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死神少女  作者: 平乃ひら
Sirben
107/163

107.純粋じゃない聖女3

 アンジェラにとってオットーと出会えたのは一つの奇跡に近かった。いつの間にか友人と会いたい、喋りたいという祈りが神に届いていたのだろうかと、彼女はこの偶然に感謝をする。

 オットーはハンスを連れてきてくれると約束してくれた。オットーの言葉は力強く、信じられる。

 それはとても嬉しいことだった。


(ハンスにまた会える)


 それだけで顔が緩む。しかし今は自分を中心に行列を作っている最中だ。余計な事は考えてはならない。それでもオットーと出会えてもうすぐハンスと会えるというのなら、どうしても頬が緩んでしまって仕方ない。


「聖女様、やさしい顔してる」


 少女が自分を指差してそう言ってきた。


「え、ええ、やだ、私ったら……なんでもないのよ」


 黒髪のツインテールをした少女が首を傾げた。


「聖女様のわらった顔って、とてもやさしいんだね」

「え、そうなの……かな。ありがとう。自分ではとても意識したことないから、わからなかったわ」

「わたしのしってるお姉ちゃんも、笑うととてもやさしい顔をするんだ」

「そうなんだ」


 そこでふと、これだけ人がいるのに、どうして目の前の少女の声はこんなにもよく通るのだろうと不思議に思った。

 この声の通り方、以前どこかで――


「そのおねえちゃんが、聖女様を大切に想ってるって知ったんだ。だからおねえちゃんが無事でいてくれて良かった」

「ん、私は大丈夫よ。あなたは大丈夫? 誰かと一緒じゃないの?」

「わたしは大丈夫だよ!」


 元気よく、少女はにこりと笑う。


「わたしはよく知ってるもん!」

「あ、そこにいたのか!」


 聞き慣れない男性の声。

 そちらへ振り返ると男が一人、慌てた様子でこちらに向かってきていた。


「駄目じゃないか、アンナちゃん。俺から離れないでってあれほど言っただろう」

「だってタイクツなんだもん」

「退屈とかじゃなくて、そもそも外へ出ること自体が……って、うわ! 聖女様じゃないですか!」

「あ、はい」


 ついそう返事してしまった自分を間抜けだと思いつつ、アンジェラは首を傾げた。


「この子の保護者の方ですか?」

「あ、ああ、いや、はい。一応そういう名目になっています」

「親子みたいですね」


 アンジェラは微笑んでそう言った。

 その顔に何も悪意が無いことを知った男は、見るからにへこんだ様子で、


「うっ……結婚してないのに、親子か……こんな大きな子がいるのか、俺は……」

「じゃあいきましょ。今度はあっちの本屋がいいの」

「げ、まだ本屋にいくのかい。いい加減バイト代もキツイんだけど」

「バイト?」


 本すらまともに購入できないほど、目の前の人は苦労しているのだろうかと、アンジェラは同情の眼差しを向ける。男が少しだけたじろいだ。どうやら訊いてはいけないことらしい。


「あ、や……し、失礼しました」


 そんな目を向けられた男はアンナという少女の手を取って、すぐさまその場を退散する。ぐいっと引っ張られた少女はたたらを踏み、


「それじゃ、さようなら~」


 アンナだけが笑顔を向けて手を振ってきたので、アンジェラも手を振り返した。


(ああいう子が近くにいたら気が紛れるかも……)


 妹なんていたらいいなぁ、と考えてから、リュンやあの孤児院の子供達がどうしても頭の中に沸いてきた。


(また、あの生活に戻れるかな)


 あの孤児院での時間は最も心が安らぐ瞬間だった。

 あの安らぐ時間が再び戻ってくるかはわからないが、少しずつでいい、いつか自分が最も心安らぐ時が来ることを祈る。

 しかしそれは自分の為というよりも、やはり人の為だった。ケープ市の人々が自分を不必要になるぐらい幸せを手に入れたくれたなら、おそらく自分もあの時に戻れるのだろう。

 ケープ市の人々が現在不幸かどうかは、アンジェラには分からない。

 だが、ここは思い返せば様々な事件が起こっている。文房具屋のコール、神官学校のロハン、そうして事情があって姿を消しているハンス。彼らは皆、それぞれの不幸を抱えている。目に見える範囲でこんなにもあるのなら、まだ目にしたことのない広い範囲では一体どれだけの不幸が散らばっているというのだろうか。


(私は、救えるの?)


 神に届く祈りはほんの数割、それも些細なことだけだ。

 それだけで人を救えるというのか。


「聖女様!」


 自分を囲む集団の中から突如として声が聞こえてきた。張り切った、というよりも興奮した口調だったので、様々な人間の入り混じった声の中でなんとか聞き逃さずに済んだのだ。


「聖女様! 願いを叶えてくださり、感謝致します!」


 老婆の声だった。

 なんとかこちらに来ようとしているのか、人の隙間から細い手が覗いていた。一所懸命振っているが、こちらから赴こうにも自分を慕い囲む人達が邪魔で近寄れない。


「ああ、ほんとうに、ほんとうに感謝します」


 何度かその声を聴いて、ああ、とアンジェラはこっそり呟いた。確か三日ほど前に彼女の願いを祈ったことを覚えている。息子の病気を治して欲しい、だが自分には医者に診せる金がない、だから神に祈りを、という内容だった。病気自体は大したことのないものだが、それでも医者にかからなければならないほど煩っていたし、薬を買おうにも先立つものはまったくなかった。


「息子は元気です……元気になりました。本当にありがとうございます」


 母と二人暮らしらしいが、老婆はもうろくに働けないのだろう。つまり息子がいなくなってしまえば、老婆は明日を食べることすらままならなくなる。そういう際どい生活をしている人がこのケープ市にもまだいるのだ。


「ええ、元気になってくれて嬉しいです」


 微笑みながらそう言うが、果たして聞こえただろうか。

 人混みの向こうからはまだ感謝の言葉が絶えず聞こえてくる。

 感謝されることにはまだ慣れていないが、こういう言葉があること自体が、自分のやっている事を正しく証明してくれていた。

 だからアンジェラは素直に受け取ることにした。

 こうして、人を救っていけば、きっと平和な時が戻ってくると信じて。




 ――その少女が聖女と呼ばれている。

 そう話を聞かされたのは、ハンスがあることを調べようとその新聞社に訪れた時だった。一応の客間に案内されたが、あちこちに新聞や本が散らかっており、最初から客人を受け入れる気が無いことを如実に表していた。


「だからねぇ。って、お前さん、まだ知らなかったのか」

「え、ええ……」


 煙草臭い部屋の中で噎せ返りそうになりながら、ハンスはそう頷いた。


「アンジェラって君の友達だろう? むしろこっちが話を聞きたかったぐらいだがねぇ」


 つまらなさそうに、アンドレアフはペンを指先で回す。突然訊ねてきたハンス・ハルトヴィッツには驚いたが、まさか今現在ケープ市を騒がしているアンジェラの事を知らないとは思わなかった。そうなると彼女の友人から話を聞き出そうにも、めぼしい情報は何も得られないだろう。


「コーヒーどうぞ」


 新人らしき女性が運んできたコーヒーを受け取ると、その熱さで思わず取り落としそうになる。ハンスは顔を歪めながらもなんとか振り返り、


「あ、ありがとう」


 と口に出した。女性はにっこりと笑いながら「いえいえ、お熱いウチに出来るだけ早めにどうぞ」とだけ告げて去っていく。妙に迫力を出していた女性の顔は、しばらく忘れられそうになかった。

 ハンスは飲んだら確実に舌火傷するだろう煮えたぎったコーヒーをテーブルに置く。


「すまんな、最近所長の秘密主義が半端なくてなぁ。外部の人間はできるだけ早めに追い出せと徹底してるんだよ。まったく、もっと気楽にいきゃぁいいもんを……」

「い、いえいえ、よく分かりませんがそんなもんじゃないですか。新聞社だし」


 そこまでして守りたい秘密でもあるんだろうかなどとハンスは訝しげに思うが、そこは新聞社だけあって、色々人に知られてはならない情報を握っているのだろう。


「アンジェラちゃんに関しては情報なし、か」


 ん、とハンスは眉を寄せた。今目の前の男はアンジェラのことを何と呼んだか。


「……ちゃん? ちゃん、なんですか?」

「聖女様として見りゃぁ、それはそれは高貴なお方だとは思うがねぇ。だがなぁ、お前さんも男だろう、そうだろう? なぁ?」

「は、はぁ」

「よぉっく見ると、ありゃぁ、あと一、二年後にはケープ市でも飛び切りの美人になる。マジで美人だぞ」


 ハンスは友人の顔を想像し、ある晩、道の真ん中で彼女を抱き締めたことを思い出した。あの時はそれどころではなかったが、今となってみればなんという恥ずかしいことをしたのだろうか。しかしあの時のアンジェラは弱っていたし、それしかハンスに出来る事もなかったとはいえ、確かにとびきりの美少女を抱き締めていた事実は拭えない。

 頭を抱えて悶えたくなる気持ちを必死に抑えつつ、なんとか冷静を装う。


「うむうむ、そうすりゃぁ圏内に入ってくるってもんだ。でも今はまだだ。だから可愛い事に免じてちゃん付けにしたい。だからアンジェラちゃん」

「しないでください。なんだかアンタが言うと変態じみて聞こえるから勘弁してください」

「はっは、手厳しい。だが意地でもやめんね」

「意地になることもないけどなぁ」

「まぁいいさ、それでな、二日前に突撃した時はちょっと人に邪魔されてインタビューできなかったんだよ。だがな、お前さん、アンジェラちゃんと仲がいいだろう?」

「まさか、俺を仲介してアンジェラに話を聞きたいっていうんですか?」


 渋い顔をするハンスに、アンドレアフは心の中だけで舌打ちをする。

 目の前の少年は何かしら事件に関わっているような臭いがするのだ。何も臭いだけではなく、アンドレアフなりに証拠もあった。しかしそれが大なり小なり、あまり自分は関わってはならない。――しかし向こうから訪ねてきたからには放っておくのも味気ない。ここは彼の話に付き合うべきか、慎重になるところだろうと気を引き締めながら、ハンスとの対面に挑んだのだ。あるいはその事件を調べていけば思い掛けないネタが手に入るかもしれないという下心は出来るだけ悟られないように。

 とはいえ、どれもこれも半分以上は推測に過ぎず、それを確信するにはより長くハンスと関わる必要があると思っていた。偶然にもアンドレアフはアンジェラの件について手をこまねいていたところだ。彼女の友人であるハンスを介せばゆっくり話が聞けるかもしれない上に、ハンスが何かしらボロを見せてくれるという期待もある。


「……すみません、ちょっと難しいです」


 舌打ちをしたのはこの返答を予期してだ。もし本当にハンスが何かに巻き込まれ、アンジェラを巻き込みたくないなどという軽いヒーロー気取りを演じているようならば、必ずこう返答してくるだろうと思っていた。ハンス自身は否定するだろうが、彼は自然とヒーローらしき行動を取る場合がある。


「なんとかならんかね。無茶な頼みだってのはわかってる。こっちもおまんま食い上げだ」

「駄目です。すいません、理由は言えません」


 少年は頑として断ってきた。その意志は固そうで、こうなってくると相当捻った説得の仕方しかないだろう。


「今度はこっちからいいですか?」

「おうおう、そういえば用事があったんだったな」


 あんまりこちらから話を聞いているのも変だと、一応話を聞く振りだけはしようと、アンドレアフは気楽にそう言った。


「新聞屋ってのがどこまで情報掴んでいるかわからないんですが、ある人物の家を教えてもらいたいんです」

「ほう、どの家だ?」

「童話作家、ベルンガルド・ベック」

「ベック? ……珍しいな、そんな人物を知りたいのか」

「ええ、どうしても必要なんです」


 ハンスが先日の晩に忍び込んだ行政官府の地下、そこから盗んできた本の著者名こそがその名前だった。自分で調べようにもあからさまに動けない今、童話作家の居場所を簡単に調べてくれそうな人を頼るのが一番手っ取り早いと踏んだのだ。


「一応出版社のほうには問い掛けたのか?」

「足は運びました。――潰れてましたけどね」

「潰れてた?」

「ええ、いくつか出版社を変えて本を出してるみたいなんですが、全て、悉く潰れてました」

「……いきなり焦臭い話になってきたな」

「そう思います。……それとは無関係で、彼の居場所を知りたいんですが」

「そうか。だが、いくら凄腕記者のわしでもベック個人の情報なんぞ持っとらん。絵本作家というぐらいしかわからんし、絵本なんぞに興味はないからなぁ」


 敏腕……? と、ハンスの口が動く。


「そうですか……調べてもらうことは可能ですか?」

「そういうのは探偵に頼むんだな。さすがにそこまで暇じゃぁない」


 予想していた答えの一つとはいえ、ハンスは肩を落とす。


「――お、そういえば」


 ふとある事を思い出し、アンドレアフはポケットから一枚の紙を取り出した。


「これこれ、一つ、頼まれ事をされておったんだ」

「はぁ」


 自分には関係ないとでも思っているのだろう、ハンスは気のない返事をする。


「こいつは面白いぞ。何しろここに書いてある特徴ってのがなぁ」


 そのメモ用紙を渡されて、ハンスは読んでみた。


「……なっ、これって!」

「それ、とある少年の特徴なんだが」

「ていうか……これ、まさかとは思いますけど――」

「名前は覚えやすかったからメモらなかった。というか、メモる必要なんぞなかった。知っている人物だからな」


 やっぱりと、少年は呟く。

 そこに書かれている特徴とハンスが見事に重なっているのだ。


「……俺を捜してる奴がいるってことですか?」


 少年の身体が傍目からでも分かるぐらい緊張している。彼なりに危機感があるようだ。だが、どういう危機感なのかまではアンドレアフにも分からない。

 むしろここまで露骨に反応してくれるとは、まさに予想外の出来事だった。


「別に大した人間じゃない。お前さんを見つけたら連絡をくれ、あるいは自分に会いに来るように伝えてくれ、とだけ言われてるんだよ」

「俺に……ですか」


 訝しげにそう呟くハンス。自分宛に手紙を送ってくる人間の顔でも頭の中に並べているのだろうか。


「その紙の裏に名前がある。覚えあるんじゃないか」

「え」


 引っ繰り返してその名前を見ると、ハンスは瞬間、言葉を失う。


「……どうして、彼が?」

「さぁ、しかし君たちは友人なんだろう? なら行方不明になった君を捜していてもおかしかぁないさ。色々と他をあたっているみたいで、わしンとこに来たのは、おそらく残された手の最後の最後ら辺だろうなぁ。普通は探偵やらそういうところに頼むだろうからな」

「こいつが今、どこにいるか……わかりますか?」

「学校とかじゃないか。生徒だろう。――ハンス、君も生徒だがな」

「俺は出来の悪い生徒なんで」


 苦笑いを浮かべながら、そう返事をする。


「出来が悪いかどうかは敢えて問わないが、んで、会ってどうするつもりなんだ? 逃亡者君?」

「……。別に逃亡してるつもりなんてないですよ」

「世間一般では行方不明だがな」

「結構調べてます?」

「全然。いや、調べてるっちゃぁ調べてるがな。泥の中に手を突っ込んで宝石を探してるようなもんだ。お前さんの関わってる事件ってぇのは、なんだ? このわしがここまで調べて何も手掛かりナシなんて、初めてのことだ。『何かあるのはわかっている』んだがな」


 だからこそ非常にもどかしい。宝石があるのは分かったのに、見えないそこに手を伸ばしてもなかなか掴めないのだ。それも当然だ。その泥の中が一体どれだけの深さで、どれだけ広いのかすら把握できないのだから。


「……それも、言えません」

「黙秘権ばっかりだな。まったくもっと口の軽いガキンチョならやりやすいんだがな」

「調べるのは止めませんよ。止めて欲しいとは思いますがね」

「忠告のつもりか? 有り難く受け取っておこう」


 にやりと笑いながら、アンドレアフは懐から煙草を取り出す。


「その紙はやる。だからとっととコーヒーを飲むんだな」

「はいはい。ありがとうございます」


 ハンスは程よく冷えたコーヒーを一気に煽った。

 信じられないぐらい、そのコーヒーは苦かった。



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