第七話 『伝えられない言葉』 9. 尊敬する先輩
大沼透は包囲した工場の前で時が過ぎゆくのを待っていた。
できることならこのまま時間が止まればいいと思いながら。
無線の呼び出しに応じる。
『大沼、そちらはどうだ?』
エネミー・スイーパー新隊長、尾藤秀作だった。
「包囲は完了している。あとは対象が現れるのを待つだけだ」
『そうか』
大沼と尾藤は自衛隊での同期だった。除隊後、ともにメガルに入り、メック・トルーパーの一員となったが、一年前のエス発足後、隊員と副隊長に分かたれた。
『手はずはわかっているな。失敗は許されんぞ』
「……ああ」
うかない様子の大沼に念を押す尾藤。
『その銃弾ならバトルスーツをも撃ち抜く。海竜王の従属者、穂村光輔を無事保護するためにも、全力をつくしてほしい。くどいようだが、情やしがらみはすべて捨て去れ』
「……」
『あの人はすでに我々の知る木場雄一ではない。あの人にはもう我々の気持ちは届かない。むしろ、止められぬ暴走を憂い、我々の手で終止符を打ってほしいと願っているのは、他ならぬ彼自身のはずだ。それが、あの人を救う、ただ一つの方法でもある。苦しいのはみな同じだ。ならば、あの人と誰よりも多くの時を共有した俺達こそ、その十字架を背負わなければならないのではないのか』
大沼は返事をしなかった。
かつて木場が自分達に向けて語った言葉を思い出す。
『この世に不要なものなど一つもない。あえて言うなら俺自身だろう。俺にとっての俺は、誰よりもちっぽけで、もろく、何の役にも立たない弱い人間だ。だから俺は、たとえほんの少しでもいいから、他の誰かに望まれる人間になりたいと願っている。おまえ達に必要とされる人間でありたいと思っている。おまえ達が自分自身のことをどう考えているのかは知らんが、俺はおまえ達を必要とする。おまえ達に助けてもらわなければ何もできないことがわかっているからだ。おまえ達の力で、役立たずな俺を必要な人間にしてほしい。おまえ達にとって必要な人間にな……』
そう言って木場は笑った。一人一人の顔を熱く見つめながら。
眩しさに目を細め、大沼が空を仰ぎ見る。
永久に時が止まればいい、と思いながら。
「そろそろ行くか……」
木場が立ち上がる。光輔と桔平に振り返った。
「桔平、彼を頼んだぞ」
桔平は何も答えなかった。
木場が光輔の顔を真っ直ぐに見つめる。
「いろいろと迷惑をかけたな。さっきはあんなことを言ったが、俺も君の意見に賛成だ。ただ自分の弱さを認められずに、大事なことから目をそむけてしまっていた」
「……」
「こんなことを頼めた義理ではないが、君や夕季が俺達の希望なんだ。ふがいない俺達を助けてくれ」考えをめぐらせる。「もう一つ聞かせてくれ。もし同時に二つのものを守らなければならなかったとしたら、君ならどうする」
「わかりません」その言葉とは対照的に光輔の表情に迷いはなかった。「でもその時、先に心が動いた方に行くと思います」
「もしその二つが、自分にとって同じくらい大切なものだったとしてもか」
言葉を失う光輔。
それを見て木場は満足そうに笑った。
「今の気持ちを忘れるな。その迷いがある限り、誰かが君に手をさしのべるはずだ」桔平を見てにやりと笑った。「なあ、桔平」
「スカしてんじゃねえぞ、ゴリラえもん」
仏頂面で桔平が吐き捨てる。
「今ごろ外にはエスがうじゃうじゃいるはずだ。俺達を殺そうと、おまえの愛弟子達がごっそり取り囲んでな。誰にどうやって手をさしのべてもらや、いいってんだ」
「大丈夫だ。おまえがやって来た裏口からなら、何とか抜け出すことはできる。あとは俺が少しの間、時間稼ぎをするだけだ」
「木場」思案する桔平。言うべきか言わざるべきか迷い、それを口にした。「おまえ、知っているんだろ。尾藤はな……」
「言うな、桔平」桔平の言葉をさえぎる木場。窓の外にずらりと並んだエネミー・スイーパーを見渡しながら呟いた。「わかっている……」
「木場……」
建物から出て行こうとする木場を引き止めるように桔平がつなぐ。
「そこまでわかっていながら、何故おまえは行く」
木場がらしからぬ小声で呟いた。
「ケジメ、だからな」
「ケジメ?」
「ああ。俺の心情に寄り添って、こんなことにつき合わせてしまった、奴らへのケジメだ」
「そのケジメで、奴らにてめえを撃たせるつもりなのか。奴らの手を、誰よりも信じてきたてめえの血で染め上げるつもりか。そんなケジメ、誰が望んでるってんだ!」
「……」
「尾藤は腐ってる。杏ちゃんに近づいたのだって婚約者としてじゃない。竜王の秘密を聞き出すためだ。おまえという人間を手なずけるエサとしてもな。奴の目的はエスのトップになること。そしてそれを足がかりに、組織の中枢へと食い込むハラだ。売り物として高値で取引するため、おまえを太らせてきた。次は俺だろう。奴が火刈と共謀していたかどうかは定かではないがな」
「……」
「おかしいよな。あまりにも浅はかでよ。だが、それを承知の上で、火刈が尾藤に便乗したとも考えられる。奴のメリットは何だ。エスとメックの合法的な解体だ。その上でエスを再編し、竜王をも手中に収めようとしている。今度こそ火刈の私設軍隊の誕生だ。尾藤は、単に利用されているにすぎない」
「もういい。言うな」
「いや、言う。おまえは大バカ野郎だ。それをわかっていながら、まんまと奴らの策略にのった。それが腐ったメガルを叩き潰すのに、一番手っ取り早い方法だと考えたからだ。だが実際はそう簡単にはいかない。奴らのほうが一枚も二枚も上手だ。いつしかおまえを慕って集まった奴らも取り込まれて、がんじからめになって身動きができなくなった」
「やめろ、桔平」
「おまえにとっては、メガルもプログラムもどうでもよかったはずだ。だがな、気づいちまったんだろ? 杏ちゃんが必死になって守ろうとしたものを、壊したくないってな。だったら何故やめない。何故、杏ちゃんが望んだものを守ろうとしない。悪いのは尾藤と火刈だ。あいつらさえいなくなれば……」
「やめてくれ、桔平」
静かに木場がそう告げると、桔平の勢いが止まった。
「杏子はあいつを信じて死んでいった。これっぽちも疑おうとせずにな。満足そうな死に顔だった。俺がそれをくつがえせば、あいつの死は無駄になる。あいつには正しいことをしたまま、死なせておいてやりたいんだ」
「……。だからおまえは大バカ野郎だってんだよ!」ぺっと唾を吐き出す。「岩石みてえなツラしやがって、きれいごとばかり並べやがる。それを聞かされるこっちの身にもなれ!」
「それくらい我慢しろ。長いつき合いだろう」
「やかましい! 忍はどうなる。おまえ、あいつに杏ちゃんの姿ダブらせてんじゃねえのか」
「……」
「ブサイクのくせに、あんないい娘泣かせやがって、身の程を知れ。いっそのこと俺が悩みの種をきれいさっぱり刈り取ってやろうかって心境だ!」
「その必要はない。もう、悲しむこともなくなるだろう。これで……」
「だから、おまえのやり方じゃ駄目駄目なんだよ!」
「そんなことは言われなくてもわかっている」
「鈍い野郎だな。メガルぶっ潰すんなら、俺が手伝ってやるって言ってんだ!」
「……」
「てめえみてえな、真面目しかとりえがねえようなアンポンが、分不相応に小難しいこと考えやがるから、どうにかなっちまうんだ。そういうことは頭の切れる俺みたいなイケメンのナイスガイに任せておけ! 小せえノーミソ、パンクしちまっても知らねえぞ。まあ、俺にしたところでイケメンとか言われても、なんだか今さらって感じで、死語の世界でたんばりんってところだが、そいつは仕方のねえことだ。むしろ、おまえのためにわかりやすく言ってやったんだ。感謝しろ! ああー、言ってやったぞ、ザマミロ!」
「桔平」
「ん?」
「昔からおまえは、頭は切れるが勉強はできない類の人間だったな」
「……。うっせえ、どうせ言うんなら、ひっくり返して言いやがれ! それじゃ、勉強ができねえ、しか印象に残んねえだろが。てめえみてえな、勉強ができるのとは違う意味で真面目な生徒だった、って新聞に書かれるような犯罪者タイプとはわけが違うぞ! こっちだってよ、ちったあ責任感じてんだ。こうなっちまったのは、俺の責任でもある。尾藤があんな可愛げのねえ野郎だと知ってたら、無理やりにでも杏ちゃんからひっぺがしとくんだったってな」
「……」
懐かしいものを眺めるように木場がふっと笑う。桔平に背中を向けた。
桔平は興奮冷めやらぬ様子で、その背中を凝視し続けた。
「……てめえ、忍が夕季のヒットマン志願した時、わざと行かせやがったな。他の奴の手にかかるくらいなら、身内の自分がやった方がいいって理由、知っててよ」
「そうだな」
「あいつが自分の妹を殺すことなんて、絶対できっこないってことも全部承知の上でだ」
「……そうだったのか」
「とぼけんじゃねえ、くそゴリラ。だから、てめえはバカだって言ってんだ」
「……。その言い方、何とかならんのか」
「何ともなるか! 結局、てめえがあいつら救ったみてえなもんじゃねえか」
「そうはならんだろ。俺は何も……」
「くそったれ」悔しそうに桔平が吐き捨てた。
「……。尾藤にそこまでの考えはないだろう。本当におまえを怖れているのなら、俺を泳がせ続けておくはずだ」
「だから浅はかだ、っつってんだろ。だが、火刈は違う。全部わかった上で、おいしいところだけのっかろうとしてやがる。本当に恐ろしいのは火刈だ。俺達の本当の敵は、奴だ」
「桔平」木場が振り返る。桔平に穏やかに笑いかけた。「今度飲みに行くか?」
ぽかんと口を開ける桔平。
「何言ってやがる。てめえ、下戸だろうが」
「たまにはいいだろ。おごってやるよ」
「……。へっ、珍しいこともあるもんだな」
「前からそう思っていた」嬉しそうに笑い、目を伏せる木場。「やっと言えてよかった……」
その決意を感じ取る桔平。
「似合わねえんだよ、ゴリラえもんが」
「……その呼び方、いい加減にやめろ」
「気にするな。ちゃんと尊敬の念が込められてる。……はずだ」
「嘘つくな。おまえが俺を尊敬なんてするか」
「そんなことはない。俺はいつだって尊敬してたぜ」にやりと笑った。「木場先輩」
「来ました!」
一人の声に全員が注目する。
大沼達の視線が一斉に木場に集中した。
木場が立ち止まる。胸から一枚の写真を取り出し眺めた。
中学生か高校生の頃の写真の中では、木場と桔平と杏子、それから進藤あさみが仲良さげに笑っていた。
ふっと笑みをもらす木場。すぐさま表情を正すと、写真を胸にしまい、銃をかまえた。
「ここから先へは行かせん。文句があるものは俺を倒して進め」
隊員一人一人の顔を確認するように見渡す。
「木場隊長、やめてくれ」
大沼の声に木場が目線だけを向けた。
「俺はもうおまえ達の隊長ではない」
「俺達はあなたを撃ちたくない」
一人として銃をかまえている者はいなかった。
ピクリと眉をうごめかせる木場。
「何をしている、俺は貴様達に銃口を向けているのだぞ。ためらうな。ためらわずに撃て。でなければ貴様達が死ぬだけだ。俺はそんなことを教えたつもりはない」
木場が大沼の額にポイントする。
くっ、と大沼が歯がみした。
「かまえろ、大沼。そして俺を撃て。だが約束しろ。今日限り、全員エスから脱退するとな」
「拒否する」
「!」
「あなたはもう、俺達の隊長ではない」
大沼が銃を放り投げた。
「撃ちたければ撃て。あなたに殺されるのなら本望だ」
その一言を契機に、一人、また一人と武器を放り出す隊員達。
みな目に涙を浮かべ、木場を見守っていた。
「俺達はあなたがいたから、ここまでやってこれた。あなたが行くと言うからついて来た。それを勝手に放り出して、一人で責任とろうなんて通らないよ、木場さん」
木場の目頭が熱くなる。憤るように深く息を吐き出し、静かに銃を降ろした。
「何故俺達に相談しない。何故一人で抱え込む。みずくさいぞ、あんた」
「そうだ、俺達を何だと思っている」
「俺達はメガルに雇われている。だが、従うのはあんただけだ」
木場が空を見上げる。自らの過ちを悔い改めるように。
その時。
無常なる銃声が轟く。
それから、ゆっくりと木場が背中から倒れ込んでいった。