第十話 『決戦!』 4. パンドラの箱
巨大エレベーターのカウンターが目まぐるしく階数を刻みつける間中、礼也は何も言わず、ずっと二人の背中を眺め続けていた。
メガル本部別棟地下五十階。そこは限られた者しか立ち入ることを許されない、極秘中の極秘領域だった。先も見通せないほど広大な敷地の延長は闇に埋もれ、薄気味の悪さと相まって真夏だというのに冷気すら感じさせる。
そこへ桔平は礼也と雅を連れ出していた。
目を見開いたまま動くことすら忘れてしまった礼也に気づき、桔平が口火を切る。
「驚いたろ。こんなものが存在するなんてな」
おそるおそる振り返る礼也。
「……これは」
「ガーディアンだ」
「ガーディアン……」
戸惑いの表情を隠せずにひたすらそれを見続ける礼也。隣では雅が落ち着いた表情でその様子をうかがっていた。
ガーディアンと呼ばれる人形の石像を足もとから礼也が見上げる。一つの岩から切り出したような巨神像の高さは、ゆうに五十メートルはありそうだった。下からでは腹部より上のディテールはよく読み取れない。薄明かりのため輪郭すら浮かび上がらないせいもあったが、目の届く範囲でさえ特別な装飾もないシンプルな造形であったことから、それが単に人のシルエットを象った岩のようなものであろうとは推測できた。
「……何なんだよ、こりゃ」
ようやく礼也が言葉を絞り出す。それに頷いて桔平が説明をし始めた。
「正直言って何なのかはまだはっきりわからん。だがこれがプログラムに対抗するための切り札だってことは確かだ。アスモデウスの発動と同時に、凪野博士が砦埜島から慌てて持ち帰ったものだ。奴らに破壊される前にな。おそらく、こいつがパンドラの箱だろう」
「パンドラの箱……」
「こいつを探し出し謎を解明することが、プログラムの発動キーだったのかもしれないってことだ。俺達は奴らに認められた。滅ぼすに値する文明だと。竜王だけでなく、こいつを取り返すためにプログラムはメガルへ集中する。いや……」認めたくない言葉を飲み込む。「こいつは全部メガリウムでできている。アメリカもロシアも、世界中の先進国すべてが、喉から手が出るほど欲しがっていたレアモンだ。こいつをかすめ取るために数知れない情報戦が繰り広げられてきた。メガルなんていつでも潰せるのに、大国と呼ばれる連中が犬っころのように尻尾振ってすり寄ってきたのも全部そのためだ。だが砦埜島に隠蔽していたこいつを独断で占有したことで、メガルは世界中を敵にまわした。はっきりとな」
「……。なんだ、メガリウムってのは」
「不可能を可能にするワイルドカード、ってとこか。人間が考えつくことで、できないことはない」
「はあ?」
「おまえ、産まれたばかりの赤ん坊がプロレスラーに勝てると思うか?」
「……んなの無理に決まってんだろが」
「じゃあ不可能だ」
「はあっ!」
「おまえは正しい。一般的な常識があれば誰だってそう答えるに決まっている。だがな、もし漠然としたイメージじゃなく、明確にそのプロセスを想像できるのなら、それも可能になるかもしれない」
「……。何言ってんだ、あんた」
「勝手にリミッターかけてるうちは、こいつは石の塊でしかないってことだ」
「?」
まるで意味を理解できずに礼也が首を傾げる。
「まあいい。わかれって方がどだい無理な話だ。大事なのは、もはやどちらが先にしかけたのかとか、何のための攻防かなんて、考察する意味すらないってことだ。今となっては俺達はこいつを守っていくしかない。内や外のあらゆる敵からな。こいつの情報は竜王の時と同様、竜王の感応システムを介しておまえ達の方が詳しく知ることができるはずだ」
「……。でも俺達は何も知らない」
「ああ……」目を細めガーディアンを見上げる桔平。申し訳なさそうにつないだ。「まだ封印が解かれていない。それまでは単なる石像にすぎない」
「封印……。それはどうやって解くんだって」
「……。十三年前、博士は三体の竜王とともに何枚かの石版を砦埜島から持ち帰った。ヒエログリフみたいなやつだ。あるものはガイア・カウンターの解析情報だったり、別の一枚にはオリハルコンの精製方法が記されていたりする。その中の一つにこいつを起動させるキーがあるはずなんだが、それを知っているのは博士と司令官の進藤だけだ。俺達には何も知らされていない」
「……」
「俺が必ずその封印を解いてみせる。それまではおまえらだけでふんばってくれ」
決意の表情でガーディアンへと向き直る礼也。
その横顔を雅は心配そうに眺めていた。
「今から簡単な説明だけはしておく。現時点でわかっていることはまだほんの一部だけだから、そのつもりで聞いてくれ。……ん、なんか言ったか、みっちゃん」
「ううん」桔平に顔を向け、雅が力なく笑う。「何も言ってないよ」
「そうか……」
桔平が礼也への説明を始める。
雅は淋しげに眉を寄せ、再びガーディアンを静かに見上げた。
『お願い。もう少しだけ、待って……』
心の中で、そう呟きながら。
薄暗い病室で光輔は一人テレビに見入っていた。上半身を起こし、顔を横に向けている。
画面の中では遠巻きにアスモデウスを臨みながら、戦々恐々と中継し続けるリポーターの姿が映し出されていた。
直径六キロメートル以内を焦土と変えた悪魔の業火。
他人を押しのけ逃げ惑う人々の様を何度も流し、それに乗じた暴動や火事場泥棒の様子も沈痛な面持ちで語られる。
そのすべてがアスモデウスのせいだとまとめられた。
中枢機能が麻痺した首都のかわりに、多くの都市が暫定政府の候補地として名乗りをあげていた。大阪、名古屋、仙台、福岡。そこにあるのは、たてまえにうたわれるような助け合いや犠牲的な精神ではない。混乱沈静後の待遇と、自治体としての優位な位置取りが透けて見えていた。
国を取り巻く諸外国のスタンスはさらに淡々としたものだった。多国籍軍派遣を全世界的に報じる一方で、スポーツの国際大会と権威ある映画祭は予定通り開催されることが伝えられた。
現状に蹂躙され、わけもわからずに逃げ惑う輩を除き、誰も己や、ましてや他人のこと、自分達が未来をつなげていかなければならないその世界のいく末を愁い、そして憂う者はいなかった。
室内に照明が灯る。
雅だった。
「電気くらいつけてよ。目が悪くなるから」小物入れの上にゲーム機を置く。「ゲームここに置いとくね。あんまりやりすぎちゃ駄目だよ」
光輔はずっとテレビを見続けていた。やがて振り返ることもなく、ぼそりと呟く。
「こんなふうに見えてたんだな」
「ん?」
「こんな感じで、今まで人ごとだと思って見てたんだな、みんな。まさか自分が危険な目にあうなんて、全然考えもせずにさ。自分だけは何があっても大丈夫だって勝手に信じて……」
「……光ちゃん」
「夕季に怒鳴られると思ってた。何、情けないこと言ってんだって、すごい目つきでまた睨みつけられてさ。でもあいつ、笑ってた……」
目を細め、雅が悲しそうな表情で光輔を見つめた。
「俺、夕季があんなふうに笑うの初めて見た。あんなふうに泣くのも。自分勝手なこと言ったの俺の方なのに、あいつあんなに優しい顔でさ、もう戦わなくていいって。俺、そのつもりだったんだけど、ほっとしたはずなのに、なんでだろ、すごく苦しくて、つらくて……」
光輔の肩が震え始める。やがて嗚咽が部屋中を隙間なく埋めていった。
眉を寄せ静かに雅が近づいていく。そっと光輔の体を抱きしめた。
「あれでよかったんだよ。誰に頼まれたわけでもないのに、光ちゃんはずっと一人で頑張ってきたんだもの。みんな光ちゃんに感謝してる。夕季も礼也君もわかってるよ、きっと。桔平さんだってわかってくれてる。誰も光ちゃんのこと責めたりしないよ。だから、もう自分を責めないで」
「うっぐ……、ぐっ」
「頑張りすぎだよ。光ちゃんのくせに……」
子供を慰めるように、つつみ込むように雅が光輔に覆い被さる。
「ねえ、光ちゃん。来週、花火大会、観に行こっか」
光輔の背中を優しく撫でながら、雅は穏やかな声でそう囁いた。
「俺には逃げるなって言ったくせによ……」
病室の外で壁にもたれながら、ふう、と礼也が息を吐き出す。そして焦点の定まらないまなざしを薄暗い通路の天井へと泳がせた。