第七話 『伝えられない言葉』 4. 誤解
光輔は学校の裏庭で友人達と談笑していた。
やがて昼休みも終わりに近づくと、みなと校舎の違う光輔は一人離れて歩き始めた。
それを物陰から見続けている女子生徒がいた。
夕季だった。
夕季は光輔が一人になるのを見計らうように姿を現した。
遠方から別の友人が光輔に声をかける。
するとまた夕季は物陰に身を潜めた。不完全な隠れ方で。
友人とすれ違ってから、光輔が夕季を見つけて言った。
「さっきから何やってんの? 夕季」
「さっ!……」
バツが悪そうに夕季が近づいて来る。
そんなことなどおかまいなしに、光輔は笑いかけた。
「しぃちゃん、どう?」
むぐっ、と口ごもる夕季。
「……。順調みたい。結構早く退院できそう」
「そっかあ、よかったよな。俺もお見舞いとか行かなくちゃって思ってたんだけど、桔平さんに止められててさ。ごめんな。しぃちゃんにも謝っといてよ」
その言葉に夕季が反応した。
「なんであんたが謝るの」
「え……」
顔を赤らめ、夕季が取り繕った。
「……お姉ちゃんも光輔に会いたがってた。早くお礼が言いたいって」
「お礼なんて言われるようなこと、俺してないよ。逆に謝らなくちゃって思ってたくらいだし」
「……」
「だって俺のせいでケガしたみたいなもんだもんな。どうせ行くんなら、もっと早く決断してたらよかったのにさ。ほんと、おまえが言ったとおりだ。ごめんな、夕季」
「……」
「……なんで睨むの」
「睨んでない、けど……」
「ふ〜ん……」
「……あの」
「?」
「光輔は悪くない。悪いのはあたしの方だから。……殴ったりして、ごめん」
「いいよ、前にもう謝ったじゃん」
「でも、ちゃんと謝ってなかったし」
「いいって。おまえの性格ならわかってるし……」光輔が不思議そうに首をかしげる。「そう言えば、おまえが俺とかに謝るのって初めてだよな?」
ふいをつかれたように動揺を隠せない夕季。
「……。あ、……の、そ、そ……」
「? 何だよ」
怪訝そうに夕季の顔を眺める光輔。
だがどうしても夕季の口からは、ありがとう、の一言が出てこなかった。
「光輔も殴ればいいのに!」
「へ? ……誰を?」
「あたし、を」
突然火の点いた予期せぬ爆発物に、今度は光輔が戸惑い始める。
「な! ちょっ!」
導火線はぐいぐいと近づいてきた。
「気がすむまで殴ればいいと思う。十発でも二十発でも。覚悟はしてるから」
「何言ってんの、おまえ。何、勝手に覚悟とかしちゃってんの。なんで俺がおまえを殴んなくちゃならないんだよ」
「そうでもしないとおさまらないじゃない」
「何がおさまらないんだよ。俺は別に……」
「あたしの気持ちがおさまらない!」
懸命な表情で訴えかける夕季。しかしその想いはまるで伝わらなかった。
「さあ、早く」
夕季が目を閉じて顔を突き出す。
「何言ってんだよ。やだよ、俺……」
そこへみずきが通りかかった。
おかしな雰囲気に気づき、思わず目を丸くする。
「……。あー、ごめんなさい!」
「!」
途端に夕季の顔が真っ赤に染まった。紙袋を光輔に押しつけ、逃げるようにそこから立ち去って行く。
「……助かった」ほっと胸をなでおろす光輔。
「ごめん、穂村君」
落ち込んでいる様子のみずきが目に映った。
「何が」
「……。……チュウしようとしてたのに」
「!」一瞬で光輔の表情が凍りつく。何かに取り憑かれたように言い訳がましい言葉を連ねていった。「そうだよね! 普通そんなふうに見えるよね! 俺とあいつがチュウ以外のことしてたなんて、誰も思わないよね!」
ハテナ顔のみずき。ぽかんとなって、光輔の顔を眺めた。
「違うの?」
「絶対違う。てか、ありえないしょ、そんなの。……ええ! 俺とあいつがあ! あのさ、一応言ってみるけど、実はこれから俺、あいつの顔を二十発くらい殴ろうとしてたんだよね。信じてもらえる……」
「信じられない」
「だよね! やっぱりね!」
「嘘臭い。言い訳にしてはセンスがないし」
「あ、センスの問題なんだ……」
頭を抱える光輔。
納得しきれない様子ながら、みずきはほっと胸を撫で下ろした。
「あたし、あの人何だか怖いな」
徐々に光輔が落ち着きを取り戻す。
「う〜ん、そんなに悪い奴じゃないんだけどな……」夕季が残していった紙袋の中を覗き見る。カツサンドと焼きそばパンが入っていた。「……ちょっと、とっつきにくいかもしれないけど」
「でも、いつも怒ってるみたいだし。みんなもそう言ってるよ」
紙袋の中から光輔がおもむろに一つを取り出す。
みずきの丸い目が、二重丸になった。
「あ〜! 月曜限定ミックスサンド! これ、激レアだよ! あたし、実物見るの初めてかも」
光輔は複雑そうな表情で夕季の背中を見送り続けた。
「古閑夕季の搭乗権は剥奪ということでよろしいですね」
火刈が凪野守人に告げた。
凪野からの反応はない。
それすら予測の範疇と見なし、火刈が続ける。
「確かに古閑は空竜王の覚醒に成功はしました。ですが素行が悪すぎる。命令違反も許容できるレベルではありません」
「それは君の考えることではない」
ぶすりと突き放す凪野。
火刈が眉をピクリとうごめかした。
「先日の会議でも方向性は見えたはずですが。海竜王が無人で動くのならば、空竜王も陸竜王もオビディエンサー自体が必要なしとの見解に達します。古閑夕季が空竜王を覚醒させたわけではなく、空竜王が単体でプログラムに呼応したものというのが、研究員達の出した結論です。オビィディエンサーは竜王を制御するのではなく、単に管理者として存在すればいい。感応数値の優劣はまったく意味がないものだという見解です。上席者が全員一致でこの意見に賛同いたしました。そのため、現時点でのリザーバーへの連絡は、すべて保留にしてありますが」
「……」
「それとは別個に、現場を預かる責任者の口からも、プログラムに対抗するにはメックと竜王の共同作戦は不可欠だとの意見が出ております。この際、竜王の指揮権もこちらに委譲していただきたいのですが、それについては博士はどのようにお考えでしょう?」
「竜王は無人では動かない」
静かに告げた凪野に、火刈がほお、という顔をしてみせる。
「それはまた、どのような根拠で?」
「エスとメックのレポートの中に、一人だけ他の人間とは違う内容の報告をしてきた者がいる。その隊員は、穂村光輔が海竜王に乗っていたものと断定している」
「それなら私も読みましたが、いかんせんあいまいな記述が多い。信憑性に欠けます。何より彼一人が真実を述べ、他の全員が虚偽の報告をする理由とはいかがなものでしょう」
「海竜王の使用者を抹殺しようとする者が、我々の内部に存在する」
「……あんなたわごとをうのみにされたわけですか?」火刈がにやりとする。「しかしそれならつじつまは合う。もしかしたら彼こそが、ただ一人情報を正確に掌握している人間なのかもしれませんな。それが真実ならば、速やかにその逆賊を粛清しなければならない。或いは、彼自身がその人物やもしれませんが」
「……」
「わかりました。詳しく話をうかがうことにしましょう」内線で呼び出しをかける火刈。「ああ、私だ。至急尾藤副主任を司令部控室までよこしてくれ……」