110.純粋を疑問に思う彼ら1
王様は純粋でした。
人々は王様を慕っていたので、いつか自分達も純粋になろうと思いました。
けど純粋になれませんでした。
どうして王様だけ純粋なのでしょう。
王様は純粋だったから、王様の周りはとても人が溢れていました。みんな王様を慕っていたからです。
でも王様は分かりませんでした。
どうして自分は純粋なのだろう。
ある日誰かが王様に質問しました。
王様は純粋です。純粋だけど、なんで純粋でいるの? その問いは王様を悩ませました。
純粋に答えられなかったので、とても悩みました。
王様は結局質問に答えられなかったので。
いっそ、純粋じゃなくなれば答えられるだろうと思ったのです。
そうしたらどうなったでしょう。
純粋だから慕われていた王様は。
どうなったのでしょう。
テースは振り返った。
金色の長い髪がふわりと舞う。
風に乗って流れてきた強烈な意志を感じ取った彼女は、しかしすぐに教会へと向き直る。これ以上遅くなっては子供達を心配させてしまうからだ。
強烈な意志を感じ取れたのは、おそらく世界中を探しても自分一人のはずだったが、それを受け取ったところでこの手は誰も救えないことを知っていた。
彼女は敢えてその意志を無視することにした。
まさか人の命を助けてくれ、なんていくら望んでも為し得ない望みを受け取ったところで、テースは素知らぬ顔をするしかないのだ。それは少なくとも自分の役目ではないと自覚している。
そんな彼女の肩に黒雀が羽を休めた。
「ファイリー」
黒雀はテースの両目ををじっと見上げていた。
「わかっているよ、ファイリー。私は何もしないよ。けどね、この世界をおつくりになられた神様のルールを、一つだけ破るよ。それでも結果は変わらない。だって、きっと、彼女は助からないから」
少女はそれこそ聖女のような笑みを浮かべながら、
「私は彼女を心から助けたいけど、それ以上に彼を心から救いたいと思ってるから、きっとダメなの。私はね、この手は真っ黒だから、あの二人の純粋で真っ白な心には触れられないんだ。触ったら、きっとこの指の先から、ボロボロって崩れていっちゃう。そうしてあの二人も汚れてしまう。それだけはやっちゃ駄目なんだよ」
なぜか笑顔のままでそんなことを言い続ける少女を黒雀は黙って聞いていた。
「でもね、その白い心を守り続けることだけはできるよ」
守り続けることは、黒く汚れた自分がずっと近寄らないという意味だったが、黒雀はそれでも静かにしている。
「汚される前に、少なくともどちらか一方は救えるんだ。――どっちかを、選ばなくちゃいけないんだ。私は、今まで……一度しか選んだことないのに」
――一度ってなぁ、そりゃぁあれかい? あの小僧を救ったことかい?
そんな声が聞こえて、テースは肯いた。ここでようやく彼が口を開いたのも予想通りだった。この黒雀は大概こちらの考えを読んで予想通りの事しか言ってこない。
「救ったけど、私は記憶を奪った」
およそ全ての人間が平伏す存在となった少女が唯一畏れを抱いた瞬間が、その時だった。あの夜、あの屋敷の廊下、力強い少年を貫いた大鎌。魂を砕かれて死に往く少年を暗き淵から掬い上げたのは、よりにもよって人の魂を望まれるままに狩る死神だった。
死神は人の魂を狩る。
人の魂を救う存在ではないのだ。
「きっと私はあの人を見るのが怖いんだ。自分の中で保てていた何かを、あの人は砕いてしまうから」
死神として存在する自分、その根底より破壊しかねない言葉を、彼は言い放ったのだから。
「ねぇ、ファイリー。もし私はあの人に出会ったら、なんて言えばいいのかな」
黒雀は首を傾げる。
「自分で考えろ、か。そうだね。そうだよね。私は、人のことを何でも知ってしまうけど、自分自身だけは分からないから、考えるしかないよね」
それでも少女は。
その笑顔を絶やす事はなかった。
まるで笑顔に自分の本心を隠しているかのように――