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第九話 『絶叫』 8. 始まり

 


 山凌学園高校の屋上で光輔は腰を下ろしていた。膝を立てた足を肩幅で開き、両手で後方への体重を支える。

 空を見上げれば青く高く澄み渡り、海へと臨むフェンス越しに入道雲が湧き立って見えた。

 期末考査を終え、じきに夏休みだというのに、その心は晴れなかった。

 ジリジリと焼けつくような陽射しが無抵抗な肌と心を焦がす。

 ガチャリ……

 扉の開く音に反応することもなく、光輔は幾重にも交差する蝉の鳴き声に耳を傾けていた。

「ここにいたの?」

 優しげな声にわずかに心が呼び戻される。目線だけを向けると、雅の笑顔が覗き込んでいた。

「ああ、雅か……」

「雅か、じゃないよ。駄目だよ、授業さぼってちゃ」

「……おまえもじゃん」

「ピンポン。よくわかったね」

「……」

「何やってるの、こんなところで」

「うん」表情もなく、海岸線に視線を泳がせる。「キングサイズのオオクワガタ採ろうと思って……」

「いるわけないじゃん! こんなところに」おもしろそうに笑った。「あれ? いないよ、ね?」

「……。そっちは」

「うん。アメリカンサイズのザリガニ採ろうかなって」

「そっか、頑張って」

「あれ! つっこみは! ねえ、つっこみはどうなってるの? いねーよ! って! アメリカンサイズとか、言ってるこっちの方が恥ずかしいよ! ん? 一応のりつっこみ?」

「……」

「ごめん、うざかった?」

 薄地のスカートをふわっと浮かせ、笑いかけながら雅が隣に座る。それを光輔は静かに眺めていた。

「はい」光輔にパックのコーヒー牛乳を手渡し、自分の分にストローを差し入れた。「夕季がここにいるんじゃないかって教えてくれたの。朝からずっとさぼってたんでしょ?」

「夕季が……」わずかに視線を揺らし、チュウと吸い込む。

「夕季、心配してたよ。なんだか光ちゃんの様子がおかしいって。あの子、変わったよね」強い陽射しに眩しそうに目を細める。開襟シャツの胸もとをぱたぱたとはためかせ、太陽に手をかざした。「あっついね。どうせなら図書室とかにすればいいのに」

「……蒸し風呂じゃん」

「そっか、クーラー入れたらさぼってるのばれちゃうね。てゆーか、基本は保険室でしょ」屈託なく笑う。「もうすぐ夏休みだね。海行こっか、桔平さんに車出してもらって。しぃちゃんもワンピースなら着ても大丈夫だって言ってたし。あ、夕季、来るかな? 来ないよね、きっと。でも無理やり連れてっちゃおうよ。誕生祝いやってあげるとか言って、騙してさ。そういうの大好き。そう言えば、光ちゃん、もう誕生日きたんだっけ?」

「……うん」

「ごめん、ごめん。うっかりしてたよ。なんだかいろいろとバタバタしてたから。今度、何かあげるね」

「そんなの、いいけど……」

 光輔はずっと雅の顔に注目していた。心の内が読み取れず、困惑したように見続ける。

「やめてもいいんだよ」

 何気なく発したその言葉が光輔の心をとらえた。

 雅は決して笑顔を絶やさずに、まっすぐ海へと視線を向けながら続けた。

「光ちゃん、無理しすぎてる。みんなが求めてくるからって、そこまでしなくてもいい」

「俺は無理なんか……」

「力を使うことだけが戦ってるっていう意味じゃないんだよ。力なんて持たなくても、もっとつらくて苦しい戦いをしている人だっていくらでもいる。みんな、自分達の大切なものを守るために、一生懸命戦ってる。もし光ちゃんがそれを選択したって、誰も逃げてるなんて思わないよ。逃げるのと守ることは違う」

「……。だったら、よけいにさ、今の俺にできることなんて、それくらいしかないんじゃないのかなって、……思う」

「わかってる。光ちゃんの性格は。やめられないんだよね。それが普通だと思ってるから」目線を伏せ、落ち着かないつま先を眺める。それから淋しそうに笑った。「でも、もし万が一のことがあったらどうしたらいいんだろうなって、あたしはいつも思ってる……」

「……」

「きっとみんな悲しむと思う。光ちゃんのために泣いてくれるよ。でも少したったら忘れちゃって、代わりの人見つけて、それで思い出すこともなくなる。お兄ちゃんみたいに……」

「それでいいじゃんか」

 はっとなり顔を上げる雅。

 光輔は涼しげな表情で空を見上げていた。

「それでいいよ。そりゃ、忘れられたらちょっとは淋しいけどさ。りょうちゃんだって別に感謝されたくてやってたわけじゃない。みんなのことが好きだから。守りたいと思ったからだろ。それに、みんなが忘れても、俺はりょうちゃんのことずっと覚えてる。俺はりょうちゃんのこと絶対に忘れないから、だからそれでいい。人のことはどうでもいい……」

「駄目だよ」

 光輔が顔を向ける。

 雅が真剣なまなざしを投げかけていた。

「そんなの駄目だよ。あたしはいや……」

「……」

「死んでいく人間が悲しみを全部自分で持っていけるわけじゃない。必ず置いていくんだよ。後に残された人は、それを泣きながら拾い上げなければいけない。そうしなければいけないの。その方がずっと残酷だとは思わない?」

「……」

「人が死ぬとどうして悲しいのか知ってる? その人に二度と会えなくなるからだよ。でももっと悲しくてつらいことがある。その人が死ぬってわかっているのに、何もしてあげられないこと。自分には何もできないのに、ただそれを見守ることしかないことだよ……」

 雅が涙目になる。困ったように自分を見つめる光輔に気づき、慌てて顔をそむけた。

「ごめん。ちょっと感情入っちゃった……」強引に笑みを立て直す。「ただ光ちゃんがいなくなるとやだなって、そう思っちゃっただけだから。だから……」

 テンションを維持しきれなくなっていた。

「雅……」

 雅を気遣うように複雑そうな表情を向ける光輔。

 やらなければならないことと大事なことは、必ずしも等価値ではない。とりわけ雅にとってのそれが、大切なものを失ってまで行う意味をもたないだろうことは充分すぎるほど伝わってきた。

 そして、そんな雅の想いが決して軽いものではないことも、光輔はよく知っていた。

 光輔の心が折れかけていた。

「こういう時…… 光ちゃんならどうしてほしい?」

「どうしてって……」質問の意図がわからずに雅の横顔に注目する。

 すると雅は空を見上げ、子供をあやすように続けた。

「慰めてほしい? 励ましてほしい? それとも、ほっといてほしいのかな」

「……。おまえはどうなの」

「あたし?」つま先を立てながら膝を抱え、淋しそうに笑った。「抱きしめてほしい、かな」

「……。この暑いのに?」

「暑いのにねえ」目がなくなるほどの笑顔を作り、雅が振り返る。ふいに何かを決意したような表情になった。「あのね、光ちゃん……」

 その時、激しく扉が開け放たれた。

 夕季だった。

「光輔、みやちゃん! アスモデウスが東京に現れた!」

「……」

「東京には前からいただろ」

 平然と言い放つ光輔。

 それを振り払うように、夕季が緊迫した表情で二人に訴えかけた。

「違う。それとは別の奴。今までにないくらいに巨大な個体が突然新東京総合駅の前に現れた。それに呼応するように、各地から二十体以上のアスモデウスが東京に集結して……」






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