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第九話 『絶叫』 2. 勇気ある人物



 その瞬間、教室中が静まり返る。

 霧崎礼也が入室して来たためだった。

 表情を変えることなく一直線に自分の席へたどり着く。椅子にドッカと腰を下ろすと、バッグから菓子パンを取り出しがっつき始めた。

 一人の男子生徒がおそるおそる近づいて行く。

「はあ! 知るか!」

 礼也に一喝され渋々引き返す彼が、とりまきに囲まれ教室に戻って来た桐嶋楓と鉢合わせになった。

 周囲の視線に押されるように一歩踏み出す楓。

「どうしたの、加藤君」

 楓に問いかけられ、その男子生徒がもごもごと事の顛末を説明し始めた。

「体育の授業で使うテニスラケットの代金、霧崎君の分立て替えたんだけど、そんなの知らないって。俺、体育委員だから先生に言われて集めにいったんだけど、おまえが払っとけって言うから……」

 二年生で野球部のレギュラーナンバーを獲得し、後輩からは鬼の加藤と恐れられる彼が、泣きそうな顔を楓に向ける。

「……。いくら?」

「四千円」

 楓が口もとを結ぶ。瞳と眉に決意を宿し、ツカツカと礼也に歩み寄って行った。

「霧崎君」

「ああ?」

 じろりと見上げられ、楓がわずかに体を後ろにそらす。

 最近おとなしくなったとはいえ、礼也の威圧感は並ではなかった。

「加藤君にお金返してほしいの」

「借りてねえって」

「そんなはずないでしょ」

 面倒臭そうに礼也がため息をつく。顔を横へ向けて声を張りあげた。

「なあ、加藤! 俺、借りてねえよな!」

「霧崎君!」

「お」

「そうやって大声出して威嚇していれば、何でも思いどおりになるとでも思っているの」

「あん?」

「加藤君にかわりに払えって言ったんでしょ。知らないとは言わせないから」

「冗談じゃねえか。いちいち真に受けてんじゃねえって。ガキじゃあるまいし」

「冗談ですむことかどうか、わからないの。自分が今まで何をしてきたかを考えれば、そんなこと言えるはずない!」

「……」

 礼也が向き直る。立ち上がり、楓の全身をなめるように見回した。

 心が退きかけたものの、それでも楓は気丈な態度を崩さない。

「……何」

 気持ちを引きしめる楓。殴りたければ殴れ、と、礼也を睨みつけた。

 教室中が固唾を飲んで成り行きを見守る中、突然礼也が楓のスカートに手をかける。

「!……、ちょっと、やめてよ!」

 膝の上までまくれ上がったスカートを押さえ、楓がキッ、と顔を向けた。

「やべ、勢いつきすぎたか」礼也がにやりと笑った。「今日は足震えてねえんだな」

 見透かしたような礼也の表情に、楓の怒りのボルテージがマックスに達する。手を振りかざし、平手で殴りつけようとするその勇姿に、クラスメート達が青ざめた。

 楓の攻撃をこともなげによける礼也。

 机に足を引っかけてバランスを崩した楓は、はからずも礼也の胸の中に飛び込んでいくこととなった。赤面し、心臓があおるように高鳴り出す。

「あ~あ、メッキ剥げちまったんじゃねえのか? 正義の生徒会長さんよ」

 起伏のない礼也の一言に呼び覚まされる楓の心。口もとをぎゅっと結び、礼也を押しのけると、涙目で睨みつけた。

 その様子に礼也が眉をピクリとうごめかせる。はあ~、と大きなため息をつき、楓に背中を向けた。

「やめだやめ。学校に来るたびに体裁だけでつっかかられたんじゃ、割り合わねえって。俺はばっくれるよ。ほな、バイナラ」

 バッグを取り、掲げた手のひらから五千円札をひらりと落とす。

「待ちなさいよ!」

「つりは取っとけって。見物料だ」

「霧崎君! どこへ行く気!」

「いねえ方が平和でいいだろ、俺なんざ」

「……」

「あ、それからよ」

 礼也が立ち止まる。ぼそりとつないだ。

「あんた、そういうの似合わねえって」

「……」

「ひっきしんっ! んあ~」

 赤面したまま、楓は礼也の後ろ姿をいつまでも睨み続けていた。悔しそうな顔だった。


 メガル本館大会議室では、恒例の副局長対幹部連中の舌戦が白熱化していた。

「あのなあ、もっとわかりやすく言ってくれねえかな!」

 相手を睨めつけるように桔平が大声を張り上げる。

 負けじと立ち上がったのは、毎回桔平の鼻をあかすために仕事そっちのけで労力を費やす、キャリア組の新星だった。

「この程度の用語は基本の基です。これから先頭に立って我々を統率していくような人間ならば、それくらいの用例は覚えて頂かなければ」

 まくし立て、鼻からロケット噴射のような大容量の憤りを噴出する。

「つまりだ、俺の方がもっと勉強してあんたらに合わせろって言ってんだな、あんたは」

「そうは言っておりません。たかだか簡単な用語と、ごく日常的な言い回しにすぎませんので。それほど無理なことを言ってはいないと思われますが。もしそう思われたのなら、それはあなたの知識と解釈に問題があるのではありませんか?」

 一同から、ほほお、と感嘆がもれる。

 進藤あさみは闘技場を覗こうともせずに、秘書と書類のやり取りを交わしていた。

 勝利を確信し、男が椅子に腰を下ろす。

 逆襲はその間隙をつくように彼へと押し寄せてきた。

「言葉じゃねえ。ニュアンスがあいまいだって言ってんだ。どうとでもとれる言葉、わざと選んでるふうにしか聞こえねえ。決して不可能という意味ではないが成功する確率は極めて低く加えて実現に至るプロセスは困難を要するものと推察されなおかつ確たる根拠もないため現時点ではその可能性の有無を公言しかねることは誠に残念な限りです、って、いったい何が言いてえんだ。何回おんなじことでひっくり返ってんだ。結局、できねえことと残念だってことしか伝わってこねえぞ。これのどこがごく日常的な言い回しだってんだ。こんなめんどくせえ言い回し、近所のおばちゃんが当たり前のように使ってるの見たことあるのか。それとも俺がスルーしてるだけか! 俺の目が節穴なだけで、平均的なおばちゃん達はそんなにボキャブラリーが豊富だったてのか! 俺にはあんたらがいい加減に言葉濁して、責任逃れしているとしか思えねえぞ」桔平の目が据わる。「違うか? 大城室長」

 大城と呼ばれたその男が再び立ち上がった。その勢いで長机を打ちつけ、湯飲みがひっくり返る。

「それは失言ではありませんか、副局長! 我々に対する侮辱としかとれませんぞ!」

 ざわめきたつ大会議室。

 その中でただ一人、桔平だけは大城を見据えてにやりと笑った。

「そのとおりだ。否定する気はさらさらない」

「な!……」

 予期せぬカウンターに勢いをそがれる大城。

 すると桔平はさらにおもしろそうに笑いながら続けた。

「はっきりしてていいだろ。わかりやすくてよ。誰が聞いても誤解のしようがねえ。こんなふうに言ってくれや」

「……つまり、あなたに合わせろと」

「相手合わせは基本だろ。聞き手の粗相は言い手の粗相だって、あんたの行ってた学校じゃ教えてくれなかったのか? よく大学に受かったな」

 カチンと音が聞こえそうなほど、大城の表情が険しくゆがむ。

「我々に幼児言葉でも使えと?」

「俺が幼児に見えるんならそうしろ。あんたら頭がいいんだから、どのレベルなら俺が理解できるのかくらい、ぱぱぱのちょいなでわかるはずだ。いちいち確認とらなくていい。でもな」キラリと輝く邪悪な瞳。「腹いせやあてつけでくだらねえことしやがったら、その場で叩き潰すからな。覚えておけ」

「……。お若い」

「んあ?」

 銀縁眼鏡のブリッジを指で押さえ、大城が愁えるようにため息をつく。

「あなたはあまりにも青臭く幼い。もっと世の中を学ぶべきだ」

「ほお、そいつはいったいどういったふうで?」

「いいですか。この世にはあえてグレーゾーンにとどめておかなければならないことがらが存在する。いや、それが大半であると言っても過言ではない。はっきりとした見解を提示すればするほど、そのあげあしとりは容易になるからです。これは断言できる。すなわち白か黒であることを明言すれば、そのような人種はいともたやすく我々の裏をついてくる」

「へえ、そんなイタい奴らがいるのかよ」

「ご存知ないのですか。我々の周囲はそんな輩だらけです。彼らにまともに対応すれば忙殺されるだけでなく、組織全体が多大な実害をこうむることになる。それを未然に防ぐためのテクニックでもあるのです。そんなことも把握できないようでは、いずれ取り返しのつかない損失を招くのは火を見るより明らかでしょうな」

「おいおい、水くせえじゃねえか。そんなのがいるんならすぐに報告してくれよ」

「報告してどうなるという問題でもないでしょう」

「つれねえこと言うなって。気づいてやれなくてすまなかったな」

 優しげなまなざしで大城を見つめる。

「でも安心してくれ。これからはあんたらの手を煩わすことなく全部こっちで対応するからよ。どっちかってえと、そっちのが専門なんでな。いや、正直ものたんねえと思ってたとこだったんだが、あんた、いいこと教えてくれた」

「な……」

「俄然、やる気出てきたわ。よしゃ! そんなふざけた奴ら、徹底的に調べ上げて叩き潰してやる。迎撃要塞の異名は伊達じゃねえぞ! くう~、たまんねえな。オラ、ワクワクすっぞ」

「……」

「あ、これからはそんな腰の引けたもの言いをする必要はないからな。胸を張って対応してくれりゃいい。全部俺に任せとけって。あんたらは命にかえても俺達が守る。約束する。あんたらはメガルを支える貴重な戦力だからな。何があろうとすべて俺が責任を持つ。すべてだ」

「そ、れは……」

「どうしたい、浮かねえツラして。それとも何か。あえてグレーゾーンにしとかねえと、あんたら自身が困るようなことになるとでも言うんじゃねえだろうな。おいおい、そいつはスルーできねえな。だよな、大城室長さんよ」

「……」何一つ取り返せないことを悟り、ちんまりと着座する、研ぎ澄まされたナイフのような鋭い切れ味を持つ怒れる若き荒獅子。……だった男。

「なんちってな。ま、そんなことはこれっぽちもないことを知った上でのブラックジョークなわけだが」

 その腹の中を見通して、一同が静まり返る。特攻隊長の大城を始め、顔色を失った面々からは、ぞおっ、という音色が聞こえてくるようだった。

 追い討ちをかけるべくたたみかける、自称、とても恐ろしい男。

「どうした? 返事がねえじゃねえか。わかんねえのか、わかんねえふりしてんのかどっちだ、ぼんくらども!」

 ドン! と机に拳を叩きつける。

 びくっ! とすくみ上がり、高給取りの幹部連が背筋を正した。

「適当にらしい言葉ばっか並べて、煙に巻いてんじゃねえって言ってんだ。もっとわかりやすく説明してやろうか。ただし、これ以上はオブラート付きじゃ無理だがな。こんな簡単なことも理解できねえような能無しはここには必要ねえ。とっととおっかちゃんのところへ帰んな」

 大城の惨敗で対決は幕を閉じる。またもや連敗記録が更新されてしまった。

 毎度のことながら、これから桔平のねちねちした口撃が待っているかと思うと、一同の心は暗く重く沈むだけだった。

「ちょっといいかしら」

 あさみの参入で部屋中が安堵の吐息であふれ返る。

 この助け船を彼らは待っていたのだ。

「静かな部屋でこの書類に目を通したいから、私は失礼させていただきます。あとはみなさんで心ゆくまでどうぞ」

「おうよ」

「……」

 鳥のさえずりが音のない部屋に穏やかな音色を奏でた。


 山凌学園高校の校門で夕季が光輔に声をかけた。

「光輔」

 光輔が振り返る。

「何?」

 テスト期間中のため多くの生徒達が家路へつこうと通り抜けて行く。空には風に流された雲が広がり、午後からは天気が崩れそうな気配だった。

 真剣なまなざしで夕季は光輔を見据えていた。やがて重々しい口を開く。

「木場さんと桔平さんがお姉ちゃんの退院祝いやるから来いって」

 戦慄するように目を見開く光輔。

 嫌な予感がしていた。

「……」

「みやちゃんも来るって」

 光輔の足もとを湿った風が吹き抜ける。

「……。行かなくちゃ駄目?」

「……」

「……」

「……駄目」

「……」

 暗雲にまみれた空がゴロゴロとくすぶり始めていた。






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