第七話 『伝えられない言葉』 8. 源流
「杏ちゃん、結婚決まったんだってな」
桔平のほがらかな問いかけに、木場杏子は満面の笑顔で振り返った。
「ん。何とかなった」肩までのソバージュを揺らし、控えめに答える。それから柔らかな表情で、でへへ、と笑いかけた。
「何とかじゃねえだろ、コノヤロ。杏ちゃんなら、よりどりみどりじゃねえか」
「やっとこだよ、やっとこ」
「ウソこけ。でも杏ちゃんいなくなると淋しくなっちまうな」
「いなくならないよ、桔平君」
「マジ?」
「うん。家計を助けるためにも、ぜひ仕事は続けてほしいって」
「そっか……。でも、悲しむ野郎多いぜ。なっ、木場」
別館の食堂で大盛りのカレーライスをかき込みながら、桔平の横で木場がじろりと目線だけをくれる。ものも言わず、終始仏頂面のままだった。
「またおまえわあっ、素直に喜べねえのか!」
「うるさい……」
「うるさいのはおまえのツラだ!」杏子に向き直る。「ほんっと、よかったよなあ。こんなネアンデルタール顔に似なくて。奇跡だ、まったく」
「やかましい……」
「やかましいのはおまえのツラだ!」
「……」
「杏ちゃんはこんなにハイクオリティだってのに、やっぱこいつの原始人みたいなフレームと、不細工なツラがネックだったんだろうな」
「あははは……」
「いや、マジ、家族が人間以外ってのは、でけえハンデだぜ。猿人ウーマンになってもおかしくなかったってのに、逆境に負けずによく頑張ったと俺は誉めてやりたいね。杏ちゃん細っちいから、ガチでこいつの中に入って操縦できるんじゃねえか。ゴリ竜王だな」
「いい加減にしろ……」
「てめえのツラこそ、いい加減にしやがれ! 生まれてきて申し訳ねえとか思わねえのか!」
「思うか!」
「思え!」
「貴様こそ申し訳ないと……」
「思うか!」
二人のやりとりを眺め、杏子がおもしろそうに笑う。少し離れた場所から顔を向けている忍に気がついた。
「しの坊もこっちにおいでよ」
「あ、おめでとうございます」
「ありがとね」
長身の忍と比べると、杏子は一回り以上も小さく見えた。顔立ちもかなり違う。それでも二人が並ぶとまるで姉妹のようだった。
「あの……」顔を上気させ、嬉しそうに忍が笑った。「尾藤さんなら大丈夫だと思います。優しそうだし、きっと杏子さんのことを幸せにしてくれると思います。あ、私なんかがこんなこと言うの、変ですけど……」
まるで自分のことのように懸命に訴えかける様子を、杏子はこの上なく好ましいものだと感じていた。心からの笑顔を忍へ向ける。
「私もそう思う。お兄ちゃんは何も言ってくれないけどね」
「あ、木場さんもきっと喜んでいると思います。ああいう人ですから、口にはしないと思いますけど」
「ああいう人って?」
「あ……」
いたずらっぽく杏子が笑った。
「お兄ちゃん、幸せ者だよ。桔平さんやこういう人がそばにいてくれるから、私も安心していられる。これからもお兄ちゃんのこと、よろしくね」
「あ、そんな、私なんて……」
「はは。しの坊も早く妹さんと仲直りできるといいのにね」
「あ、はあ……」
「大丈夫、必ず伝わるって」
「……」
「悪い子じゃないみたいだし、誤解してるだけだって。きっと今にわかってくれるよ」
戸惑いの面持ちを隠せない忍に、丸い目がなくなるほどの笑顔を向ける。
「だって、こんなに綺麗な気持ちが伝わらないはずないもの……」
「おい、木場」
桔平に耳打ちされ、木場が目線だけを向ける。
「心配してんのか。尾藤のこと」
「……」
不安げに眉を寄せた木場に嘆息し、桔平も神妙な表情になった。
「うわさはいろいろと聞いてる。だが、それがすべて正しいとも言い切れねえだろ。尾藤は環境に流されやすい。野心家かもしれんが、チャンスを待つタイプだ。俺達がしっかり見ててやれば、滅多なことにはならねえだろ。そのうち奴も変わるかもしれん」
「わかっている」
「なら何も心配することなんてねえだろ。杏ちゃんは自分の力で幸せになろうとしている。俺達にできるのはそれを祝福することだけだ。おまえは、杏ちゃんの幸せを第一に考えろ」
「……わかっている」
「おめでとうくらい言ったのか?」
「……。いや、まだだ」
「何やってんだ、おまえは……」
「お兄ちゃん」
あきれ顔の桔平の言葉を杏子の声が優しくさえぎる。
「今まで本当にありがとうね」
「……」
「いろいろ心配かけちゃったかもしれないけれど、もう大丈夫だから。お兄ちゃんは自分が幸せになるために頑張ってね。今度は私がお兄ちゃんを幸せにしてあげる」
「ばっ! 俺はだなあ!」顔を赤らめ、木場が杏子に食ってかかる。「俺のことはどうでもいいだろうが! おまえは自分のことだけを心配していれば……」
「大丈夫だよ」
「……」
「心配しないで。あたし、幸せになるから」
満面の笑みで木場をつつみ込んだ。
「必ず幸せになるからね……」
その時、すべてを押し流す不穏な警鐘が場内に鳴り渡った。
「……何、化け物がメガルに向かっただと!」
木場が目を見開く。
木場達メック・トルーパーはメガルとは反対側の海岸へ向かっていた。メガル本部からの出撃命令を受けて。
プロジェクト・フィロタヌスが発動していた。
初のプログラム発動ということと、すべてが極秘裏に進行していたこともあり、政府への報告は控えてある。
全部隊が出撃したため、メガルに戦力は残っていなかった。
『おい、木場!』
桔平からの無線を受ける。
「桔平、メガルはどうなっている?」
『ヤベーぞ。避難命令は出たみたいだがな、急なことだったし、あの人数だ。取り残された人間達もいるはずだ。俺達はこれからメガルに向かう。おっ、……鳳さん、残りまとめてくれ……』桔平の声が遠くなる。すぐに元に戻った。『おまえらも早く戻れ。そっちの方が近いはずだ』
「……」
『どうした? 木場』
「……いかん」
『はあ!』
「持ち場を離れるわけにはいかん。我々はここで待機するよう、隊長から命令を受けている。ここにも奴らは現れる可能性がある。この場所を死守するのが、我々に課せられた任務だ」
『バカ野郎! あんなボンクラの言うこと、いちいち真に受けるな! あいつは己の保身だけしか考えられない、ただの伝書鳩だ! 今何をすべきか、何が大事なのか、おまえならわかるはずだ!』
「だから俺は、ここに残る」
『バカ野郎! 杏ちゃんもメガルに残っているんだぞ! そんなこと言ってて、もしものことがあったらどうする』
「ここに奴らが現れないという保証はない。おまえにそれが断言できるのか」
『……おい』
「ここを化け物どもに突破されたら街へ被害が出る。何も知らされていない人達が苦しむ。それだけは避けねばならん。メガルはおまえにまかせる。頼んだぞ、桔平」
『おまえ……』
しかし、いくら待てども、木場のもとへインプは姿を現さなかった。
隊長クラスも含め、多くの犠牲者を出しながらも、残された桔平や鳳達が何とかインプを殲滅する。
後にショート・プログラムと呼ばれたそれは、一度だけの襲撃で消滅した。メガル内部に多くの問題点を浮き彫りにさせて。
メガルに戻った木場を待ち受けていたのは、妹、杏子の亡骸だった。
「満足そうに笑っているでしょう……」
木場が振り返る。
目を真っ赤に充血させた尾藤秀作が体を震わせていた。
「一度は逃げたんです。でも竜王のデータを取りに戻ったところを杏子は……」
「……」
「ずっと俺に言っていました。自分達がここにいられるのはメガルのおかげだからだって。少しでもメガルの役に立ちたいって。竜王が自分達の希望だって。たとえ小さな力でも、危険な任務についている俺やあなたの手助けになればいい。そう杏子は笑いながら……」
込み上げる感情に押される尾藤。左手の婚約指輪を引き抜き、床に投げつけた。
「くそっ!」あふれ出る涙。
悲しそうに表情を曇らせ、木場は背中を向けた。
「木場さん!」
立ち止まる木場。
「知っているんですよね。本部が何もかもわかっていて、メックを見当違いの場所へ向かわせたこと」
「……」
「司令と副司令はメガルを私物化しようとしている。そのためには、自分達の思うままに動く部隊の存在が不可欠だ。その必要性を示唆するために、わざと今回のような指令を。そんなことのために、杏子は……」
木場が尾藤の胸倉をつかむ。鬼のような形相で睨みつけた。
「それ以上言うな。それ以上言えば、たとえ妹の婚約者でも……」
「一緒にかたきを討ちましょう」
「……」
「杏子のかたきを……」
木場が顔を伏せた。
それを認め、尾藤がにやりと口もとをつり上げる。
思いもよらず訪れたチャンスと、獲物が罠にかかったことを確信するように。