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死神少女  作者: 平乃ひら
Sirben
104/163

104.純粋な人達6

 時間はもうとうに昼を過ぎていた。あまり減らない腹に感謝しつつ、昼抜きでベルンホルトはケープ市を歩き回っていた。いくら広いケープ市といえど、一人の少女を捜すとなれば自然とその探索範囲も絞られてくる。目的の少女の自宅から学校までの道程を張っていればいいのだから。

 聖女と呼ばれている少女は、最近よく一人の神父を従えて市内を歩いている姿が目撃されているという。神父のほうは身なりこそ巡回神父のそれだったのが、どうして一人の少女に付き従うようにしているのかは謎だった。

 ベルンホルトが偶然でも出会えないものかと歩いていると、意外とすぐに遭遇することとなる。疲れたから近くの店でコーヒーを頼んで椅子に座っているところ、道を行くアンジェラ・アデナウアーを視界の端に捉えたのだ。ウェイトレスが運んできたコーヒーに口すらつけず、ベルンホルトは彼女の後を付けていく。


「あいつが巡回神父……」


 噂通り、まるで付き従うように、大きなバッグを背負った一人の神父が彼女の斜め後ろにぴったりとくっついていた。たかが生徒の後ろに神父がくっついているという、それだけでも異様な光景だったのに、さらにベルンホルトを薄ら寒くしたのは、アンジェラが通っていく道で出会う人達の半分以上が振り返り、頭を下げたり祈ったりしているのだ。まるで神が道を行くかの如くである。


「なんだ、これは」


 道行く人達が、ただの少女に、頭を下げている。

 本当に聖女ではないかと自分の目を疑うような光景だ。ただ才能があり、性格が良くて、容姿の良い、それだけの少女がどうしてここまで人の頭を下げさせることが可能なのか。他の町ならいざ知らず、このケープ市は独自の宗教観が根付いており、こんなことはまず起こらない筈だというのがベルンホルトの見解だ。


 ――聖女様の願いが神様に届くんです。


 今まさに目の前の事態こそが奇跡に近い。


「聖女……アンジェラ」


 もの凄く危険な状態としか思えず、背筋が寒くなったのも自然と肯けた。

 それとも所詮噂は噂に過ぎず、アンジェラはしたたかな娘だったということか。


(しかし、こんなことをして何の得がある? 下手をすれば本部に目を付けられる)


 余所の宗教を全て一掃した本部に知れ渡れば簡単に潰されてしまうかもしれない。彼の目から見て、今のこれは本部が望んでいることとは到底思えず、もし歴史上二度目の制圧がケープ市で行われてしまえば、今度こそこの市唯一のシャングリラ教会、並びにアンジェラは簡単に叩き潰されてしまうことだろう。それだけならまだしも、アンジェラの父親はケープ市市長なのだ。下手をすれば予想以上の混乱が発生する危険性は十分考えられる。


「……あの神父、どうしてそれを見過ごすのだ」


 まるで本部公認と云わんばかりに付き添うあの神父が嫌に不気味だった。

 有り難がる人々の間をすり抜けて、なんとか少女へと近寄っていく。

 途中で彼女も気付いたのだろう。自分に近付いてくる男へと目を向ける。その顔には僅かな驚きと不信感が混じっていた。そんな少女の前に立ちふさがったのが、例の神父である。

 真正面から眺めてみて初めてその神父がまだ二十歳そこそこの青年だということを知る。付き添っていたとはいえ、遠くからだともっと年齢が上に思えたのだ。


「それ以上近寄らないでください」


 神父が片手でアンジェラを背後へと押しやった。


「少し、話をさせてくれないだろうか」

「お断りします」

「聖女とは随分と庶民に優しくないのだな」

「聖女だからこそ、ですよ。申し訳ありませんが迂闊に知らない人間を彼女に近づけるわけにはいかないのです」


 万人受けしそうな笑顔だが、断固たる拒絶の言葉だった。


「――待ってください。ホマーシュ神父」


 緩やかに穏やかな声が聞こえてきたと思えば、神父が手を止める。


「話をさせてくれませんか」

「それはお断りします。アンジェラさん、貴女は今、このような者と会話をしている暇はありません」

「あの、ホマーシュ神父、私を聖女にしたいのなら、こういう人達こそ話を聞かなければならないと思います」

「……なるほど、確かに聖女には必要でしょうね」


 神父が苦笑しつつ、改めてベルンホルトへ向き直った。

 するとその顔が突然凶悪に歪む。


「……何か、私の顔についていたかね」


 わざとらしく質問すると、神父は「いえ」と一言だけ呟き、先程と同じく笑顔に戻る。しかし今度は万人受けしそうもない、かなり無理矢理作ったモノだった。


「それで、えっと、私に何をお聞きしたいのでしょう」

「君は聖女という者を知っているか」

「聖女を……ですか」

「聖女とは、神聖なる功績を挙げた者、あるいは神秘なる力に恵まれた者を呼ぶ。確かに慈愛に満ちていれば、なるほど聖女たり得るかもしれんが、おそらくはそうではあるまい」


 唐突に語られた言葉に、彼女なりに内容を理解しようとしているのか、アンジェラが難しそうな顔をする。


「……申し訳ありません。仰っている意味がいまいち」

「つまりだ。アンジェラ・アデナウアーは今、聖女たり得ているのかね」

「私が……?」

「しかし聖女は自らを聖女とは名乗らない。それは本人ではなく、周囲の人間が決めることだ。そして聖女とは、一目でそうだと悟らせる力を持つ」

「……。それが聖女だというのなら、私は……」

「人間は聖女にも、神にもなれん」


 アンジェラがびくりとするのが分かった。その整った綺麗な顔が僅かだが歪む。


「……知って……知って、ま……」

「そこまでにしていただきましょう」


 突然神父が割り込んできた。


「少々、度が過ぎるとは思いませんか。――少なくとも貴方とアンジェラさんは初対面でしょう」

「ああ、そうだな」


 初対面でいきなり持論を語ろうとすれば、誰だって止められることだろう。しかもその内容が聖女と崇められる少女に向かって「お前は聖女ではない」とはっきり断言したようなものなのだから。

 これ以上少女と語るのは難しいだろう。何にしろ胸に溜まったものは吐き出した。もうアンジェラの事は忘れ、今後の余生をゆっくり過ごすべくこの場を離れようかと、ベルンホルトは別れの挨拶をしようとしたところだった。


「少なくとも貴方のやり方とは違いますよ」


 神父のさりげない一言は、彼を硬直させるに足る、十分な威力を秘めていた。


「アレが偽物だったので諦めていましたが、まだ生きていたんですね。――しかし、この僕に見つかったからには、もう後はありません」


 あくまで自分にだけ聞こえるように話しているのだろう。視界が絞られ、まだ若い神父のみの映像だけが脳に送り届けられる。

 あくまでその顔は笑っていた。


「いつかお伺いします」


 そして心の中では嗤っていた。

 その時、ベルンホルトが彼に抱いた感傷はとても不思議なことに――純粋な青年だ、だった。




 その後、ベルンホルトはアンジェラに関わろうとはせず、生徒達のうわさ話でのみ情報を得ていた。

 彼はアンジェラをどうしようというのか――という疑問は愚かで、非常に簡単だった。過去、己が同じ道を歩んだように。しかし今更あの青年を止める権利はない。アンジェラに対面したのですら過ぎたことだと、少々後悔しているのだ。

 コン、と部屋のドアが叩かれる音がして、椅子に座り伏せていた顔を上げる。


「ベックさん、みんな待ってますよー」


 生徒の一人であるあの少女が自分を呼んでいる。彼女達はアンジェラという偶像を信じている。そうでなければ毎日アンジェラの名を聞くことはない。彼女は作られた聖女だ。そしてこの町の環境からして、もし聖女が受け容れられればその影響力は予想を超えるものになるかもしれない。結局のところこのケープ市の住民は、かつてこの町を救ったというアンクウという人物を偶像化しており、それが国教を軸とした、しかし全く別の新たな宗教を生み出したきっかけとなったのだ。

 そのアンクウを再び創り上げて利用しようとする人物が現れた。

 いまだ純粋な子供達はそれに気付かず、アンジェラという聖女に神でも重ねているのだろう。


「なんだ、簡単なことではないか」


 ベルンホルトは自らの笑いを堪えきれず、くつくつと卑屈な笑みを浮かべた。


「あいつは……あの若造は、私の二番煎じに過ぎん、ということか。愚かだ、なんという愚か者だろう」


「ベックさーん?」

「ああ、すまん、今行く」


 子供達に呼ばれて部屋を出る。今日は生徒の数が多いのでとても部屋には入りきれず、自然と青空授業となった。

 今日も無邪気に笑い、学ぶ子供達に囲まれ、いつまでもこの平和が続くことを祈る日々が始まる。アンジェラとあの神父のことなど忘れ、こうして変わらない日常を送ることこそ、七年前に自分が誓った願いそのものだった。

 ――しかし。

 それが単純に許されるわけもない。男は、許されない立場にあった。


「お前が、ベルンホルト・ベックか」


 聞き覚えのない男の声が、聞こえてきた。

 子供達が不思議そうな顔をして、コートを羽織り、煙草を燻らせる長身の男を見上げている。


「そうだが、お前は誰だ?」

「まぁ、当然顔なぞ覚えちゃいないだろう」


 煙草を吐き捨てた男は、その目に悲壮な覚悟を浮かべて、呟いた。


「Eins……というのが、分かり易いか」


 驚愕によって目が開かれる。

 決して耳にしたくなかった数字と、その数字を名付けられた人間がそこにいた。


「……そうか、もう来たのか。なら、私の本名を知っているのだな」

「ああ、俺がスティーブと名乗っているように、お前も偽名を使っていたんだな。ベルンホルトの名前だけじゃ分からなかった。気になって調べさせたら、まさかここに行き着くとはな」


 まだ火を燻らせている煙草を、力を込めてスティーブは踏みにじった。


「さて、過去を清算しようか。アウグスト・メルゲンブルグ」


 ベルンホルト・ベックは久しぶりに聞くその名前を――実に疎ましく思った。



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