第九話 『絶叫』 11. 絶叫
燃え上がる夕陽に焼かれ、輸送ヘリの後部ハッチから空竜王が飛び立つ。白き翼を紅く染め、別の機体からダイブした陸竜王を背中から抱えて駆け抜けた。
『光輔』
二体から遅れて出撃しようとした光輔を桔平が引き止めた。
『あくまでもおまえは、あいつらのバックアップだからな。簡単に考えてんじゃねえぞ。最後にぎりぎりのところで奴らを救うのがおまえの役目だ。それまでじっと我慢の子だ』
「……」
『光輔、聞こえてんのか』
「……聞こえてますよ」
『ならいいが、くれぐれも勝手な行動は禁物だ。わかったな』
「わかりました……」
大型のパラシュートを広げ海竜王が降下する。足もとから圧縮空気を展開し、アスモデウスから十キロメートル以上も離れた地点に降り立った。
避難区域はさらに拡大し、中心部から半径三十キロメートル以内の領域がその対象となっていた。都内全域の住民が先を争うように逃げ惑う。誰もが他人を押しのけ、踏みつけ、突き飛ばした。我先と救いを求め、自らパニックの原因を作り出していることを理解するものは一人もいない。この恐怖にかられた集団心理こそが、プログラムのもたらした最大の被害なのかもしれなかった。
廃墟と化した高層ビルの陰に隠れ、礼也がアスモデウスの様子をうかがう。
時々瞬きのように両眼を発光させるが動く気配はない。
陸竜王の十倍はありそうな小山を見上げる礼也。体積ならば三千倍以上。それがどれだけの比重でどれだけの重量があるのか想像すらできなかった。
『礼也』
桔平からの無線を受け、わずかに気をゆるめる礼也。
『今回ですべて終わらせようと思うな。あくまでも目的は偵察だ。対策を練って出直すためのな』
「わかってるって。……!」
その時、尻尾の蛇と視線が合致した。いつの間にか陸竜王のすぐそばまで接近していたのだ。
途端にぼこぼこと湧き立つ無数の悪魔の表情。
全身のあらゆる箇所から、取り込まれただけの顔と目が現れ、一斉に礼也を睨みつけた。
『おい、礼也、どうした。聞いてるのか。正面からやり合おうなんて考えるんじゃねえぞ』
「……。同じことを奴らにも言ってみてくれって」
『礼也!』
無線を解除する間もなく礼也が陸竜王を急発進させる。
数瞬前まで陸竜王がとどまっていた場所は、無数の光の矢によって塵芥すら消滅していた。
それはレーザーのようであり、炎のようであり、溶解液のようでもあり、また水のようでもあった。
存在する目と口すべてから、それらは撃ち出されていた。
「シャレにならねえって!」
足底の高速ローラーで小刻みに、そして急激に体勢を変えながら、土砂降りのシャワーの中を滑り抜けて行く。陸竜王が通り抜けた跡は何も残らず、掘り起こされた大地の上にコンクリートやアスファルトの破片が乱雑に散らばるだけだった。
「くそっ!」ひたすらしのぎ、避けることしかできない。
横滑りした足もとを狙われ姿勢が乱れる。バランスを崩しながらもナックル・ガードを撃ち放ち、焼け焦げた高層マンションの壁に取りついた。蛙のようなかまえから全身のバネを使って跳ね上がる。跳躍の後、遅れて訪れた反発力と、死のシャワーにより建物が倒壊した。
着地地点を待ち受けるように襲いかかる猛威を回避できずに、陸竜王が地面に打ちつけられる。
間髪入れず強襲する蛇の頭。
「くっそ!」
「礼也ーっ!」
空から空竜王が駆け下り陸竜王を救い上げた。その直後、抉り取られたような大穴だけがぽっかりと穿たれる。
大地を噛み砕き、すぐさま反転する蛇の頭。鞭のようにしなり空竜王へ狙いを定めると、目にも止まらぬ速さでその背中に襲いかかった。
「ああああーっ!」
夕季の悲鳴とともに放り出される二体の竜王。
陸竜王はビルの中心に身を埋め、空竜王は無防備にアスファルトに叩きつけられることとなった。
すさまじい衝撃を受け、刹那夕季の意識が飛ぶ。はっと我に返った時、目の前に現れたのは大口を開けた大蛇の頭だった。
「くっ!」
逃げる間もなく食いつかれる。蛇の口は空竜王の右膝にガッチリと噛みつき、それを持ち上げるや、人形のように振り回し始めた。
「ああーっ! あああーっ!……」
脳を上下左右に振られ、何もできずに悲鳴だけをあげ続ける夕季。
ようやく立ち上がった礼也も、無限の弾幕の前に前進すら阻まれていた。
『くそっ、夕季ー!』
『あああああーっ!』
「どうした、礼也! 夕季!」
桔平の懸命な呼びかけにも、二人は応じることすらできない。
「万事窮すか。仕方ない、行くぞ」
「行くぞって、おまえ……」青ざめた顔を桔平に向ける木場。「今の俺達では近づくだけで奴の餌食になるぞ」
「だからってほっとけるか! 嫌ならてめーらみんな今すぐ降りろ」決意のまなざしに炎を宿す。「俺一人でも行く」
蛇の尻尾が空竜王を高く掲げる。そのままアスモデウスの仮面の前まで持ってきて静止した。
仮面の口が裂けるように大きく展開する。口腔では高出力のエネルギーが急速に収束しつつあった。
バチバチと弾け散る白い火花が夕季の表情を妖しく映し出す。
それは竜王をも一瞬で焼きつくす、悪魔の劫火だった。
「くっ!」夕季がアスモデウスを睨みつける。瞬きすらせずにその狂猛なまなざしに抗い続けていた。徐々に目がなれ出してはいたが、焦点合致までは今しばらくの時間を要するようだった。
バチッ!
アスモデウスの仮面が淡い光を帯び始める。チャージの完了が近いことを告げていた。
「夕季ー!」
夕映えの虚空にこだまする礼也の悲痛な叫び声が、巨大な影に吸い込まれていく。
否。
それは礼也の絶叫をかすめ、アスモデウスの巨体に突き刺さったのだ。
「!」
振り返る礼也。
アスモデウスの真正面から、海竜王がクローを射出した体勢で大地を踏みしめていた。
蛇の首筋に抉り込まれた銀の爪が鈍く輝く。
そのわずかな時間かせぎが夕季に機会をもたらした。
三……
ニ……
一!
焦点と平衡感覚を取り戻し、夕季が蛇の目にフェザー・ブレードを突き立てた。
グエエエッ、とうめくも、蛇の口は固く閉じたまま開かない。
すかさず自らの手で片足を切り落とし、空竜王が脱出を試みる。その直後、仮面から膨大なエネルギーが放出された。
天空目がけて放たれた光の矢が分厚い雲の塊を貫く。茜色のスクリーンが渦を巻きながら跡形もなく消し飛んでいった。
ケエエエエッ!
アスモデウスが右手の槍を差し上げる。頭上高くまで振り上げるや、海竜王目がけ一気に打ち下ろした。
かわす余裕はない。右腕に添えた左手のクローを突き出し、海竜王が咄嗟に攻撃を受け止めようとした。
「光輔!」
身を乗り出す夕季の眼前で、海竜王はアスモデウスの槍もろとも地中深くめり込んでいった。
「光輔、光輔ーっ!」
「くっそ!」
触角を甲虫の角のごとく押し広げ、狂ったようにバーン・クラッカーを撃ち続ける陸竜王。出力をマックスまで高め真紅へと変貌した体躯を晒し、アスモデウスの矛先を完全に受け入れようとしていた。
「夕季、光輔を早く!」
『わかった!』
陥没した大地に空竜王が降り立つ。装甲版がベコリとへこみ動かなくなった海竜王を抱きかかえると、すぐさま空へと飛び立った。
「夕季、礼也、作戦は中止だ!」無線機越しに桔平が叫び続ける。「早く逃げろ、そこから逃げろ!」
安全区域に降り立ち、弾かれるようにコクピットから飛び降りる夕季。両膝を立てた状態で上半身だけを起こした海竜王によじ登り、変形したハッチを力任せにこじ開けた。
ぐったりとうなだれる光輔の姿を確認し、血走ったまなこで呼びかける。
「光輔、光輔っ!」
光輔からの返答はない。外傷は確認できなかったが、顔をのぞきこむと鼻腔と口内からだらりと血が流れ出ていた。
懸命に呼びかけ、ゆさぶってもその意識は戻らなかった。
「光輔っ、しっかりして、光輔! ……。!」
光輔が呼吸をしていないことに気づき、夕季が絶句する。
「光輔っ! 光輔ーっ!」
夕季の絶叫が大都会の荒野に響き渡った。
了