうのかよ! 答えろ、答えてくれよ! なぁ!」

「……いいわけ、ありません……」


 死神が震えながら呟いた。


「いいことなんてありません……死神がもたらすのは須く死です。そんなのがどうしていいんでしょうか。人は死を恐れながらどうして望むのですか。どうして他者から与えられる死を安易に受け入れるのですか。私はどうしてアンジェラの命を狩ったのですか? 私に問いの答えを求めたところで、じゃあ私の問いを誰か答えてくれるのですか? この結果は一体誰の所為なのですか? 私はどうやったらアンジェラを守れたのですか?」


 死神の問いは本来なら驚くに値する告白だった。だが、その意味を悟らずハンスは頭に血を昇らせて叫んでいた。


「わかるかよ! そんなに嫌ならどうして死神なんてやっている! まったくわからない! どうして続けられるんだよ!」

「そんなの決まっています。私は死が恐ろしいからです」

「だったら!」

「私は自身の死が恐ろしいから死神をやっているのです」

「……え?」

「死神が死神でなくなった時、私は恐らく消滅します。だからこそ私は死神として望まれたことをしなければならない。人はその望みで私を産み出し、そうして縛り上げた。私は人間の神でありながら、人間の下僕でもあるのです。……だからって、私はアンジェラをこうしたくなかったッ……!」


 最後の言葉は感情が溢れてしまったようだ。

 そこでハンスはようやく気付く。この死神を名乗る少女は今まで誰も想像つかないほど、その胸に感情を押し殺してきたということを。

 そうして今、アンジェラという友達を自らの手で失ってしまったことにより、その堰が崩壊しかかり、溢れようとしている。


「死神を……やめることはできないのか」

「ハンスさん、貴方はとても残酷な事を言いますね。人に自殺を勧めていることになるのです」

「死にたくないという気持ちはわかる。けど、殺したくないというテースの気持ちも……わかる。だけど俺は……俺は、テースを死神という立場から救いたいんだ。例え目の前にいるテースがアンジェラを殺したテースだとしても、俺は……」

「――ハンスさん、気付いてないのですか。私は以前、貴方の魂を救いました。それは私と貴方が接触することにより為し得た奇跡。その際、貴方は死神の魂に触れたのです」

「……それが?」

「不思議に思わなかったのですか。夜の霧がどれ程濃くともまるで意にしないその両目。時折鋭くなる感覚。――そして何より、定期的に訪れる苦しみと熱と、その後の回復」

「それは……」


 幾らでも覚えのあることだった。

 不思議に思わなかったわけじゃないが、その謎を解明するには医者に掛からないければならないと思っており、出来るだけ人に見つからないようにしていたハンスにとって医者へ通うのは論外だったのだ。自分の身体は後回しにして、とにかく過去の事件の真実と失った自分の記憶を取り戻す為に奔走していた。


「死神の目は全てを見通します。死神の洞察力はいかなる人の深層心理を見抜きます。貴方の身体に備わっているのはその一部。そして熱くなる身体と魂は、私が誰かの魂を狩った時に訪れる症状です」

「……え、どういうことだ?」


 あの胸が苦しくなる熱の後、この身体は嘘のように軽くなる。――それが人の魂を狩ったことによってやってくる症状だというのか。


「わからないのですか。私と同じく、貴方も人の魂を喰らって生きているのですよ」

「喰らって……?」


 この身体はもう、人間のそれではないと、死神は断言したようなものだった。


「けど貴方はまだ人の側でいます。まだ純白でいます。私のように真の闇に沈んではいません。だからお願いします。せめて人らしい穏やかで真っ当な人生を歩んでください。私のことを忘れてください。私はもう、決して救われない立場なんです。だから」

「……そんな、俺は」


 真正面から死神に見つめられ、ハンスはとうとう言葉を失ってしまった。こうもはっきりと言われてしまえばどう反論し、彼女を説得して良いか分からなかったのだ。

 変質した自分の身体はテース自身が自分の所為だと告白する。ハンスが違うと断言できるのは、今のところ唯一その部分のみだった。そこだけは自信を持って違うと、彼は拳を握りしめて強く思う。あの時も今も、ただ一点変わらない気持ちは、テースを救いたいということだ。その結果がこうだというだけだ。あくまでこれは自分自身が招いた結果なのだ。

 その救いたい気持ちだけを前面に出した時、ハンスはテースの言葉を反論するのではなく、全てを受け入れてしまえることに気付く。

 何年も何年もテースは苦しんできた。その苦しみは誰にも理解されず、今まで死神を演じてきた少女の言葉はおそらく全て本心だ。人に死神だと知られてはならないから、昼間のテースはああも淡々としているが、また人に好かれないから笑顔を忘れずに適切なアドバイスをしたり、時にはささやかながら人に関わろうとする。全てを見透かした聖女のような振る舞いは、死神たる彼女にとって人の心を見抜くのは容易く、その内に秘める優しさからどうしても他者を酷く扱えないところからきているのだろう。

 今もそうだ。

 自分のことを忘れろというのは、死神に関わったことにより一度は失いかけた命を、再び不幸へ晒す前に遠ざけようという彼女の優しさだ。

 そして彼女は決して嘘も誤魔化しもしない。ただひたすらに真実だけを語っている。己の本心すら自覚し、なおそれでも己を殺し、人に望まれた神を演じる。嘘をつけないから真実を語る時は言葉を噤んできた。


「なんでだよ……なんでテースだけがそんな苦しいことをしなくちゃならないんだよ。俺達はみんな、同じところで育てられた。なのになんでテースなんだ!」

「ハンスさん、貴方はとても優しい人です。だから私の罪と苦しみをまるで我が事のように思い込んでしまいます。けど、死神の罪は死神の物。それは貴方の物ではありません。私から死神という罪を奪わないでください」


 ハンスは首を振る。


「……嫌だ。俺はテースを救う為に今までやってきたんだ。捨ててきた物もあるんだ。今更ここで引けるかよ。テースがいくら拒んでも、俺はずっとテースの傍にいる。一緒にいたいんだ」

「一時の感情に身を任せれば、それは自身の魂すらも滅ぼすことになります。お願いです。忘れてください」


 今や何も語らぬアンジェラを抱き締めて、ハンスは叫ぶ。


「友達を殺して今にも泣きそうな女の子を! 放っておけるかよ!」


 死神の表情に変化が訪れた。それは驚きだったのかもしれない。死神からすれば表情を変えてないつもりだったのに、目の前の少年はそれを見抜いていたのだ。


「こいつは俺の友達だった。テースの友達だった。二人の友達だったんだ! 友達が友達を殺したって、もう訳が分からないけどさ!」

「……」

「友達だったんだろ。答えろよテース。アンジェラは友達だったんだろ! 死神の言葉じゃなくて、テースの言葉で答えてくれ!」

「……友達、でした」


 まるで気圧されるように、テースはそう答える。


「友達の最期の言葉、叶えてやれよ」

「……それは死神としてですか、それとも――」

「友達として、だよ。わかるだろ?」

「そうですか。友達として、ですね。ああ、貴方達は――酷く残酷な事を私に強要しています」


 死神は笑顔を浮かべた。

 その笑顔はまるで泣きそうなそれで。

 酷く酷く、自虐的だった。



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