第五話 『届かぬ想い』 4. ゆがんだ意識
街にはまた避難勧告が出されていた。
もはや隠しとおすことはできない。報道管制は敷かれていたものの、全世界がこの攻防に注目していた。
日本のとある沿岸地帯に突如として現れた巨大な怪物。
海を割り、空を黒く染め上げ、それが現れる。
黒い翼。複数の獣の頭。悪夢の咆哮。人類を裁くための槍を高く掲げて。
嵐を従え、激しい怒りのような感情を剥き出しにして、アスモデウスは山凌市に迫りつつあった。
港の船は転覆し、海岸沿いの車は高波にさらわれていった。
遠目に湾岸道路に黒い線が描かれる。
陸上自衛隊の車両が横一線に集結していた。
砲台を有するもの、ミサイルを搭載するもの、歩兵を運ぶもの。
その数は総力戦を物語っていた。
近代兵器の集合体である彼らが駄目ならば、世界中の軍事力はこの未知なる敵に対して効果をもたない。そこに配備されていない、核兵器を除いては。
在日米軍が参戦を表明していた。圧倒的な対象を駆逐すべく最終的な手段として、核兵器の使用をほのめかせて。そこには、以後核の持ち込みを公然化させるための、政治的な思惑が色濃く表れていた。
「最後の意地ってやつか」高台から彼らを眺めつつ、鳳が哀れみを込めた調子で呟く。大雨となった黒い空を見上げた。「俺達と同じだな……」
木場は後方でメック・トルーパーの動きをうかがいながら、隊員達に振り返った。
「いいか、これが我々にとって最初の戦いとなるだろう。命を惜しむ者は去れ。止めはせん」
ざわつく者は一人としていない。よく押さえが効いていた。
「古閑」
「はい」
木場に呼ばれ忍が隊員達の前に出た。忍は女だてらにエスの副長を任されていた。まだ二十歳になったばかりだというのに、歴戦の猛者木場雄一率いるエネミー・スイーパーの、二人の副官の一翼を担っている。その戦闘力と状況判断のよさは突出していた。
「我々の目的はあくまでもメガルの防衛にあります。戦闘に加わるのは、メック・トルーパーが機能しなくなってからだと思っていてください。それまでは勝手な行動は慎むように。ただし、海竜王に接近する者を見つけた場合、すみやかに確保すること。場合によっては……」
「何で俺が殺されなくちゃならないんですか!」
すっかりもぬけのからとなったメックの待機所で、光輔が目を見開いて桔平に詰め寄る。
「それも、同じメックのエスに……」
桔平は光輔の顔を凝視していた。頃合いを見計らって真実を口にする。
「いいだろう。教えてやる。今のおまえには知る権利がある」
ごくりと生唾を飲み込む光輔。桔平を見続けるまなざしは真っ直ぐのままだった。
「前に話したよな。メガルには俺達とは別の、いくつかのグループが存在するって」
「はい」
「十三年前、砦埜島から凪野博士は三体の竜王を持ち帰った。発掘した説明書きの石版には、『魔王に率いられし三方の覇王、竜の如し』なんて意味合いのことが書かれていたらしい。で、竜王なんて呼び始めたみたいだがな。政府じゃこいつらを、『マーズ』とか『ネプチュン』なんてコードネームで呼んでるようだ。勝手に神様に格上げしちまいやがったが、どっちも畏怖の念がこめられているのはおんなじだ。で、それがすべてのわざわいの元凶だと考えているグループがいる。凪野博士の義理の娘、進藤あさみが設立したエネミー・スイーパーだ」
「……」
「もともとエスは活動制限の多いメックから独立する形で誕生した。一年前の発動でメガル本部を守り切れなかった教訓をいかしてな。メックが政府と歩調を合わせて行動をとらなければならないのに対して、エスはメガル独自の判断で柔軟に動かすことができる。あらゆる外敵からメガルを守るのがその存在意義だからだ。だが、実際は違う。一部の人間達は、プログラムの発動が竜王をこの地に持ち帰ったせいだと仮定し、それを奪い返すためにインプ達が出現するものだと定義している。奴らにとってのメガルは、政府も含めた企業の集合体を意味し、それを脅かすものはすべて排除する方針だ。諸悪の根源である竜王や、それを守るために結成されたメック・トルーパー、その大元である凪野博士までもがその範疇に含まれる」
「だからって何故俺を?」
「竜王さえ砦埜島に返せば、プログラムが消滅すると考えているからだ。奴さんら、何とかそう仕向けようと画策しているみたいだが、現実的に役に立つってことになれば、それもうまくねえ。表向き実権者の凪野博士に逆らえる人間は、メガルにはいないからな。オーバー・テクノロジーの秘密は、すべて博士の手の内にある。彼を排除し、それらを失うことを政府も望んではいない。オリハルコンは、日本が世界中を手なずけるためのエサでもあるしな。合法的に博士から竜王を奪い取るには、竜王が役立たずであることを証明するのが手っ取り早い。正面から博士を追いつめるにはそれしか方法がないとも言える。結局のところ、奴らの目的はすべての原因を竜王に押しつけて、メガルのイニシアチブを握ることだ。決して正義や平和なんかじゃない。そのためにはメックが全滅しようが、その他大勢の人間達が犠牲になろうが関係ない。むしろ、それを既成事実とするために、わざと最悪の事態を演出しようとしている節さえある」
「だから竜王を乗りこなせる者が邪魔になったってことですか? 自分達の安全のためだけに」
重々しく頷く桔平。
「海竜王の覚醒は予定外だった。空竜王もな。夕季はていよく組織から追い出されたが、その方があいつにとってはよかったのかも知れない。あとは海竜王を乗りこなす可能性がある人間の排除だけだ。すなわち……」
「……俺」
光輔が顔を伏せる。怒りで拳が打ち震えていた。
「そんなのって……。じゃあ、そんな身勝手な理由でりょうちゃんも……」
顔をゆがめる。こらえ切れず、涙が光輔の頬を伝い落ちた。
「それが俺がここで調べ上げ、たどりついた結論だ。全部が全部正しいとは限らない。だが本質は疑いようもない。いい大人が聞いてもヘドが出そうになる。おまえを最初に連れ出したのも、それを早急に確かめる必要があったからだ。あの時おまえも、直感的に関わっちゃなんねえもんだって思って、咄嗟に否定しちまったんじゃねえのか? エスはすでにおまえに的を絞り始めている。あとは事実を確認し、人知れず葬り去るだけだ」
「……」
「竜王を作った文明は、少なくとも一度以上は崩壊している。後を受け継いできた文明もな。それらはすべてプログラムのせいだと記されている。竜王を標的にヤツらが群がって来るってのは、おそらく本当だろう。何考えて博士が、こんなところに陣取ったのかはわかんねえがな。俺達は、そんなゴツいものを作った奴らを消し去ったバケモノどもと、渡り合っていかなければならない。なのにいまだ身内すら信用できないのが現状だ。情けない話だ、まったく。ま、人間の本質が地球誕生以来まるきり変わってないのなら、どんなに優れた文明だろうが滅びちまうのも納得できるがな」
がっくりと肩を落としうなだれる光輔。ショックを隠せない様子だった。突然こんな話を聞かされ、受け止めろという方が無理なのだ。
「一つ確認しておきたいことがある」
「……何ですか」
「六年前の記録を見た。当時俺はまだメガルの人間ではなかったから、それが本当のことかはわからないがな」
「俺の記録なんですか?」
頷く桔平。
「六年前、すでにおまえは海竜王を覚醒させている」
「……。何なんです、それ……」
光輔が目を丸くする。
「本当に覚えてないのか?」
「はい」
「おまえの姉さん、いつ亡くなった?」
「六年前です。その時、海竜王の搭乗試験を受けていたのは、俺じゃなくて姉さんの方でした。でも、事故が起きて姉さんは……」
「そうか。ならいい」桔平は何かを飲み込むように顔をそむけた。「俺の勘違いだ」
亡き姉のことを想い返し、すっかり消沈してしまった光輔を、桔平は複雑な面持ちで眺めていた。
「本音言うとな、俺には何が正しいのかなんてわからない。だが、自分にとって何より大切なものがあり、どうしてもそれを守りたいのなら、おのずと道は決まってくる」
光輔が顔を向ける。桔平は遠くを見つめていた。
「俺は、奴らに親友も恋人も奪われた。戦う理由があるんだ。だからと言って、それをおまえに強要する気はさらさらない」
「……俺はどうしたらいいんですか」
「そのままでいればいい」涼しげなまなざしを向けた。「心配するな。おまえや雅は俺が全力で守る。それが陵太郎との約束だ……」