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第九話 『絶叫』 3. 焼肉



 市内の大型焼肉店の一席に光輔達は集合していた。

 テーブルの奥から木場と桔平と夕季、向かい合って雅と忍、光輔が並んで座る。

「しぃちゃん、おめでとう」

 雅が笑いかける。それを受けて忍も嬉しそうに笑った。

「ありがとう、みやちゃん」

「よかったな、忍」

 木場に声をかけられ表情を正す忍。

「ありがとうございます。隊長」

「おい、こんなところで隊長はやめてくれ」

 木場がバツが悪そうな顔をする。

「すみません……」

「おい、しの坊、遠慮すんな。今日は隊長殿のおごりだからな」

 まだ生焼けのカルビを口に何枚も押し込みながら桔平が大声を出した。

「隊長殿、特等和牛ステーキ頼んでよろしいでしょうか!」上機嫌だった。すでにべろんべろんに酔っ払っている。「なあに、たかだか一皿二千五百円のやつですが!」

「二千五百っ!」

 顔を引きつらせ木場が立ち上がる。

 そんなことなどまるでおかまいなしの桔平。

「なんだ、なんだ、みみっちいこと言ってんな、てめえ。それでもソルジャーか! 兵士か! ゴリラか! 俺達ゃ日本の兵隊さんだぞ! アーミーだぞ! アーミーマーだぞ!」

「いや、それとこれとは……」

「あ~み~ま~っ!」

「……」

 手のほどこしようがない。

 何ごとかと周囲の客や店員が振り返った。金曜の夜なので客数は多い。

「こら、桔平、でかい声を出すな。他の客の迷惑だ」

「何言ってやがんだ、てめえがさんざん迷惑かけてきたくせに」

 光輔の箸が空をつかむ。

 焼き網の上のロースを桔平がごっそりさらっていった後だった。

「……」

 消沈したように目線を伏せる木場。冗談とは言え、桔平の言葉が胸に突き刺さった。

 その心中を察し、忍が悲しそうに木場を見つめる。

「もう、大丈夫なの?」

 忍が雅に振り向いた。

「あ、うん。まだしばらくは通院しなくちゃいけないけどね。当分デスクワークかな」

「無理はするなよ」忍をいたわるように木場が優しげな声をかけた。「後任の副隊長には大沼を推薦しておいた。当分は尾藤の隊も見なければならんから大変だろうが、あいつなら大丈夫だろう。おまえさえよかったら、いっそ事務仕事に専念してもらってもかまわないが」

「そんなわけにはいきません」木場の顔を眺め、嬉しそうに忍が笑った。「お気持ちはありがたいのですが、まだまだやり残したことだらけで」

「おまえらじゃ頼りなさすぎて任せとけねえんだってよ」

 桔平の汚れなき悪意に、むぐ、と口をつぐむ木場。

 気遣いはすべて忍へとまわされていった。

「そういったことは少しも考えてはいないんですけれど……」

「いいんだよ、しの坊。はっきり言ってやりゃ。こいつは駄目駄目のゴリラえもんなんだから。もともとエスは私一人でもってたようなもんですぜ、って言い切ってやれって。実際おまえさんいなくなってから、こいつらガタガタだったんだぜ。な? ゴリ男」上カルビを飲み込むタイミングを誤り、むせ返る。「おっほ、オッホ!……」

 複雑そうな表情で忍が木場を見上げる。

 すると救いの手を差し向けるように雅が参入してきた。

「桔平さん、さっきから暴言吐きまくり~。木場さんかわいそうだよ」

「あんん?」

 光輔が網へ乗せたばかりの肉を桔平が根こそぎかき出していった。

「いいんだよ、みっちゃん。こいつはね、変に気を遣われるより、こうやって俺みたいにズバズバ言ってやった方が幸せなんだって。第一、かわいそうってツラじゃねえだろ?」

 雅が木場の顔をまじまじと眺める。げんなりするその様子は、とても幸せそうには見えなかった。

「うん、ちょっとね」

「ちょっ、と?……」

 天使のような笑顔で雅が桔平へと振り返った。

「いるよねえ。自分じゃわかってないけど、ナチュラルに嫌われちゃう人って」

「だろ? このツラだもん、仕方ねーけどな」

「うん。桔平さん入院した方がいいかもね」

「お? 俺の体の心配してくれるのか。優しいねえ、みっちゃんは」

「でしょ、でしょ。でも心配してるのは頭の方なんだけどね~」

「おう! そういや、こないだハリセンでぶたれてから時々星がちらつくんだよな」

「ほんと! それキラキラ星だよ。ラッキー」

「マジでか! ラッキー!」

 二人だけが楽しそうに笑い合う。

 呆然とする光輔を桔平が視界にとらえた。

「なんだ、光輔。おまえ、さっきから全然食ってねえじゃねえか」

「ははっ……」

「若いのに遠慮すんなよ。木場がおごってくれることなんて滅多にないんだからな」

 桔平の横で夕季が花を愛でるようにカルビを何度もひっくり返していた。

 木場と桔平の目が合う。

「なんだ、なんだ、ちまちまちまちま食ってやがって」

 木場はその体格に似合わず、肉を一枚一枚丁寧に焼いていた。食べ頃になると忍と雅の皿に取り与える。

「なんだあ、焼肉奉行か? やれ肉汁が、やれ食べ頃が、んなのクソッくらえだ! 肉は食いたい時にガバチョッと食うのがうまいんだ。こうやってな!」

 夕季の肉をすくい取って口に運んだ。

「あ~、うめえ!」

 夕季が桔平を睨みつけた。

「光輔、おまえも食え食え!」

「……」

 光輔が忍に救いを求めるような顔を向けた。

「ん? 何? 光ちゃん」

「……いや、別に」

「?」

「お兄さん、極上骨付きカルビ五人前ね! あと、網替えて~」

「みっちゃん、陵太郎の時は何も力になれずにすまなかったな」

 申し訳なさそうに木場が切り出す。それに精一杯の笑顔で雅が応えた。

「いいよ、そんなの。あたしもいっぱいいっぱいで、わけわからなかったし」

「みやちゃん。木場さん、裏でいろいろしてくれてたんだよ」

 フォローする忍を何気なく眺める雅。

「面倒な手続きとか、提出書類とか、みやちゃんのこととか」

「こら、忍! やめ……」

「そうなんだ」にゅっ、と笑って、木場の顔を見上げた。「ありがとう、木場さん」

「いや、別に俺は……」照れ臭そうにそっぽを向く。咳払いをし、光輔に向き直った。「光輔」

 木場に名前を呼ばれ光輔が顔を向けた。

「君には本当に世話になったな」

「いえ、そんな」

「謙遜しなくてもいい。君がいなかったら、俺達もこうしてここにいられたか、わかったものじゃないからな」忍に目配せする。「なあ」

 忍がそれに頷いた。光輔に笑みをみせる。

「本当だよ。光ちゃんがいなかったら、きっとエスもメックも今みたいになってなかったと思うよ。あたし達もね」

 忍が夕季の方に目線をやった。

「そういうことだ」桔平がにやりと笑う。「おまえにはこのうまい肉をたらふく食らう権利がある」

 夕季の箸に触れた肉を桔平が横取りする。

 すかさず夕季がギロリと桔平を睨みつけた。

「……」

「どうしたの? 光ちゃん」

 困ったような表情で光輔が雅を返り見た。

「雅、席かわってくんない」

「はい?」

「なんでそんな顔で俺を睨む!」

 桔平の大声に光輔達が振り返る。

 一般客も含め。

 そこでは桔平と夕季が睨み合いが始まっていた。

「そんな憎しみを込めたあれで、あれでなあ! なんでだ!」

「自分の胸に聞いてみたら!」

 めずらしく人前で夕季が激高していた。

「俺が何をした!」

「あたしの肉を取った!」

「なんだ、なんだ、たかが肉の一枚や二枚で……」

「一枚や二枚じゃない! 八枚!」

「さっさと食わねえからじゃねえか! いちいち数えてんじゃねえぞ。みみっちー奴だな。これだからガキはヤなんだ。だいたいどこにおまえの肉だって書いてある。証拠は? 証拠を見せろ!」

「自分が何言ってるのかわかってるの! 子供でもそんなこと言わない!」

「うるせえ、ネコ娘みてえなツラしやがって!」

「してない! 関係ない!」

「にゃーにゃーにゃーにゃー言ってんじゃねえぞ!」

「言ってない!」

「言ってにゃいいっ!」

「……。みやちゃん、ハリセン!」

「てめえ、俺を殺す気だな!」

 光輔と忍が顔を見合わせる。

「焼肉屋にハリセンは持ってこないよね……」

「どう、なのかな……」

「しぃちゃん、どうしよう。夕季、かなり目がいっちゃってる……」雅がすがるようなまなざしを向けた。「これ渡しちゃっても大丈夫かな?」

「なんで持ってきてんの、おまえ!」

「うん、光ちゃんシバこうと思って」

「俺!」光輔が顔を引きつらせる。「なんか、俺にいじわるしないと生きていけないような理由でもあるの?」

「ん? 別にないけど」

「……」

 見かねた木場が間に入ろうとする。

「やめろおまえら、他の客の迷惑に……」

「迷惑はてめえのツラだ! 岩石オープンみてえなツラしやがって!」

「……」

 硬直してしまった木場に忍が続く。

「夕季、やめな、みっともない……」

「みっともないのはこの人だよ。お姉ちゃんは黙ってて!」

「……」

 桔平が鼻息を荒げ、夕季を睨みつけた。

「てめ、こんな立派な大人つかまえて、みっともないとは何ごとだ!」

「どこが立派! 小学生みたいなことばかり言って!」

「心がピュアだからだろうが! わかんねえのか!」

「言ってて恥ずかしくないの!」

「一点の曇りもねえ!」

「この酔っ払い!」

「酔っふぁらってね~い! んにゃははは! ……ふあ~あ」

「みんな迷惑してるじゃない! 帰れば!」

「嫌だ」眠そうに欠伸をしながら鼻毛をむしった。「まだババンビ食ってねえし。……ひっきしん!」

「ババンビ食べたら帰るんだね! 絶対だね!」すさまじい剣幕で夕季が立ち上がる。両眼に炎を宿し、店中に響き渡る声で言い放った。「すいません、ババンビ一つ!」

 光輔と忍の目が点になった。

「ババンビって何?」

「なんだろうね……」

「小鹿のババンビのことだよ、きっと」

「……」

 自信満々の笑顔を受け流す光輔と忍。

「あれ? 光ちゃん、スルー? つっこみは? 正直、不本意ー!」不満げに訴えかける雅。「どうして? あたし、何かした? 言ってよ! いけないところがあったらなおすから! 堕ろせって言うならそうするから!」

「……雅、メンドくさいから黙っててくんない」

「ええ~……」雅の頬が風船のように膨らんだ。「光ちゃんのくせに!」

「……」

 レベルの低い言い争いはさらに続く。

「なんだ、てめえ、こないだケーキおごってやったろうが。どんだけ意地汚ねえんだ」

「汚いのはどっち。ぽろぽろぽろぽろこぼして、まわりの人達、引いてたよ」

「ドン引きしてたのは、てめえが眉間に皺寄せてケーキ食ってやがったからだ。せっかくおごってやってんのに、うまいのかまずいのかわかんねえぞ。パシティエにひつ礼だろうが。謝ってこい」

「謝らない。パシティエなんていない」

「二度とおごってやんねえからな」

「いい。一人で行けば」

「あ、ちょっと待て、この野郎、そういうこと言うなよ。せつねえだろ」

「自業自得」

「一人ぼっちでいると、ちょっぴりさびしいぞ!」

「木場さんと行けば」

 木場の目が点になった。

「俺にふるな!」きょろきょろと見回し、忍と目が合う。反射的に突き放した。「忍と行け!」

「ええっ!」忍が木場を睨みつける。「私は甘いものはちょっと!」

「……」木場が泣きそうな顔になった。

「ほらみろ、あとはおまえしかいねえだろうが!」

「他に友達いないの?」

「他に友達がいないかだと!」夕季をせせら笑うように見下ろす。「いるわけねえだろ」

「やっぱり」

「何がやっぱりだ。てめえだっていねえくせに!」

「……。いる」

「嘘こけ、そいつの名前、言ってみろ!」

「……」夕季がちらりと雅へ目配せする。「……みやちゃん」

 すると雅が大げさに目を見開いてみせた。

「ええ! 知らなかった!」

「みやちゃん……」

 夕季が悲しそうに眉を寄せた。

「ほれみろ、ほ~れみろ!」

「うるさい!」

「ああ、おまえはそんなんだから友達できねえんだ」

「そういうこと言うから嫌われるんだよ」

「な~にぃ~!」

「こんな駄目な大人見たことない」

「ちょっと待て、効く、その言い方すごく効く!」クリティカル・ブローが桔平の表情をゆがませる。「思わず食ったモン全部吐き出しそうだ……」

「いっそ、その腐った性根ごと吐き出して、真人間に生まれ変われば!」

「何! てめえ、うまいこと言いやがって!」

 フロア全体が殺伐とした空気につつまれる。誰もが関わり合いになりたくないと、顔をそむけていた。

 不思議そうな顔つきでぼそりと呟く雅を除いて。

「すごいよね、桔平さん。女子高生と互角に渡り合ってる」感心したように、うんうんと頷いた。「普通、大人はできないよね、恥ずかしくって」

 忍と光輔が苦笑いした。

「ねえ、ところでなんであの二人ケンカしてるの?」

「なんでだろうね。そんなにお肉食べたかったのかな、あの子」

「はは……」

 おもしろそうに雅が笑った。

「仲いいんだね、夕季と桔平さんって」

 そうかあ、という顔を向ける光輔。

「いててててっ!」

 光輔らが振り返ると、夕季が桔平の腕をひねり上げているところだった。

「キメるな! こんなとこでキメるな!」

「それ離せ!」

「夕季!……」忍が絶句する。

 桔平の手には箸が握られていて、その先っぽにはしっかりと肉がはさみ込まれていた。ギシギシと骨を軋ませ、夕季が焼き網の上まで誘導していく。

「くっ! 頼む、こいつだけは食わせてくれ」

「駄目。さっきからさんざん食べてるくせに。あたし一枚も食べてない」

「俺はどうなってもいい。だが、こいつだけは食わせてくれ。この特等和牛ステーキだけは……」

「駄目!」

 光輔達が顔を見合わせてため息をつく。

 忍が優しげなまなざしを光輔に向けた。

「光ちゃん、大丈夫? なんだか元気ないみたいだけど」

「うん、大丈夫」

「もういい。関わるな」

 木場が光輔の皿に肉を差し入れる。

「あ、すいません……」

「よかったね、光ちゃん」

 光輔が雅を恨めしそうに眺めた。

 雑音にシャッターを下ろし、最初から四人しかいなかったかのように、しめやかに祝賀会は再開された。

「あ、ギブ、ギブ! バカ、いててて! 折れた! マジ折れた! ポキ言うた! ああ……、……。……。ぎゃあー!……」

 店中の視線が注目する中、桔平の手から箸がポトリと落ちた。






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