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第五話 『届かぬ想い』 9. 叫び



 桔平が光輔の異変に気づいたのは、空竜王が狂ったようにアスモデウスに切りかかって行った直後だった。

 光輔が動きを止める。

 ディスプレイの向こうに見えない何かを見据えるように。

「光輔……」

「俺、行きます」すっくと立ち上がった。「止めたって無駄ですから」

 そのまなざしの行方を桔平は見定められなかった。

「おい、待て」

「嫌です」

「いいから、待て!」

 光輔が足を止める。振り返るその表情に迷いはなかった。

「……。コーヒーでも飲んで、頭冷やしとけ。話はそれからだ」

 桔平が放り投げた百円玉を受け取る光輔。怪訝そうな顔を向けた。

「バカやろ。勢いだけで突っ走ったって何の解決にもならねえぞ」缶コーヒーをグビグビと流し込む。ゲフッ、と派手に吐き出し、根負けしたような表情で光輔の方を見やった。「海竜王がどこに置いてあるのかも知らねえくせに。何とち狂ってやがんだ」

「あ……」

「こないだのところに行ったって、測定器しか置いてねえぞ。ハッチを開けるには、パスの入力も必要だしな。何も知らねえくせに、一人でテンパってんじゃねえぞ、クソガキ。今おまえに必要なのは、ミルクと砂糖たっぷりのブラックコーヒーだ! ほれ」

「……それは、いいです」

「熱血だけで押し切れるのは中二までだ、覚えとけ。なんで俺のまわりにゃ、こんなバカばっか集まんだろうな。ま、バカの総大将が陵太郎じゃ仕方ねえか」

 光輔が目を見開き、桔平に注目する。

「マスターキーや燃料は必要なかったな。おい、約束しろ」

「……」

「絶対、死ぬんじゃねえぞ」

「……」桔平のまなざしを真っ直ぐ見つめ返し、光輔が頷く。「はい」

 桔平がにやりと笑う。

「おし、行くぞ。残念ながら、今の俺にできるのはこれくらいだ。奴までの距離はおまえの気持ちで縮めてみせろ。もし死にやがったら、今度こそボコボコにしてやるからな」

「はい!」

「ったく、どいつもこいつもバカちんばっかりでよ。まいっちまうってのな、実際」

 光輔が熱いまなざしを向ける。

「桔平さんって、ハナ……」

 桔平がキッとなって光輔を睨みつけた。

「鼻毛はわざと出してる! 仕様だから気にするな!」

「……」

「決して鼻毛大臣の呪いが発動したわけじゃねえ」

「……。そうですか」

「なんか文句あるか!」

「いえ……。文句はないですけど、桔平さんって、ハナしがわかる人だなって思って」

「……。……よく、言われるけどな……」


           *


 アスモデウスの豪腕の前に、しだいに海竜王が押され始める。

 真上から押さえつけるような、強大な圧力が、呼吸する余裕すら与えずに襲いかかってきた。

 内側から左手を添え、両腕でごう力に対抗するも、踵をぬかるみにめり込ませるだけだった。

 これ以上退くわけにはいかない。背中に深手を負った忍を抱えているのだ。

 精神力を高め、スカート状の足首から高圧縮させた気体を噴射させる。

 海竜王の足もとで、二つの水のクレーターが重なり合った。

 噴き上がった雨水のミストを身にまとい、決死の形相で光輔が振り返る。

「桔平さん、早くしぃちゃんを!」

 ビリビリと振動し続ける黒き巨人の背後に、桔平が回り込んでいた。忍の症状を目の当たりにし、それが容易ならざる状況だと認知する。

「駄目だ、光輔。動かすのは危険だ!」

 けたたましいアスモデウスの咆哮にかき消され、桔平の声は光輔には届かない。

 ちっ、と舌打ちし、桔平は両腕で大きなバツ印を作った。

「だーめーだー! うーごーかーせーねーえー! あっちー! いってー! くれー!」

 両手で払いのける仕草をしてみせた。

「くそっ!」

 海竜王のコクピット内で光輔も舌打ちする。

 眉間に力を込め、光輔が眼前の怪物を睨みつけた。

「ああああーっ!」

 ドロドロと黒緑の体液が流れ続けるアスモデウスの股間に、つま先をえぐり込む。

 嵐すら引き裂く絶叫とともに、仮面の口が大きく開き、巨体を仰け反らせ、異形の怪物が数十メートルも後退した。

 海竜王が爪を射出し、槍に巻きつけると同時に、足首から圧縮空気を噴出させ跳び上がる。

 アスモデウスの頭上でくるりと回転し、背後に降り立った。

 それを追いかけるように、アスモデウスが振り返る。

 桔平と忍をアスモデウスの後方に置き、それなりの距離を確保することができた。

「いいぞ、光輔!」

 忍の様子を確認しながら、桔平が携帯無線機を手に取る。メックやエスの持つものとは、周波数の違うものだった。

「ああ、八木か、俺だ。大至急、救護班をよこしてくれ。大至急だ……」


 叩きつけるような雨粒が、黒く艶やかな海竜王の外殻を滑り落ちていく。

 チェーンを両手で保持し、槍をたぐり寄せようとするも、アスモデウスの力は凄まじく、逆に海竜王が引き寄せられ始めた。

 チェーンから左手をはなし、光輔が額の傷目がけてもう一本の爪を撃ち放つ。

 旗のような別の槍に阻まれ、海竜王が後じさった。

 何度やっても同じだった。

 左手にかまえた透明な盾にすべての攻撃が弾かれる。

 海竜王が右腕の爪を引き戻した。

 ギッシャアアアアッ!

 限りなく機械音と融合したかのような、無機質なアスモデウスの咆哮。

 仮面の口を大きく開き、海竜王に挑みかかってきた。

 空高く跳び上がり、光輔がそれをかわす。

 アスモデウスの背後に降り立つや、鞭のように打ち下ろされる尻尾を左腕で受け、気合もろとも鋭い尖端を蛇の眉間に突き刺した。

 ギイアアアアアーン!

 蛇の頭を潰され、アスモデウスが狂ったように暴れ回る。

 海竜王が両手のひらを正面に向けた。

 立ち込める濃霧に、すべての目が視界を奪われる。

 気配を感じ空を見上げたアスモデウスに、海竜王が跳びかかって行った。

 空中で左腕の爪を射出。

 一撃目をわざと三角形の旗で弾かせ、二撃目を左首の羊の額に撃ち込んだ。

 炸裂と同時に爪の先端部からフックのような返しが展開し、ヒットポイントを固定する。

 途端にアスモデウスが苦しそうに身悶え始めた。

 海竜王は、アスファルトのめくれ上がった地面に足をめり込ませてからも、狙いを定めさせないように縦横に鎖を振り回し続けた。

 羊の顔に浮かび上がる悪魔の表情。

 口から長く細い舌と緑色の液体を滴らせた。

 右側の牛の首がギロリと目を剥く。

 アスモデウスが右腕の毒槍を振りかざすのが見えた。

 泥地に両足を埋めて、踏みとどまる海竜王。

 突き立てた爪を、今引き戻すわけにはいかなかった。

 黄色い両眼でアスモデウスと対峙し、海竜王が槍に合わせて左腕の爪をかまえた。

 その時、空から巨大な白鳥のような影が舞い降りた。

 空竜王だった。

 アスモデウスの左側を縦に通り抜けた後、その勢いのまま、糸の切れたマリオネットのように、空竜王が濡れた大地に叩きつけられる。

 真上から羊の首を貫くように滑り落ちた両刃の剣は、一瞬で海竜王にかかるテンションを打ち消した。

 羊の首が鎖に引っ張られ地面に転がっていく。

 それだけではなかった。

 それに誘発されるように、アスモデウスの左腕が腐り落ちたのだ。

 旗のついた槍と左腕は一体だった。

 透明な三角形の旗は一瞬にして消え去り、残った腕と首は、本体から離れるやいなや、地表に融け込むように消滅していった。

 激しい嵐を全身にまとい、背中を向け逃げ始めるアスモデウス。

 追撃しようとした海竜王を、牛の口から吐き出された豪炎が押しとどめた。

 空高く、遠く海上に消えていくアスモデウスを、海竜王は立ちつくし、ただ睨み続けるだけだった。


「おい、しっかりしろ! おい、忍!」

 呼びかけに、ゆるゆかに瞼を開く忍。

 心配そうに覗き込む桔平の顔があった。

「……桔平さん」

 忍が意識を取り戻し、桔平の表情が少しだけやわらぐ。

「バカ野郎、無茶しやがって。本当におまえら姉妹は、そろってどうしようもねえな」

「……。夕季は、夕季は無事ですか?」

「ああ、何とかな。……海竜王が来ている。もう大丈夫だ」

「海竜王が……」目を閉じて安心したように笑った。「よかった。光ちゃんが、来てくれた……」

「!」

 桔平の顔を眺め、力なく忍が微笑む。

「……桔平さん、鼻毛、出てますよ……」

「るせえ! んなこと気にしてる余裕があんなら、てめえの体の心配でもしやがれ!」

「そう、ですね……」

「ったく、どうして俺のまわりの女どもは、言いにくいことをずけずけと。……!」

 桔平の腕に身を任せ、動かなくなる忍。

 その意識を呼び覚まそうと桔平は懸命に呼びかけ続けた。

「忍、しっかりしろ。おい、しっかりしろ、忍! 忍っ!……」

 満足げに微笑む面差しが、その呼びかけに応えることはなかった。


 薄暗い病院の通路を運ばれていく忍を、親からはぐれた子供のような顔で夕季は追い続けていた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 夜の嵐はさらに勢いを増していた。

 手術室の扉が開く。

「やだ、死んじゃやだ、お姉ちゃん……」

 その声は忍には届かない。

 無機質な扉が、何もくみ取ることなく閉ざされる。そこに残された、迷子のような感情を置き去りにしたまま。

「お姉ちゃーんっ!」

 絶叫が無人の通路に響き渡った。






                                     了


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