101.純粋な人達3
先程見たときはあの神父が庭にいたこともあり、そこへと向かう途中、ちょうど玄関から入ってくるホマーシュと出会した。
「おはようございます、アンジェラさん」
ホマーシュはいつもと変わらぬ笑顔でアンジェラに挨拶をしてくる。自分も同じように普段の挨拶が可能だろうかと心の中で訝しげに思いつつも、なんとか笑みを浮かべて挨拶を返した。
「今日はどのようなご用件で?」
「ええ、大事な用があるのです」
てっきり学校へも行かない自分を叱りに来たのかと思いきや、どうやらそうではなさそうだった。
「ここでお話するのも何でしょう。お邪魔してもよろしいですか?」
「……はい、どうぞ」
奥へ入れることを躊躇うが、今更追い返せもしない。
「大事な話ですので、奥様も是非ご一緒に。旦那様はもうお仕事へ?」
「そうですの。神父様から大事なお話だなんて、緊張しますわ」
母は冗談めかしてそういうと、ホマーシュも笑みで答えた。
「ええ、とても大切なお話です。特にアンジェラさんの将来に関わることですので」
――その言葉に、何故かアンジェラは首筋が冷たくなった。
応接間に通されたホマーシュは促されるままにソファーへと座り、アンジェラとその母もテーブルを挟んだ向こう側へ座る。
「それで、お話とはなんでしょう」
「まずはアンジェラさん、貴女が神の奇跡を起こせる身というのはご存知ですね?」
「神の奇跡? この子が?」
真っ先に反応したのは母だったが、アンジェラはただ言葉を詰まらせただけだった。その奇跡とはまごうことなきあの悪夢のことを指しているからだ。
「神父様、それは一体?」
「彼女の祈りは大いなる主に通じるのです。この間のことですが、それが証明され、僕も大きな感銘を受けました。僕としては彼女の奇跡をもっと大勢の人に知ってもらい、希望の光となって欲しい」
「ま、待ってください。どういうことなんですか? なんでアンジェラが?」
「アンジェラさんが敬虔な信者なのは有名です。それに才能もある。これだけ町の人間に慕われ、聖女のような心の持ち主です。それがおそらくは奇跡を生み出したのでしょう。もちろん冗談ではありません。それは何より彼女自身がよく分かっている事ですから」
「そうなの、アンジェラ? 何があったの?」
「……私は、その……奇跡、なんか……」
「だが、祈りは天に通じました」
その言葉が胸に突き刺さる。届いた祈りはあの虐殺を生み出した。そして何の罪もない少年の命すら、無常にも奪ってしまったのだ。それはすべて自分が祈ったせいであり、あの時祈らずにおればあんなことは起こらなかった。祈りは通じる。しかし、通じた結果は想像と異なる。
「もし心に一点の罪悪感、迷いがあるのなら、もう一度だけで構いません。僕に任せてはもらえないでしょうか」
「……ホマーシュ神父、けど、私はもう」
祈りの通じる相手は神。
その神こそ父が創り上げた存在ではないだろうか、と苟も聖職者として学徒の身である自分が疑ってしまうのはいけないことだと、心の中で小さく首を振る。冷静に考えれば大いなる神を降臨させることなど不可能なのだ。父とハンスは、神に見える『何か違うモノ』を神と呼んだに過ぎないのではなかろうか。
だから、自分の祈る相手は本当の神であり、そして神への祈りは常に正しく自分ですら気付かない心の奥底にある願いを叶える。
それが心底から恐ろしかった。
「救われない魂はありません。あの子も、最期にはきっと救われたことでしょう」
何の根拠のない言葉だが、アンジェラにとってそれはとても優しく耳の中へと入ってきた。
「だから、私に今一度任せてはみませんか?」
あの、リュンの時のように、もう一度祈れということだ。
「私は……何が、出来るのでしょう……」
「貴女の心が常に清くあるならば、およそ全ての祈りが通じることでしょう。しかし壮大な祈りは神とて持て余すことでしょう。だから、貴女は貴女の願いたいことだけを祈ればいいのです」
「それは、とても危険です……私だってただの人です。いつ、どこで、心が変わってしまうかわかりません」
――それは父のように。
「だからこそ僕がいるのです」そう告げられた言葉にはどこか力があって、伏せていた顔を上げて神父を見ると、「お母様、お話が見えていないとは思いますが、お嬢様のことを任せていただけませんか――」
その神父は優しげに微笑んだ。