第七話 『伝えられない言葉』 7. 木場雄一
街の片隅で木場は一枚の写真を眺めていた。
ふっと表情を和らげる。
やがて人ゴミの中、目当ての人物を視界にとらえ、写真を胸にしまい歩き始めた。
「穂村光輔だな」
振り返る光輔。その岩のような巨体に思わず退いた。
「君に聞きたいことがある」
「……」
光輔と木場は廃墟となった工場の中にいた。
アスモデウスの襲撃で焼け跡となった工場地帯の一角。そこに人影は見られなかった。
「何ですか、俺に聞きたいことって?」
ガラスのなくなった窓から海を見ていた木場が振り返る。海鳥の鳴き声を背中に、単刀直入にそれを切り出した。
「海竜王を動かしたのは君だな?」
光輔が身がまえる。
「……はい」
木場が眉を寄せた。身の危険を知りながら、あえて正直に答えた光輔の心の内を探ろうとする。
「死ぬのが怖くないのか?」
「怖いですよ」即答。「でももっと怖いものを見てきましたから」
「何だ、それは?」
「目の前で大事な人を失うことです。何もできずに」
「!」
「自分を守るために命を投げ出そうとする人間がいる。なのに自分は、その人達が死んでいくのを黙って見ていることしかできない。だったらいっそ……」
「きいた風な口をたたきやがって!」
突然、態度が豹変する木場。光輔の胸倉を両手でつかみ、ぐいと持ち上げた。
「貴様はいい。貴様には力がある。だが、それができない人間もいる。したくてもできない人間もいる。そいつらはどうすればいい! そいつらにも貴様と同じことをしろと言うのか!」
「そんなの関係ないですよ」
今にも噛みつきそうな木場にもまるで臆することなく、光輔は静かにつないでいった。
「力があろうがなかろうが、俺の考えは変わらない。それを他の人に押しつけるつもりもない。でも俺はそうしないと、自分が自分でいられなくなるんです。俺を守ろうとしてくれた人達が見ていてくれた、自分でいられる自信がないんです」
ふう、と息を吐き出し、木場が光輔を解放した。
木場の三倍もの息を吐き出す光輔。
木場が背中を向けた。
「君は正しい。だがな、君を助けようと思って、その身を差し出した人間の気持ちも考えろ。君まで死んだら、そいつの死が無駄になる」
言葉を失う光輔。木場の中に悲しみのような感情をとらえたからだった。
振り返る木場の顔は信じられないくらいに穏やかだった。
「俺の部下の命を救ってくれてありがとう。心から礼を言う」
それが忍のことを言っているのだと気づく。
「わかったろ、木場。こいつはこういう奴なんだよ」
聞きなれた声に振り返る二人。
裏口の近くに桔平のにやけ顔があった。
木場の表情は変わらない。
「遅かったな、桔平」
「おお、やぼ用があってな」
そう言いながら、うすうすロールケーキにかじりついた桔平を見て、光輔が引いた。
「忍がな、焦って電話してきやがった。おまえがなんだか変だってよ」
「……」
「顔が変なのは昔からだって言ってやったら、泣きそうな声出しやがってな。いや、泣いてたんじゃねえのかな、あいつ」
「!」
「あんな芯の強い娘が、おまえのことになるとぼろぼろだ。いったいおまえら何やってんだ?」
「……」
暮れ始めた海の彼方、遠く視線を泳がせ、木場は過去を想い返していた。
メック・トルーパーの訓練は厳しく過酷だった。
要領はいいが他の隊員達と比べ入隊経験もなく、女であり、体力的にもハンデがある忍。
それでも泣き言一つ言わずに木場についてきた。
思うような成果が得られず悔し涙を流す忍に、木場は黙って差し入れの紙袋を置いた。
「何だそりゃ?」
待機所の書類入れの上に花を飾った忍を隊員達がからかう。
くるりと振り返り、忍は子供を諭すように彼らに言った。
「むさ苦しい男の人ばかりで息がつまるから、こんなものでも飾ってごまかさないとね」
「しょうがねえだろ。むさ苦しいのはうちのカラーだ」おもしろそうに木場を見上げて笑う。「大将が砂漠の岩石みたいな顔してるのに、花なんか似合うかってのな」
むっとする木場。
口走った隊員が恐縮した。
「知らないの? 砂漠にだって花は咲くんだよ」嬉しそうに花瓶のかすみ草を整える忍。「今度はサボテンでも飾りましょかね」
その横顔を木場は感慨深げに眺めていた。
「副隊長、私と同じ血液型なんですね」
忍に問いかけられ、何気ない様子で木場が振り返る。
「ん? ああ、そうなのか……」
「杏子さんもですよね?」
「ああ……」
「ですよね。よく似てらっしゃいますものね」
「そんなことないだろ。俺とあいつはまるで違うぞ」
「似てますよ。杏子さんも否定していましたけれど。もし輸血が必要な時は言ってくださいね。私、提供しちゃいますから」
「ん、ああ、……頼む」
「杏子さんも幸せですよね。こんなに優しいお兄さんがいらっしゃって」
見る見るうちに木場が赤面する。
「あ。もし輸血をした人と結婚しちゃったら、どうなっちゃうんですかね?」
「!」
「やっぱり子供に影響出ちゃうんですかね。ううん……」
「俺が知るか!」
忍が真顔で腕組みをし続ける。その顔を眺め、木場がふう、と一息ついた。
木場の心の中は穏やかな気持ちで満たされていた。
妹、杏子の葬儀の席で忍が涙を流す。
ものすら言わず耐え忍ぶ、木場の心情を察するように。
どう頑張ってもその代わりになれぬことを嘆くように。
顔をくしゃくしゃにし、許しを請うかのごとくに、いつまでも木場を見続けていた。
その悲しげな姿は今もなお、木場の脳裏に焼きついて離れずにいた。
『お兄ちゃん』
杏子の最後の言葉がそれに重なった。
『必ず幸せになるからね……』