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第十話 『決戦!』 2. 命



 桔平が動きを止める。その言葉が信じられずに聞き返した。

「何だって?」

 一呼吸置いて話し始めた光輔の声は、弱々しくはあったが心からの叫びだった。

「俺の考えが甘かったんです。覚悟してたつもりだったのに、きっとどこか軽く考えていたんだと思います。まさか死ぬはずがないって。何があっても自分だけは大丈夫だろうなって。でもわかったんです。あんなのに勝てっこない。こんな目にあって、また平気な顔で戦うことなんてできない。行けば必ず死ぬってわかっているのに、どうして行かなければいけないのかなって。俺は夕季や礼也みたいに強くなれない。これ以上やれば足手まといになって、きっとみんなに迷惑かける」

「何言ってんだ、おまえ……」

「怖かったんです。すごく。わけもわからないまま、あの時死んでいたのかもしれないって思ったら。自分もそうだし、反対に夕季や礼也がそうなっていたらって考えたら、怖くて、怖くて……。目の前に死にそうな人がいたら、きっと俺、夕季みたいに冷静ではいられない。うろたえるだけで何もできない。誰かが死ぬのを黙って見ていることしかできない。りょうちゃんの時みたいに……。もう、あんな思い二度としたくない。俺は、夕季とは違う……」

「何が違う!」

 桔平の怒鳴り声に光輔の体がすくむ。ゆっくりと顔を向けた。

「夕季とおまえの何が違うって言うんだ。こいつが好きこのんであんなおっかねえモンと戦っているとでも思ってんのか! おまえ、こいつがどんな気持ちでおまえのこと……」

「いいよ、桔平さん」

 怒りがおさまらない桔平をなだめに入る夕季。疲れたように笑ってみせた。

「あたしもその方がいいと思う。桔平さんだってわかってくれたじゃない」

「だがな、夕季。俺はこいつがこんな腰抜けだとは思わなかった。陵太郎の弟分だからって無条件にこいつを信じてきた自分に腹が立つ!」

「光輔は腰抜けなんかじゃない」

 夕季の優しげな声に光輔の心が揺れた。

 目を向けると穏やかに見つめる夕季のまなざしがあった。

「光輔は勇気がある。あたしなんかよりずっと。光輔のことを悪く言う人間はあたしが許さない」

「夕季……」

 桔平の勢いを削ぐ夕季の楔。

「よく言ってくれたね、光輔。もっと早くそうしてほしかったけど、あたしも言い出せなかった。いつかこうなるんじゃないかって気がしてたのに、止めなきゃってずっと思ってたのに何もできなくてごめん。光輔はもう充分すぎるくらいやってくれてる。そんな顔しなくていい。もっと胸を張って自分がいるべき場所へ戻ればいい。光輔はあたし達とは違う」

 夕季が光輔ににっこりと笑いかける。それは光輔が見たことのない顔であり、何度も自分をつつみ込んでくれたかけがえのない記憶そのものだった。

「光輔、今までありがとう。後のことはあたし達に任せて。助かってよかった。早く良くなるといいね……」


           *


「桔平さん!」

 無線機を手に、夕季は救いを求めるようなまなざしで光輔を見続けていた。

 息もせずにぐったりと横たわる光輔を前に、夕季は何もできずうろたえるばかりだった。

 焦って視線だけをうろうろと泳がせる。

「桔平さん! 夕季。助けて! 光輔が息してない! どうすればいいの! 教えて、早く! ……。そんなの、覚えてない! ……うん、……うん。……わかった、やってみる。……。異物って! ……血がたくさん出てる。え! うん、気道……。まだ切らないで! お願い! 絶対切らないで! ……うん……」

 桔平からの指示で心肺蘇生を試みる。過去に一通りのレクチャーは受けていたが、パニックに陥った現状においては自らの判断で実行する余裕などなかった。

 逢魔が時の空はいつになく澄み渡っていたが、常ならば街の至る場所から突き刺さるきらびやかな明かりがまるでなく、海竜王のコクピットから落ちる補助ライトの薄明かりだけが頼りだった。

 口の中から指で異物を取り出し気道を確保しようとする。固形物は見当たらなかったが思いのほか出血がひどく、口腔から血だまりがなくならなかった。それがどこから流れ出ているのかも確認できない。

 それでも夕季には悠長なことをしている時間はなかった。

 瞬きも忘れ、唇を合わせて口内の血を吸い出し、ベッと吐き出す。

「うっぐ!……」血の匂いでむせて涙目になった。「がはっ、むぐ……」

『おい、どうした、夕季』

 状況がわからず心配する桔平に、はあはあと息をあらげ、ようやく夕季はかすれた声を絞り出した。

「……何でも、ない」

 光輔の胸に両手を重ね、心臓マッサージと人口呼吸を繰り返す。

「早く、早く、息して、お願い……」

『夕季、落ち着け。焦らずに確実にやるんだ、いいな。じきに救護班が到着するからな』

 桔平の声も耳に届かない。震えが止まらず、焦りばかりが心を押しつぶそうとしていた。

「息して、お願いだから。しっかりして!」涙声で訴えかける夕季。血走ったまなこのまま、頬の涙をぬぐい取った。「お願いだから、息して!」

『おい、夕季。焦るな。落ち着いて……』

「そんなのわかってる!」

『……』

「わかってる……。……死ぬな、光輔。お願い、死なないで。……息して。死ぬな、死ぬな、死なないで……」

 どれだけの時間が流れたのかわからない。それを夕季は、ほんの一瞬のできごとのように感じていた。

 もっと時間があれば。

 もっと時間が欲しい。

 とめどなくあふれ出る涙をぬぐう余裕すらなくなり、ひたすらそれだけを望んでいた。

 両手に力を込め、ぐいぐいと光輔の胸を押す。何度も何度もそれを続けた。唇を重ね息を吹き込む最中にわずかに心が折れかける。最悪の結果が脳裏をよぎり、嗚咽が込み上げた一瞬だけ行為が中断しかけた。だがすぐに気持ちを立て直し、睨みつけるように息吹を注入し続けた。

「!」

 光輔の指先がピクリとうごめく。

 全身がかすかに痙攣するのを確認し、夕季がそっと離れた。

 破裂せんばかりの勢いで跳ね上がり、光輔が意識を取り戻す。

 ぜえぜえと苦しそうにあえぐさまを、夕季はただ眺めるだけだった。

 やがて、放心する夕季を滑稽なものを見るように、光輔が素っ頓狂な声を発した。

「夕季……。なんで……」

 精も根もつき果て、へたり込む夕季。

『おい、夕季、どうした! 光輔は! おい、夕季、返事をしろ!』

 状況報告を求め続ける桔平に応答する気力もなかった。

 震えも止まらぬまま、夕季は子供のように、うっくうっくと泣き続けるだけだった。

『夕季……』


           *


「本当にあれでよかったのか?」

 病室を出るや桔平が口を開く。

 夕季が頷いた。

 夕季の記憶の中では今も光輔の命が生死の境をさ迷っていた。

「光輔が死ぬかもしれないって思った時、すごく怖かった。不安だった。本当にこのまま目を覚まさないんじゃないかって。お姉ちゃんの時も……」

 遠く想いをめぐらせる夕季に、桔平はかける言葉が見つからなかった。

「あんな思いをするくらいなら、自分がそうなった方がいい」

「バカやろ、自分の命が一番だろ」あきれたように吐き捨てる。「命あってのものだねだ。自分の命を粗末にする奴には、何も守れねえぞ。同じこと何回も言わせんな」

「……自分しかいない世界なんて、なんの意味もない」

「いい加減にしろ」

「……」

「そういうことをしれっと言うんじゃねえ。口にしただけで消えてなくなるぞ。大事なモンは引き出しの奥にでもしまっとけ」

「……」

「おまえの発言はいちいち心臓に悪い。ったく、揃いも揃って似たようなことばっかほざきやがって。そういう恥ずかしいモンはなあ、誰にも見られないようにそのひん……、小さな胸の奥にこそっとしまっとくもんだ」

「……」口をへの字に曲げ、夕季が桔平を見上げる。「今、貧乳って言おうとした」

「……全然」

「絶対言おうとした」

「バカ野郎、言いがかりはよせ! 俺はおまえのことを貧乳だとか思ったことは一度もねえぞ! 勝手に決めつけてんじゃねえ!」

「だって……」

「いいか、世の中に絶対なんてねえんだ! 俺はな、貧相な胸だなおまえは、って言おうとしただけだ!」

「……」

「危なかったが崖ップチで踏み止まったからギリギリセーフだ。別にへこむことはねえからな。おまえのせいじゃねえし、遠目で見りゃ何とかごまかせるレベルだから安心しろ。ただ、しの坊や波野ちゃんと比べたら数段見劣りするってだけだ。特に波野ちゃんはズバ抜けてやがる。ボン、キュッ、ボン、ボン、だ。ボン、ボン?……。なんにせよ、聞けばパンツの色だって教えてくれる。毎日教えてくれる。時たまメチャクチャ機嫌悪い時もあるが、それでもちゃんと教えてくれる。望めば形まで教えてくれる。絵に描いてくれる。パースもディテールも正確だ。大事な書類の裏とかにボールペンで描いてくれたこともあった。もうすっかり取り返しがつかねえぞ。しかも決してローテーションをつかませねえ。ケタ違いにたけえそのプロ意識には、この俺をして脱帽だ。それを確かめる手段はねえが、そこはそれ大人の世界だ、野暮は言うな。それ以上足を踏み外せばセクハラだが、ギリギリセーフだな。むしろ俺が攻め込まれてる感じだ。まったく気の休まる暇もねえ。だってよ、なんの気なしに聞いて、いきなりヒモパンタイプのTバックがどうたら言われてみろ、そんなん仕事どころじゃねえぞ。腰砕けだ。その後、お一ついかがですか、とか言われて、紅茶のティーパック渡された日にゃ、真っ白に燃えつきるわ、マジで。ある意味パワハラみてえなもんだ。小悪魔なんてレベルじゃねえ。ありゃすでにメドゥーサの領域だな。いやいや、おまえにそこまでは求めてねえからな。おまえはすぐに手を出すのをなんとかしろ。てかな、比べたって仕方ねえぞ。奴らは完全体だからな。おまえみたいなのびしろはもうねえし。うん、おまえももうねえか……。ちなみにみっちゃんはガラパンオンリーらしい。あのぶらぶらっとする開放感がたまんねえそうだ。ポジションは落ち着かないけどね~、だってばよ。俺は腹を冷やさねえために中学に上がるまでブリーフにランニング入れて寝てたってのに、今時の女子高生は先の展開が読めねえ。たまにアイスの食いすぎで陣痛がきて学校休んじまうらしいし、メシ作るのがメンドくさいとすぐおごってメール入れてきやがるし、あれで不細工だったら顔面にパンチくれてやるところだ。いや、勘違いすんなよ。男はああいうウザ可愛い妹タイプに弱いもんだ。むしろ何も反応がねえと淋しくてそわそわしてきちまう。そんなもんだ。決して俺が特別なわけじゃねえ。そうやって俺を睨むのは勝手だが、覚えておけ。大人になりゃこんなことは日常茶飯事だ。俺もちっせえちっせえ言われながら、歯を食いしばって耐え忍んできた。氷のように冷たい世間の風も、路地裏で流れ星を見ながらいつも俺達頑張ってきた。ハンパじゃないんだ。確かに木場の方がちょっぴりでけえが、それは体が俺よりも二まわり以上でけえって理由がある。ゴリラえもんだからってことで、決して優れているわけじゃねえ。勘違いするな。形も悪い。見たらがっかりすることうけあいだ。鼻で笑うぞ。比率からいけば、むしろ俺の方がクオリティは高い。ここがポイントだ。重要だ。おまえももうのびしろは期待できねえだろうが、だったら形で勝負すりゃいい。少なくとも俺はそうしてきた。まだ手は出すんじゃない! 貧乳がどうした。鳳さんなんか頻尿だぞ。訓練中でもすぐトイレ行きやがる。頻尿よりゃ貧乳の方がいいだろ。仮にも乙女なんだからよ。乙女が頻尿じゃ、そりゃいただけねえぞ。いや、頻尿が悪いって言ってるわけじゃねえからな。俺だって冬場に缶コーヒー飲むと、発動まで三十分もたねえことはざらだ。むしろションベンがよく出るのは体にいいことだと思え。つまりは俺が言いたいことはそれだ。要するにもっと自分を大事にしろってことだ。ションベンは我慢するな。で」ぐいっと夕季を睨めつける。「何か言いたいことがあるなら言ってみろ」

「……」氷のまなざしを桔平の心臓に突き刺す。「ケーキ、おごれば」

「……。給料日の後でいいか?」

「……いいけど」






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