第八話 『終わりなき連鎖』 9. いじわるな女
陸竜王がトレーラーに積み込まれる様子を礼也は表情もなく眺めていた。
出動まで約一時間。
格納庫やエプロン周辺では多くの人間達がせわしく動き続ける。
みな緊張の面持ちで未知なるミッションに臨もうとしていた。
不安と希望、そして活気に満ちた試み。
その中核となる己の居場所を、礼也は見つけることができずにいた。
エンジ色のバトル・ジャケットを着込み、礼也が立ち上がる。
手持ち無沙汰にタバコをくわえようとした時、その声は聞こえてきた。
「やめたんじゃなかったの」
ゆっくりと振り返る。
雅が控えめな笑顔を向けていた。
「タバコ。お兄ちゃんと約束したんじゃなかった?」
何ごともなかったように、また背を向ける。それから抑揚のない調子でそれを口にした。
「すっかり立ち直ったみたいだな」
「うん。もう二ヶ月以上もたつしね。いつまでもジメジメしていられないし。その方がお兄ちゃんも喜んでくれると思うから」
「つええな。たった二ヶ月で、たいしたもんだって」
「礼也君はまだ……」
「勘違いするな。おまえらがどうなろうが俺の知ったこっちゃねえ。世の中もおまえらも、どうなろうが関係ねえ」
「……。そう……」
「何か用か」
気のない様子で問いかける。
すると雅は瞳を揺らすようにそれを口にした。
「どうして礼也君が行かなければいけないのかなって。メックだっているのに」
「俺じゃ役立たずだからか」
「そうは言ってないけれど……」雅が困惑したような顔をする。目線をはずして続けた。「礼也君は、夕季や光ちゃんとは違う」
雅の言葉に反応し、くわと目を見開く礼也。
「行けば死ぬかもしれない。もしものことがあったら」
「ちょうどいいんじゃねえか」
「!」
「捨て駒としちゃ、いいセンいってんだろ。俺は期待されてるらしいしな。裏切っちゃまずいだろ、いろんな奴らの期待をよ。その方がみんな喜ぶんじゃねえのか」
「バカなこと言わないで。そんなの、あたし……」
「他人の考えなんざ、どうだっていいがな。俺はただ、幕を下ろす場所さえあればいい。俺にお似合いの、無様な死に場所さえあれば」
「礼也君……」
礼也が振り返った。決意を刻みつけた表情で。
その迫力に硬直する雅。声も出せずにただ礼也を見つめていた。
礼也は感情のともなわないまなざしを向けると、ふいに雅をきつく抱きしめた。
静かに時が流れていく。
その沈黙を破ったのは礼也の方だった。
「何故抵抗しない」
「……」
「俺が哀れだからか」
「そうじゃない。違う、礼也君……」
「だったら、俺のことを厄介者だと思っている。関わりたくないと思っている。いなくなればいいってな」
「そんなこと思うはずないじゃない」
「いや、おまえはそう思っている。俺のことを邪魔者だと。ただ口にできないだけだ。おまえも陵太郎も、俺なんかいなくなればいいと思ってたんだろ。死ねばいいと思ってたんだろ。ずっと前から」
「違うよ、違う!」
「違わねえ。おまえらはみんな同じだ。偉そうにごたく並べたって、どいつもこいつも自分のことしか考えてない偽善者ばかりだ。おまえも、陵太郎も、光輔の姉貴も」
「やめて!」
雅が礼也を振りほどく。
「これ以上、お兄ちゃんやひかるさんのことを悪く言うのなら、あたし、許さないから」
「どう、許さない」
殴ろうとかまえ、キッと口を結び、涙目で睨みつける雅。
それを礼也は表情もなく眺めていた。
だが、いくら待てども、それ以上は何も起こらなかった。
唇を噛みしめたまま、雅が手を引き戻す。
礼也の表情にかげりが見てとれた。
「どうして殴らなかったのかわかる?」
しっかりとそう告げた雅に、何も期待せずに礼也が顔を向ける。
雅は今にも泣き出しそうな、それでも強いまなざしで礼也を見据えていた。
「……嫌いだからじゃない。俺が可哀想だから、か……」
「違う。そうじゃない。逃げてるから」
「!」
「嫌われた方が楽だと思ってる。誰もそばにいない方が苦しまなくてもすむと思ってる。だから思ってもないことばかり言うんだよね。あたしはそんな礼也君が許せない。そんな人、殴りたくない。そんなのあたしの知っている礼也君じゃないから。そんな礼也君、あたしは認めない。きっと、お兄ちゃんも」
「……。殴ってももらえなくなっちまったんだな、俺は」
「二度と今みたいなこと口にしないで。今度そんなこと言ったら……」
「ぶっ殺してくれよ。かまわねえから」
雅が絶句する。苦しそうに顔をゆがめ、礼也を見つめていた。
「どんなご立派な野郎だろうが、死んじまったらおしまいだ。灰になっちまった奴に何ができる。そんなモンにすがったところで、何も返っちゃこねえ。縛られるだけ馬鹿らしいだろ。利口な奴らは黙っててもみんな消えていく。残ったのは馬鹿な奴ばかりだ。俺みたいな、救えねえ大マヌケだけだ」
「そんなこと言っちゃ駄目だよ」
「……」
「礼也君はそんなこと言うような人じゃない。そんなこと思ってないはずだよ。礼也君は、そんなふうにできていないから」
「……」雅をまじまじと眺め、呆れたように口にする。「勝手にキャラ付けしてんじゃねえって。そういうのがウゼエんだ。いい加減気づけっての」
「知ってるよ、そんなの」
「ああ?」
「だってあたし、いじわるだもん」
「……」しばし硬直した後、ふいをつかれたように礼也が噴き出した。「くっ……、あっははは!」
「……」
「いてえ、いてえ。殴られるよりいてえって」
礼也が静かに、そして嬉しそうに笑った。
それは雅や陵太郎が知る、かつての礼也の顔だった。
雅もつられて笑う。穏やかに微笑みながら。
「いじわる雅、か」
「……」
「おかげで目が覚めた。ありがとう、雅」
はっとなる雅。
「礼也君」
歩き出す礼也の後ろ姿を、雅は心配そうに見守っていた。
「……。逃げることをやめたら、思い切り殴ってあげる。覚悟しておいて」
振り返ることなく、礼也が小さく手を上げる。
その背中には、もう二度と届かないような気がしていた。