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死神少女  作者: 平乃ひら
Sirben
117/163

117.貴女の願いはなんですか?

 ハンスはすぐにオットーの様子を見る。

 ――非常に危険な状態だった。

 簡単に看ることしかできないとはいえ、オットーの様子は楽観視できるものではないとの判断ぐらいは可能だった。放っておけば出血多量で死んでしまう。早めに医者に診せるべきだが……


(くそっ、誰がこんなことを……!)


 オットーの猪突猛進な性格が祟ったのだろう。案外ハンスと同じ場所の窓から中を眺め、あの死体を目の当たりにしたオットーは頭に血が昇って中に突撃したか、あるいは動揺して足音を立てたか。何にしろアンジェラを助けたいという勇み足が招いた結果には違いない。


(俺のミスだ! オットーを待っていてやるべきだった!)


 まさかあの霧の中、オットーが本当にあの木を登って中に侵入してくるとは思っていなかった。彼はハンスと違い、あの霧の中では目を閉じて歩くも同然だからだ。だからこそわざとあんな提案したのもある。――屋敷に侵入するなら一人のほうがずっとやりやすいからだ。


(完全に裏目に出た)


 結果、オットーは死にかけている。下にいた連中が彼を痛めつけたとでもいうのか。


(応急処置で血を止めるしかないが……けど、内臓はやばい。どうすればいい……どうすれば)


 オットーを抱えて二階から飛び降りたいところだが、飛び降りた際の衝撃に今のオットーが耐えられるかは難しいところだった。


「――アンジェラ、何か救急箱みたいなものはないか。いや、布でもいい。とにかく血だけでも止めないと……アンジェラ?」


 返事のない彼女に、ハンスは振り返った。

 ――そうして絶句する。

 アンジェラは笑っていたのだ。


「……どうした、アンジェラ?」


 友達がこんな状態になっているというのに、どうして彼女は微笑んでいられるのだろうか。


「ハンス、来てくれてありがとう。でももう大丈夫だよね。オットーはハンスが来てくれたから助かる。私が、そう祈ったもの」

「祈る? 何を……」

「神様は願いを聞いてくださったの。だから、オットーは助かるわ。もう、安心」

「待て、ちょっと待ってくれ」


 慌ててアンジェラの言葉を止める。

 このまま喋らせるのは非常に危険な予感がした。彼女は既にまともではない――


「それ以上は駄目だ。アンジェラ、もう何も言うな。お願いだから何も言わないでくれ」

「ううん、もういいの」


 偽物の聖女は、まるで本物の聖女のように、澄み切った目を二人に向けていた。

 そのあまりの純粋さに、ハンスは伸ばそうとした手を止めてしまう。


「ねぇ、もう私は、十分だよね」


 そうして部屋の暗闇に語りかける。


「ねぇ、テース?」


 ――暗闇が形を成す。


 曲線が描かれたかと思いきや、そこから巨大な鎌が突如として現れ、闇よりもなお暗い闇が人型として具現化する。透き通るように美しい長い金髪が風もないのに靡き、世界で最も尊い少女が姿を現した。


「……」


 ハンスは完全に言葉を失ってしまう。


「やっぱり」


 微笑んだまま、アンジェラは友達に語りかける。


「テースのほうが聖女様じゃない」

「それは勘違いですよ、アンジェラさん」


 一方のテースには一切の笑みがない。ただただ無表情のままで返事をしている。


「私は聖女ではありません。人でもありません。貴女は正しく私を理解しているのに、まだそういいますか」

「正しく理解していても、人の心が思うことは変えられないのよ。ああ、やっと知ったの。そういうことだって。――私は、とても幸せだったのかもしれない。けど、自分の手でそれを壊したから、やっと罪を償う事ができるのね」

「いいえ、それも違います」


 死神は静かに首を振る。長い髪がその肩を流れた。


「私は罪を償いにこの場へ訪れた訳ではありません。私はただ、貴女が望んだことを叶えに来ただけです」

「うん、そうだよね。――ねぇ、リュンもそう望んだの?」

「はい。望みました。あの場の家にいた者で、リュンだけは唯一私を呼びました。望んだ者の前ならば、例外なく私は姿を現すことでしょう。そしてその願いを叶えたのです」

「だから、死神」

「そうです。私は死神だから」

「望まれたから?」

「人は死を望みます。それが最も多い望みです。アンジェラさん、貴女はもう理解していますね」

「理解しているわ」

「なら私はその願い事を叶えるだけです。そして、その為の存在でもあります」


 死神少女がそう語る。

 彼女が死を唱えれば、それは絶対なのだ。誰も抗えず、その死を受け入れる。ただし、死を望んだ者や死ぬしかない者の前にしか彼女は姿を現さない。


「ち、がう……」


 ハンスは立ち上がろうとした。

 そのハンスを、死神が一瞥する。


「……あっ……!」


 たったそれだけでハンスは立てなくなった。死神の圧倒的な威圧感と殺気によって、ハンスは身動き一つ取れなくなってしまったのだ。全ての人を平伏させることすら、彼女は指先一本動かすことなくやってのけるのだ。


(……同じじゃないか、あの時と同じだ! 俺はまた黙って見ているしかないのかっ……そんな、くそっ!)


 動け動けと足に命令を下す。しかし、まったく動こうとしない。ロハンの時と同じ状況だが、あの時はまだ動けた。しかし今は恐ろしい程に足が動かない。


「駄目だ……! 駄目なんだ……! 人を殺しちゃいけない……もう、これ以上……!」

「アンジェラさん」


 かろうじて声を出し死神を止めようとするハンスを無視して、死神はアンジェラの真正面に立つ。今の彼女にハンスの叫びは届いていないのだろうか。


「貴女の願いはなんですか?」


 死神はわざわざアンジェラに願い事を尋ねる。

 あまりにも決まり切った答えなのに、まだそれをアンジェラの口から言わせようとしているのだ。

 死神は毎回そうだった。


(ロハンの時も……そうだった……!)


 一度尋ね、そうしてよりよく自覚させる。

 そして、その言葉を言ったが最後。

 死神の鎌はアンジェラの心臓を貫き、魂を狩ってしまうことだろう。


「私は、ハンスに出会えて、オットーを救えて、こうして最期の最期にテースと出会えた」


 まるで昔の思い出のように、アンジェラは語り出す。


「――けど、私にはどうしようもない罪がある。だから、償わなくてはなりません。これだけ汚れた心でも、友達を一人救えたのだから、もう思い残すことはありません」


 純白の少女達の視線が重なる。


「ねぇ、私達は友達かな」

「それは、貴女が知っていることです」

「そう、か。うん――」


 深く納得したように肯いてから、


「お願いします、神様。私を楽にしてください」


 とうとう、その言葉を口にした。

 もうここまできたら運命は変えられない。

 死神とはそういう存在だ。彼女に死を望めば、およそ間違いなく絶対の死が届けられる。


「わかりました」


 だからその鎌が大きく振り上げられる。彼女の身体にはあまりにも似合わない巨大な鎌が高々と振り上げられた。先端は天井を貫いているにもかかわらず、この部屋のどこにも鎌で傷ついた箇所はない。

 死神の鎌は、魂のみを狩る鎌だ。


「やめろ……やめろ、やめてくれ!」


 ハンスが叫んだ。せめて声だけでも届いてくれと叫んだ。その叫びは部屋中を包み込み、二人の少女へと届いた筈だ。

 その心に届いた筈だ。

 だが、死神の振り下ろす手に躊躇いはなかった。

 すとんと、思わず笑えるぐらいにその刃はアンジェラの胸を貫いていたのだ。


「……あ」


 それは誰の声だったか。

 後ろへと倒れ往くアンジェラの背を、死神の手が支える。アンジェラは焦点の定まらない目のまま、手を伸ばした。

 その手を死神がしっかりと握る。

 ――手は、暖かかった。


「……私は、死神です」


 そうして確認するように、呟いた。

 ハンスからは垂れた髪が死神の表情を隠し、その瞳の色が分からない。

 アンジェラは死神となっているテースに向かって、


「やっと……わかりました……」


 魂を狩られた筈のアンジェラは、まだ意識を保っている。しかしもう間もなくその魂は身体を離れるだろうことは、弱々しい声からも察することができた。


「わたし、わたしの、さいごの願い……は、ハンスといっしょに……だから、いっしょに、いてください……」


 死神が小さく首を横に振る。


「私は、その願いは叶えられません。私ができるのは」

「しにがみ……じゃない。テース……だから、テースに頼むの……わたしの、かわりに……あなたが、ハンスと……だって、あなたは、ハンスを――……」


 握っていた手に力がこめられたのが分かった。

 その瞬間に金縛りが解けたハンスが二人のところに駆け寄った。


「ハンス……わたしね、わたし……ハンスが好きだったの……」


 その言葉に、ハンスは胸の奥から強い感情がわき出してくる。感情は涙となって頬を伝った。


「やめろ、喋るな。助ける。助かるから、もうこれ以上……!」


 けどもう助からない。外傷や病気とはまったく違うのだ。命そのものを狩り取られた者は決して助かることはない。助かるのは肉体を離れた魂だけだ。

 もはや命を狩り取られ、こうして喋ることすら奇跡なのに、アンジェラは友達を前に嬉しそうだった。

 そしてその友達は僅かに震えている。


「私は、私は、私は――死神です」

「……テース」

「アンジェラの友達のテースじゃなくて、死神なんです。だから、私は……友達を救えない……私は命を救えないッ。この手は、この目は、この鎌は」


 大鎌が揺れた。


「人の命を救うものではありません。私の存在は人の生を救うのではなく、魂を狩り取る存在です」


 まるで自分の存在を改めて語ることで許して貰おうとするような、一人の小さな人間がそこにいるようだった。


「こんな私を、私を……ごめん、なさい……アンジェラ……」

「ううん」


 アンジェラは微笑みながら首を振り、


「ありがとう」


 二人の手の中で、その身体が重くなる。

 ふっと、その息が止まった。

 安らかに、少女は眠りに就いた。


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