第八話 『終わりなき連鎖』 8. 憎悪
格納庫付近の木箱に腰を下ろし、焦点の定まらない視線を泳がせながら、礼也はタバコの煙を吐き出した。視界が白く曇り、先が見通せなくなる。
脳裏をいくつもの言葉がかけめぐっていた。
『だったら、てめえが消えろ』
『いなくなればいいんだよ! 必要ないんだよ、こんな奴』
『あんたなんか、いなくなればいいのに……』
それらは例外なく、礼也の存在そのものを否定するまなざしを向けていた。
近づいてくる影に何気なく目をやると、制服姿の夕季がそこに立っていた。
タバコを指で弾き、礼也が立ち上がる。
「どういうつもり」
無視して通り過ぎようとする礼也を夕季が引きとめた。
「礼也はまだ……」
「ろくに竜王も乗りこなせないくせに、か」
ぐっ、と口をつぐむ夕季。
「……ずっと乗っていないのに、無理だよ」
「その間におまえと光輔は化け物を倒してヒーローになった。なのに俺はいまだガラクタを乗りこなすことすらできない。さぞかし哀れに見えてんだろうな」
「そんなこと思ってない」
「嘘つけ、見下し感バレバレだぜ。陰で俺のこと笑ってんだろ。光輔と一緒によ。あんなカスは放っといて、二人で仲良くやりましょうってな」
「……。あたしと光輔がどんな思いをしてきたのか、知りもしないくせに」
「いい思いしてたんだろ」ギロリと夕季を睨みつける。「ねちょねちょと裸でちちくり合ってよ。くんずほぐれず、ああ、気持ちいいってなぐあいでよ」
「いい加減にすれば。そんなくだらないこと聞きたくない」
「聞きたくねえんなら、耳塞いでどっか行っちまえよ」
夕季が顎を引く。
「光輔なら、さっき雅とあっち行ったぜ。てめえもぼけぼけしてやがると、大事なペット寝取られちまうぞ。ああ見えてあの女、結構やり手みてえだからな」
「言ってて恥ずかしくないの。耳が腐りそう」
「ああ! 図星つかれて、いてえからじゃねえのか」
「痛いのはそっちの方じゃない」
「何がだ」
「世界で自分が一番不幸だと思ってる。報われない苦しさを全部他人のせいにしてふて腐れてる。心の弱さを認められないから、人を妬むことしかできない。あたしには、わざと可哀想な振りをして、同情をひこうとしてるようにしか見えない」
「……。へ、たいした分析だな。何でもわかんだな、おまえは。ご立派なもんだ」
「そうやって虚勢を張ってれば、つらいことから逃げても見逃してもらえると思ってる。わがままな子供と同じだね」
「あんだと! 誰が子供だって!」
「わかってるくせに。本当は光輔のことが羨ましいだけなのに……」
「あん! てめえ、つまんねえこと言ってやがると、ぶちのめすぞ!」
「光輔は自分の存在すら許せないほどの、深い悲しみと傷を背負っている。自分の悲しみしか知らない礼也とは違う」
「……」込み上げる怒りを礼也が無理やり飲み込む。夕季から目をそむけた。「けっ、くだらねえ」
「聞きたくないなら、耳塞いでどっか行けば」
「ああっ!」
「光輔はどんなにつらいことからも逃げたりしない。目をそむけたりしない。今の礼也じゃ、どうあがいたって光輔にはかなわない」
「あんだと、てめえ!」
礼也が夕季の胸倉をつかみ、ぐいと引き寄せる。
夕季は瞳をわずかにも揺らすことなく、静かに礼也を見据えていた。
「黙って聞いてりゃ、調子こきゃがって。気に入らなかったんだ、前からよ。おまえも光輔も」夕季の顔に鼻先を近づけ、獣のような息づかいで吐き捨てた。「そののっぺりとしたツラにハクつけてやるよ。感謝しろや」
失望したような表情で夕季が礼也を眺め続ける。
「やめれば、そういうの。みっともないから」
「ああっ!」その両眼に激しく燃え上がる炎が宿った。「本気でバラバラにしてやるよ!」
礼也が拳を固く握りしめる。
その時。
「何やってんだよ、 おまえら!」
声のする方向へ振り返る二人。
それが光輔だとわかるや、礼也の顔がさらに険しくゆがんだ。
二人の間に割って入ろうとする光輔。
「何やってんだよ、二人とも。やめろよ、もう……、わっ!」
言い終わらないうちに、礼也が光輔の肩をつかむ。そのまま押し出して体をのけぞらせた。
「うあっ!」
礼也が振りかぶる。だが次の瞬間、光輔の顔面をとらえようとした拳が宙を舞った。
夕季が礼也の襟首をつかんで引き倒したのだ。
背中から倒れ、後頭部を押さえながら礼也が立ち上がる。夕季を睨みつけるそのまなざしは、憎悪一色に染まっていた。
「あ、やめろって……」
「ぶっ殺す!」
戸惑い動けずにいる光輔を視界の外に追いやり、ボクシングスタイルをとった礼也が牽制の左ジャブを連続して繰り出す。
頭に血が上った状態とはいえ、その鋭さに、夕季は退いてかわすのが精一杯だった。
槍のような右ストレートが夕季の顔面目がけて襲いかかる。
間一髪で避け、退いた夕季の鼻先をかすめた剛拳は、その場にとどまった前髪をスローモーションのように弾いていった。
踵を地面に引っかけ、手詰まりとなった夕季が逃げ場を失い絶句する。
「!」
礼也の左手が夕季の右肩を固定していた。電話帳をも引き裂く握力と腕力が、制服をがっしりとつかんで放さない。
双方無言のまま、ゆるやかに時が流れていく。
先に動いたのは夕季の方だった。
「やめろよ、礼也!」
気を持ち直し、ようやく光輔が割って入ろうと試みる。
その存在に気をとられた一瞬の隙をつき、八の字を描くように己の右腕を礼也の左腕へからませる夕季。体重移動を利用して、礼也の肘を切るように折り落とした。
開襟シャツのボタンが弾け飛び、肩口がぱっくりと裂ける。
夕季は膝をついた礼也の背後へ回り、腕を決めたまま、うつぶせにねじ伏せた。その体勢で礼也の左腕を捻り、両足で挟み込む。変則の十字固めだった。
「ぐ!」
階級差のかなり離れた少女の力とはいえ、確実にポイントをおさえているため、屈強な礼也でも抜け出すことは極めて困難だった。
「……おまえ、すごいな」
呆然とたたずむ光輔にじろりと目をやる夕季。
「光輔、逃げて」
「だって……」
「早く!」
礼也の左腕がミシミシと悲鳴をあげていた。
「……てめえ、貧乳さらして、何イキがってやがる」
「貧乳じゃない」
「ああっ!」
「いい加減にしろよ、おまえら」
「光輔、てめえもマニアだな! こんな割り箸みてえな女のハダカでよく興奮できるもんだって!」
「あ、え、あ……」
「その口から、先に折らせて」
礼也の後頭部を睨みつけ、全身をねじるように夕季が力を加える。
「ぐぅあぁ……」コンクリートの地面に左の頬を埋めたまま、礼也が憤怒を叩きつけた。「上等だ。折ってみろ!」
大地をわしづかみにするように礼也が右腕を突き立てる。両肩が隆起し、背中、腰、両足もそれに呼応した。
咄嗟に夕季が手を引き戻す。
無理な体勢から礼也が腕を引き抜く勢いで、夕季が背中から地面に打ちつけられた。
わなわなと震える左腕を押さえながら、礼也が獲物を視界にとらえる。
それすらものともせず、一言も発することなく、夕季はゆっくりと立ち上がった。
しきり直すように睨み合う二人。
「てめえ、わざと抜かせやがったな」
「なんだか弱い者いじめみたいでいたたまれなかったから」
「だれが弱いモンだと!」
「そこの可哀想な子」
「ああっ!」
「やめろって。夕季も挑発するなよ……」
「本気でぶっ殺してやる!」
「あ……」
闘技場に踏み込むタイミングもはかれず、光輔はただおろおろとうろたえるだけだった。
「何やってるの。あなた達」
突然響き渡った静かな雷に顔を向ける三人。
あさみが鋭い眼光で睨みつけていた。
その後ろで桔平が浮かない顔をしている。
「いい加減にしなさい。あなた、この任務から降ろされたいの」
ちっと舌打ちし、顔をそむける礼也。
近づきざま、あさみが夕季をじろっと睨めつけた。
「あなたはまだ、ここへ近づくのも許されていないはずだったわね」
ちらりと目線だけを向け、そっぽを向く夕季。制服の前を正し、ぱんぱんとスカートの埃を払った。
ふん、と嘆息し、あさみは通り過ぎて行った。
その後に続く桔平が夕季を畏怖するように眺める。
夕季も視線を合わせた。
「すげえな、おまえ……」
「……」
あさみが礼也の肩を叩く。
「あなたには期待しているのよ。これ以上失望させないで」
「わかってる」左腕を押さえ、顔も向けずに吐き捨てた。その瞳に期待など映らないことを知りながら。「やってやるよ、必ず……」
礼也はただ光輔を睨み続けていた。
激しい憎悪のまなざしで。