第八話 『終わりなき連鎖』 10. ミルククラウン
野部塚市は県北西部に位置する中核都市だった。人口も山凌市とは比較にならないほど多い。
すでに住民の避難は完了していた。
メガルの近隣とはいえ、初めての作戦をこれだけの規模の都市で遂行するにあたっては賛否両論だった。たとえ遠方でも、より人口の少ない地域を選択すべきだと。
だが政府の心配をよそに、本部での作戦会議は驚くほどスムースに進行した。満場一致の採択。これには桔平の一撃が大きく関与しているものと思われた。
屋外作戦本部で指揮をとるために木場とともに派遣された桔平。その仏頂面をディスプレイで確認し、あさみが声をかけた。
『なんだか不服そうね』
「あん?」
『あなたの要求どおり、木場主任を遠征部隊長に任命してあげたじゃない。まだ何か?』
「あのなあ、こんなミッション、メックだけで充分だろうが。竜王なんか持ってく必要ねえだろ」
『何度同じことを言わせる気なの。竜王の作戦参加はポーズみたいなものだって言ったでしょ。各方面へのアピールのためのね』
「なんで今さらアピールしなきゃなんねえんだ。んなもん、前の奴の時に嫌ってほど……」
『あら、あなたが引っかき回してくれたフォローのために決まっているじゃないの』
「……」
『ミルククラウンはまたたく間に器の隅々まで広がる。壁の内側で跳ね返った波紋は再び中心へと押し寄せ、互いにぶつかり合うように水面を揺らし続けるでしょうね。それが好ましくないことくらい、いくら粗暴なあなたでもわかるでしょ? 今回の狙いは、その波紋を広がり切る前に封じ込める目的も兼ねているの』
「……。導火線でできた蜘蛛の巣か……」
『は?』
「は!」
『蜘蛛の巣?』
「いや、そうとも言うってな!」
『……実にあなたらしいセンスね』
「いや、あのな……」
『どうかした?』
「何でもねえ!」
桔平が苦虫を噛み潰したような表情でタバコをくわえる。それが前後逆であることをあさみに指摘され、癇癪を起こして木場の後頭部へ投げつけた。
「何だ、桔平。何か用……」
「うるせえ、任務中は私語は厳禁だ。黙ってろ!」
「……」
あさみが意味ありげな微笑みをみせる。
今回の作戦は、ただ近いからという理由だけではなさそうだった。
『霧崎君、準備はどう?』
あさみの呼びかけに精神統一をしていた礼也の心が呼び戻される。
「できてるよ。いつでもいい」
『そう。頼もしいわね』
「一つ約束してくれ」
『何?』
「誰も手を出さないって」
『わかりました。約束します』
「頼む……」
無線機の向こうであさみの笑い声が聞こえてきそうだった。
報道管制がしかれる中、作戦は開始された。
防護パーツでモコモコになった陸竜王が、サポート車両をともないアスモデウスに近づいて行く。
目的ポイントに到達すると、陸竜王以外の人員がその場から撤退していった。
『いいか、礼也。無理するな』仮設基地のテントから桔平ががなりたててくる。『オペレーション・システムは変更してあるから前よりは滑らかに動くはずだが、少しでも危険だと判断したらすぐに撤退しろ。今回は空竜王も海竜王も待機させてない。本部のベースにがっちり固定されちまったままだ』
「わかってる」陸竜王のコクピットの中、礼也が小さく吐き捨てた。「あんな奴らに助けられるくらいなら、死んだ方がマシだ」
『何! なんか言ったか!』
「なんでもねえ。切るぞ」
『おい、礼也! おい……』
一方的に無線を断ち切る礼也。
背もたれにその身をあずけ、何もかもを遮断するように目を閉じた。
遠方で動き出した陸竜王の影を確認しながら、ギリギリと歯がみし、桔平がアスモデウスを睨みつけた。
「おかしいだろうが。なんで化け物を挑発しようってのに、空竜王も海竜王もホールドさせたままなんだ……」
すぐそばで部隊へ指示を出す木場の存在も視界にとどまらず、心の中で自問自答を繰り返す。
『目的はなんだ。竜王の失態という事実は交渉の材料として使われるだろう。ならばオビィの死は……。……人柱でもいけにえでもなく、単なる既成事実の一つにすぎないのか……』
陸竜王と動かざるアスモデウスを一つに結んだ遥か彼方に、見えざる相手を映し出していた。
「……本当にそれでいいのか、あさみ」
「何か言ったか?」
「!」
思いがけず口をついて出た言葉に桔平が動揺する。
「何でもねえ!」
気遣って声をかけた木場を突きはなし、桔平はその瞳に不信感をあらわにした。
「てめえ、いつまでもたもたしてやがる。とっとと野郎のサポートに行け!」
「わかっている。すぐに行く」沸騰し続ける桔平を表情もなく眺め、様子をうかがうようにそれを口にした。「なあ、桔平……」
「私語は厳禁だっつったろ! 黙ってろ!」
「……。ああ、すまん」申し訳なさそうな顔になった。「たいした話じゃない。後にする」
「待て」
巨体を揺らしながら、ゆっくりと木場が振り返った。
「何だ?」
「いや、本当にたいしたことじゃないんだ。任務が終了してからでいい」
「いいから言えって」
桔平の目が据わる。その眼光を真正面から受け止め、木場が自嘲気味に切り出した。
「いやな。もうすぐ忍が退院するらしい」
「おう。で?」
「それで近しい人間だけでも退院祝いをしてやろうと思ってな」
「おう。で?」
「よかったらおまえも来てくれ」
「ああ!」桔平が目を剥いて木場に噛みついた。「行くに決まってんだろ、ふざけんな、バカ野郎!」
「お、おお……」
「来るなっつっても行くぞ。なんでそんな大事なこと早く言わねえ! そのかわり、おまえの全おごりだ。迷惑料込みだ!」
「ああ、そのつもりだ」
ほっとしたように木場が笑った。
「有り金全部かき集めとけ!」
「……」
ショッピングモールを割って鎮座するアスモデウスの木偶を、ゴーグル越しに見据える礼也。薄暗いコクピットの中でいらだつように金色の髪をかき上げた。
陸竜王の頭部にあるメインカメラは搭乗者の首の動きと連動しており、そこに撮り込まれた映像はゴーグルの下面からヘッドアップされ、偏光レンズの裏面へと映し出される。そのためコクピット内には他のディスプレイの類はなく、ゴーグルから得られる視界の向こうに壁のようなハッチの裏側が透けて見えた。
両手に収まる感圧式のスティック。スイッチ類。それらを照らす淡いランプの光。
そのすべてを含めて、棺おけの中にいるようだと礼也は感じていた。
専用車両に特装された巨大なバルカン砲に手をかける。
ポイントは確認済みだった。
「くたばれって!」
気合もろとも全砲弾を仮面の額目がけて撃ち放つ。
硝煙が消え失せた頃、礼也の目に飛び込んできたのは、無傷のまま鎮座するアスモデウスの姿だった。
「くそ! 次!」
コイルガンを手に取る。
膨大なエネルギーを放出させ、軌跡は次々と巨大な石像に吸い込まれていった。
「次!」
竜王専用プラズマバズーカ砲。
「次!」
強酸弾、炸裂弾実装マシンガン。
そのどれもがアスモデウスに傷一つつけられずに約割を終える。
スペアマガジンまで使い果たし、すべての攻撃を終了する陸竜王。
「……」仮設本部で桔平がぼりぼりと頭をかきむしる。「作戦終了だ。帰る準備をしろ」
『おい、メックはどうする。配置は完了済みだぞ』
「んあ?」パイプ椅子にふんぞり返ったまま、恨めしそうにディスプレイの中の木場を見下ろす。「これ以上やったって同じだろ。わざわざ無駄ダマくれてやることはねえ」
『それはそうだが……』
「これで駄目だってんなら、表向き、こいつを破壊できる兵器は存在しない。いっそあちこちから、公表できねえモン、ごっそり並べてみるか?」
『おまえ……』
「はなからわかってたことだ。奴は竜王を誘ってやがんだ。覚醒してない方にゃ、興味がねえってことだろ」
「副司令、大変です!」
緊迫した様子のオペレーターの声に注目する桔平と木場。
ディスプレイの中では、アスモデウスの五対の目が異様に光り輝いていた。