第二話 『風に折れない花』 1. 柊桔平
柊桔平はあまり気乗りしない様子でメガル司令室へ入室した。
平常時コントロールセンターと呼ばれるこの場所へ、桔平や他の隊員達が足を踏み入れることはほとんどなかった。
呼び出しがあった場合を除いては。
高級ホテルのロビーほどもある広大なスペースで、多くの人間達が入り乱れる騒音の中、何十人ものスタッフが端末の前でおのおのの仕事をこなしていた。
その中の一人に近づいて行く。
「次の発動まであとどれくらいだ?」
「四十五時間です」問いかけられた女性オペレーターは、まるでそれがわかっていたかのように冷静に受け答え振り返った。「柊主任」
「きっちり百二十時間後ってわけか」
「ガイアはそう算出しています」その静かな口調とは対照的に髪はそびえ立ち、メイクも挑発的だった。
「相変わらずパンクだね、波野ちゃんは」
「恐縮です」桔平の軽口ににやりとする。「柊さんはロックン・ロールですか?」
「あん? ……俺のはただのレゲエだ」ボサボサの髪をかきむしった。「歌はアニキのしか聴かねえけどな」
「お兄さん、お二人いらっしゃいましたっけ?」
「おうよ」
「同じご趣味なんですか……」
「いや、ありえねえ」
「は?」
「俺のアニキはイチロウアニキとツヨシアニキだけだ」
「は?」
「え?」
話が噛み合わず、それでも波野しぶきはおもしろそうに笑ってみせた。緊急時、司令部からの指示はほぼ彼女から伝えられる。
「礼也は?」
「一昨日から姿を見せません。招集命令も無視しっぱなしです」
「そうか」複雑そうに目を細めた。「ま、仕方ねえか……」
「いかがですか?」
高級チョコレートの箱をしぶきが差し出す。
途端に桔平の表情がきらめき始めた。
「お、ルイスじゃん。これたけえんだよな。サンキュ」ガバッとわしづかみし、口いっぱいに桔平が頬張る。「う! 苦っ! これ苦っ! でもウマッ!」ゴクンと音を立てて飲み込んだ。「やっぱ苦っ!」
「ええ、ふざけるなって感じですよね」
「そうそう、タマも縮むよって感じだよな」
「へ?」
「は?」
年季の入った腕時計をちらと見やり、覚悟を決めたように桔平が、ふう、と息を吐き出した。
「さてと、そろそろ行くか。もっとにげえモン食いに……」
「心中お察しいたします」淡々としぶき。「ご無事で」
「サンキュー、波野ちゃん。心に染みるね。口先だけだろうけど」
「はい、口先だけです」
「あ、やっぱり……」
「政府はすべて地震のせいにしたか……」
司令部上段の特設スペースで火刈聖宜が呟く。この場所からは部屋全体を見下ろすことができた。
表情もなく続ける。
「街の復興にもメガルの財力に頼りきりだ。次の襲撃をどう捌くか見ものだな」
凪野守人は何も答えない。ただ難しそうな顔つきで、司令部正面のガラス張りから見渡せる海平線を眺め続けるだけだった。
波野からの連絡が入った。
『火刈局長、国防省がインプへの対応策の提示を求めていますが』
火刈がちらと凪野を見やる。その後面倒くさそうに返答した。
「頭部への集中攻撃を心がけろと言っておけ」
『わかりました。そう伝えておきます』
「火刈総司令」
ようやく凪野が重々しい口を開く。
「何故、三竜王を同行させた」
火刈が振り返る。冷淡なまなざしを凪野へ向けた。
「三竜王でなければ、あれらを倒せないだろうと判断したためです。事実、予想通りの展開となりましたが」
「貴重な第一オビディエンサーを一人失ったこともか」
「それはあくまでも結果です。あの時点ではああするより他に手段がなかった」
「エネミー・スイーパーも動かさなかったらしいな」
「メック・トルーパー部隊の指揮権は私にあります。有事の際の全権も政府から一任されています。私はメガルを守るのが最優先事項だと考えていますが。それとも博士は、ご自分が砦埜島から戻られた時にメガルが消滅していてもよろしかったとおっしゃられるのですか」
「……。何故発動が早まった」
睨みつけるような凪野の視線もものともせず、長身の男、火刈は淡々とそれに受け答えた。
「それは私にもわかりかねます。太古のプログラムであることを考慮すれば、一日くらいの誤差は許容範囲だとすべきではないでしょうか」
「……」
「また大仰なものを持ち帰ってこられましたな」
口もとだけの笑みで火刈も窓の外に目をやる。
目線の先には、巨大なシートに包まれた高さ数十メートルはあろうかという物体があった。
「あれが本当に我々の切り札になればよろしいのだが……」
それが心からの言葉なのかは誰にもわからなかった。
再び波野からの連絡を受ける。
『柊主任が第一会議室に入室致しました』
二人は申し合わせる様子もなく、無言のまま司令室を退室した。
大会議室の中央に桔平の姿があった。
コの字型に並べられた机には大勢の幹部達の姿があり、桔平の正面に凪野と火刈が腰を下ろしていた。
冷たく張りつめた空気が閑散とした部屋中に漂う。
「では樹神副主任が重傷を負いながらも海竜王を操縦し、インプ掃討後に生き絶えたと言うのだな」
火刈の横に座った男がぞんざいに問いかける。
桔平は戦闘服のまま起立し、それに応答した。
「はい。間違いありません」
「だがな、彼の死亡時刻とそれが一致しないのはどういうことなのだ」
桔平が眉を寄せた。
「存じ上げません。しかし事実は事実です」
別の一人が横入りする。
「虚偽の報告は懲戒に値することは知っているな。それだけ君の発言の一つ一つには重い責任が課せられていることを忘れるな」
先の者に負けず劣らず、ぞんざいな口調だった。
「ならば逆にお聞きいたしますが、樹神陵太郎以外に他の誰があの海竜王を乗りこなせるというのでしょう。第一、何故私が嘘の報告をしなければならないのです」
「君の噂はいろいろと耳に届いている。あまりよくない噂もな」
さらに一人が参入してくる。これもまたぞんざいだった。
桔平の表情にわずかだが感情が浮かび上がった。
「ほう。それはどういった……」
「立場をわきまえたまえ! 君は聞かれたことだけに答えればいい」
桔平をたしなめたのは二人目のぞんざいな男だった。
「……。正直なところ、私にも信じられないのです。樹神陵太郎が何故あのような状態で海竜王を乗りこなせたのか。ひょっとしたら海竜王自身に意思があるのでは……」
「君の憶測など必要はない!」
二人目の男が拳で机を叩く。
そこへ凪野の声が重なった。
「本当にそう思うのか」
二人目の男の血の気が失せていく。慌てて拳を引き戻した。
「どういう意味です」
「海竜王に意思があり、或いは誰も搭乗しえない状態で動き出した、と」
「非常に馬鹿げた憶測だと思います」
桔平の一言に会議室全体が凍りつく。
凪野と火刈を除いて。
「だが、ありえない話じゃない」桔平が凪野を睨みつけた。「あんた達もあれを目の前で見りゃ、そう思うさ」
水を打ったような静けさの中、桔平と凪野はいつまでも睨み合っていた。




