102.純粋な人達4
ベルンガルド・デックという男は朝食の為によくその店へと訪れていた。
いつものように切り込みを入れたパンに野菜とソーセージを挟んだものとポテト、そしてコーヒーをセットで注文し、定位置となっている一番右奥のテーブル席に座る。薄暗い店内の中に入ってくるもう一人の影を目敏く発見し、ウェイトレスにもう一つコーヒーを注文した。彼はここへ来るととりあえずコーヒーを飲む。それが朝だろうが昼だろうがお構いなしだ。ただし酒類だけは夜にならないとやらないところが実に真面目な男らしい。
「悪いね」
その一人が向かいの椅子に座り、首を回す。朝からの労働はその歳には堪えるだろうと尋ねると、生活のためだ、と返された。まったくどうしてその通りだ。このケープ市はいかんせん福祉には無関心ともいえる環境で、老人には優しくない。しかしこの市に生きる彼らの姿は実に心を爽快にさせてくれる。
「新聞配達の具合はどうだ?」
「いつも通りさ。いつもいつも変わらない。このまま時が止まってしまったかと思うぐらいになぁ」
運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、その新聞配達は溜息をついた。
「だが、最近は記事が目まぐるしい」
「なんだかんだで戦争も近いというし、やはり世界情勢は良い方向に進まないもんだ。それになコンラッド、このケープ市は一見止まっているように見えて、それこそ目まぐるしく変わっている。ようは私達がそれを感じられないぐらい歳を取ってしまったんだよ」
「ああなるほど。だから腰が痛いわけだ」
「そうだろう。歳は取りたくない」
「何を言ってるか。お前はまだ若いだろうに」
「もうとっくに五十も半ばだ。それに最近はろくに仕事もしてないから、身体も鈍り気味だよ」
苦笑混じりに、ベルンガルドはテーブルの上に置かれているポテトを頬張った。
「……もう絵本は作らないのかね?」
「ああ、もう作らない。俺の夢はあの時止まっちまったからだ」
「そうか。ならいい。ところで最近色々と変な話を聞いているのだが、何か知ってないか?」
変な話、というところでベルンホルトは顔を上げる。深い皺の老人が美味そうに食べるポテトだったが、そろそろ冷えてきている頃だ。揚げ立てと豪語する割には大して熱くないポテトだったが、味は決して悪くはない。
コンラッドは口の中にあるものをコーヒーで流し込んでから、ゆっくりと喋り出した。
「そうさなぁ……この間、わしが新聞屋に乗り込んだのは知っとるか? あれは愉快だったぞ。あの時は別のことで頭がいっぱいだったのだが、今となってはよくぞやったという気分だ」
「無茶をする。文屋の連中はほとほと困っただろう」
「んでだ、乗り込んだ理由ってのが、その前に知り合った神父が奇妙な死に方をしたからだよ。あの時以来、このケープ市は何かと事件が絶えない気がしてなぁ。一見平和だが、首筋に氷を押しつけられたような冷たさがあるんだよ。わかるか? あの時以来だな」
「あの時、というより看護師の事件からだろう」
「ああ、そう言われれば……」
「新聞屋のまねごとをして、事件を探っているつもりか?」
「奴らと一緒にするでない」
ふて腐れながら、さらにポテトを頬張る。もう残り少ないそれの追加注文をすべきかどうか悩み、やめておくことにした。これ以上頼むとより話が長引きそうだからである。
「変な話っていうのはだな、その殺された男が神父で、殺人を担当する役だったんじゃないかってぇ話だ。お前さんは物知りだろう? 何かその辺のことを詳しく知ってないかって思ってなぁ」
「分からんね。かつては知っていたかもしれないが、今の私には何も分からない」
「まだるっこしい言い方をするもんだ」
「どうしてそんなことを調べる? 他の者ならいざ知らず、何故お前が?」
「その神父がただの人殺しだったってのに、納得いかねぇんだ。あの神父が訪れる前後から、このケープ市は不穏な空気が漂っている。……今までこの町で暮らしてきて、ここまで背筋が凍る日々を送るのは初めてだ」
「はは、まるでオカルトだ」
「オカルトでもだ。出来るだけ手を打っておきたいだろう? あと何年生きるか分からん老体だが、いや、だからこそ訳も分からず理不尽な事に巻き込まれたかぁないね。死ぬときは穏やかに、神の下へ、だ」
「なるほどな」
ベルンホルトはコーヒーを全て飲み干して立ち上がる。
「そのことに関して、私から協力できることや教えることは何も無い。無いんだよ」
「……そうか」
コンラッドの顔に何か寂しげな影が差す。敢えて見なかった振りをして、ベルンホルトは店を出て行った。