第五話 『届かぬ想い』 3. 氷解
夕季はベッドに横たわり、一人考えを巡らせていた。
あさみから空竜王の搭乗権限の停止を告げられた。一時的なものだと補足していたが、事実上の解任に相当することは夕季にもわかっていた。
再三の命令違反を今さら言い訳するつもりはない。だがあさみはそのことには触れず、ただ身体的な理由により搭乗続行不可能と見なされたことを強調していった。夕季の身を案じ、これ以上負担をかけたくなかったのだと、瞳を潤ませる。
すでに次のオビディエンサーと交渉中であり、搭乗意思が確認でき次第、正式採用となる手はずだった。それによって夕季の序列は一番目から二番目に後退する。身体的理由が加味された場合、さらに序列は下がるものと考えられた。
桔平の慰めも心に届かなかった。
ようやく自分にとって大切なものがわかりかけていた。顔をそむけ拒絶していたことですら、必要なものであったと気がつく。心を開き、切り捨てられない多くの想いを手に入れることができた。
それは夕季が何よりも欲していたものだった。
そのすべてが、手のひらからこぼれ落ちようとしている。
己の判断の甘さから。
浅はかだったのかもしれない。
だが間違いだと思いたくはなかった。
それを貫くためには、あさみからの通達に応じなければならないような気がしていた。
夕季が目を細める。
大切な何かを失ったように、淋しげに。
ノックの音がした。
顔だけを向け、小さく返事をする。
静かにドアが開き、何も言わずに一人の人物が姿を現した。
忍だった。
それを表情もなく眺める夕季。過剰な反応を示すこともなく、忍から顔をそむけた。
「帰ってくれない」
忍は夕季の方をちらと見た後、黙ってテーブルの上に花束を置いた。
夕季の好きな黄色い薔薇だった。
「持って帰って。いらないから」
「そう」表情を変えることなく、再び花束を手に取る。「思ったより元気そうね。あれだけの目にあったのに。さすがね」
感情を抑えて言う。
「邪魔してごめんなさい。もう来ないから」
「笑えばいいじゃない」
忍がドアのハンドルに手をかけると同時に、夕季がぶすりと突き刺した。
「知っているんだよね。私が空竜王の搭乗権を剥奪されたこと。だから笑いに来たんだ。だったら笑えばいいじゃない」
振り返る忍。初めて戸惑うような表情を夕季に向けた。
「いい気味だと思ってる。勝手に死にそうな私を助けて優越感にひたっていた上に、こんな結果にまでなって、笑いが止まらないんじゃない」
「そんなこと思ってない……」
「嘘だ!」目を剥きながら夕季が噛みつく。「本当は助ける気だってなかったくせに。こうなることがわかっててわざとやったんだ! 私がすべて無くして、泣きついてくるのが見たくて。だから助けた。本当はどうでもよかったくせに。私なんか死ねばいいって思ってたくせに!」
つかつかと忍が夕季に歩み寄る。花束を握りしめ、厳しいまなざしを向けながら、夕季の頬を殴りつけた。
「!」目も口も開きっぱなしで頬を押さえる夕季。放心状態のまま忍の顔を凝視した。
「いい加減にしなさい!」忍の一喝。夕季の目を見据え、厳しい言葉を叩きつけていく。「人の話も聞かないで、うじうじうじうじ勝手なことばかり。あなたのそういうところが嫌いだって言っているの! そんなこともわからないようでは、本当に死ぬわよ!」
「……嫌いなら、助けなきゃいいじゃない……」頬を押さえ、涙ぐむ夕季。子供のように口をゆがめ、悔しそうに忍を見上げた。「ずるいよ。何で今さら助けたりするの。今まで何もしてくれなかったくせに。ほっといてくれればよかったのに……」
「ほっておけるわけないじゃない」切なそうに眉を寄せ、忍は囁くようにそれを口にした。「あなたは私の妹なのよ」
「……」涙がこぼれ落ちそうになるのを歯を食いしばってこらえる夕季。「調子のいいこと言わないで。今までずっと放ったらかしだったくせに。都合のいい時だけ妹だとか言わないでよ。あたしがこれまでどんな気持ちでいたか、あなたなんかにはわからない。わかるはずがない。それなのにこんな時だけ姉妹づらするなんてずるいよ。許せない。本当に助けて欲しかった時に助けてくれなかったくせに。そばにいて欲しかった時、いてくれなかったくせに……」
「ごめんなさい」
突然頭を垂れた忍の姿に、夕季がはっとなった。
「今さら許してもらえるなんて思っていない。こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないけれど、私はあなたのことを憎んだり妬んだりしたことは一度もない。あなたが空竜王の搭乗者に選ばれた時は嬉しかったし、その分不安も大きかった。ずっとあなたのことが心配だったから。黙っていたけれど、空竜王の第二オビディエンサーってね、私なの」
「……嘘」
「嘘じゃない。昨日搭乗要請があった」
「……」睨むことも忘れて、夕季は忍の顔に見入っていた。「……乗るの?」
忍が淋しそうに笑う。それから首を横に振った。
「断った。今さらあなたよりうまく乗る自信もないしね。でも、もしあなたがあれに乗ることがつらくなって、それが受け入れられないのならば、代わりに私が乗るから」
「……」
忍が背中を向ける。夕季に見られたくない何かを隠すように。
「私の独りよがりの気持ちが、あなたを誤解させてしまったみたいだね。ごめんね、夕季。私のことが嫌いならば、それでもいい。でも、これだけは覚えておいて。あなたにしかできないことなら、もうあなただけの問題ではない。みんなの気持ちを背負わなければいけないの。あなたに託すしかない人達の気持ちを、もっと大事にして……」
感情に言葉をさえぎられる忍。部屋から出ようとし、鼻をすすりあげ、優しげな口調で先につないだ。
「夕季、よく頑張ったね。お姉ちゃん嬉しいよ。でも、もっと自分のことも大切にしてね。あなたは信じないのかもしれないけれど、あなたがいなくなると私は悲しいから……」
「……お姉ちゃん」
後ろ髪を引かれるように立ち止まる忍。
「これ、やっぱり置いていくね」
花束を手放す。それから振り返ることなく、忍は病室を後にした。
夕季はしばらくそこから動くことができなかった。
その夜、夕季は眠れずにいた。
ずっと忍のことを考えていた。
子供の頃から何をしてもかなわなかった。勉強も、スポーツも、人との関わり方も。
すべてが忍に及ばなかった。
大人達はすぐに比べたがる。
何かと忍と比較されることが夕季は嫌だった。
忍はいつも誉められる。それに比べて妹は、という声を耳をふさぎたくなるほど聞かされてきた。
忍に負けまいと懸命に努力する。だがいくら頑張ってもその差は縮まらず、むしろ開いていくばかりだった。
いつか忍に置きざりにされるような気がしていた。
駄目な自分にあいそをつかして。
それが怖かった。
二人きりの肉親。たった一人の姉に見捨てられたくなかった。
前だけを見つめ、しゃにむに走り続ける。
忍に追いつきたくて。
それはいつしか二人の間に壁を作り上げることとなった。
高い高い壁。
話が噛み合わなくなったのは、いつまでたっても追いつけない自分を、忍が見下しているせいだと勘違いする。
無理をいさめる忍を、自分に追いつかれるのを恐れていると誤解して、夕季は軽蔑した。
あたりかまわず睨みつける夕季に拒絶され、近づけなくなった忍を、自分のことを嫌いになり関わりたくなくなったのだと勝手に思い込んだ。
夕季にはわかっていた。
二人の心が離れたのは、忍が振り返らなくなったせいではなく、自分が追いかけなくなったからだということを。
テーブルの上に目をやる。
複数の人達からのさまざまな見舞いの品があった。
果物。菓子。雑誌。メック隊員からの励ましの寄せ書きと千羽鶴。そして花瓶に広がる黄色い薔薇の花。
そのすべてを拒絶するように、夕季が顔をそむける。
悔しそうに唇を噛みしめた。
やがて目頭を押さえると、込み上げる感情に押されるままにうめき声をもらした。
二度と時が戻らないことを知り、嘆くように。
その時光輔はメガルにいた。
アスモデウスの襲来を告げる警報が場内に轟き渡ったのは、光輔がメガルの本館に足を踏み入れた直後のことだった。
途端にざわめき始める館内。
すれ違う誰もが必死の形相で走り抜けて行った。
まるでこの世の最後と言わんばかりに。
「光輔、こっちだ!」
桔平の声に振り返る光輔。
「桔平さん……」
「ここにいては危ない。逃げろ」
「……」
桔平の言葉の意味が理解できない。アスモデウスが現れたのは前回と同じ海岸で、何よりメガルにいることが一番安全なはずなのだから。
わけもわからずに自分を見続ける光輔に、桔平はそれを口にしなければならなかった。
「ここにいたらおまえは殺される……」