第四話 『スパイラル』 5. スパイラル
メガル格納庫に、白いレーシング・スーツのような戦闘服に身を包んだ夕季の姿があった。コクピット内での動きを妨げないよう体のラインにフィットしたセパレートのスーツは薄くて軽いが、衝撃吸収素材により外部からの衝撃に強く、メックの物のように心臓部に装着するトラウマプレートはないものの、刃物を通さず、拳銃弾程度ならば貫通を防ぐことができた。
空竜王の前に立ち、深く息を吐き出す。
出撃命令が下りていた。
覚醒の日以来、何度それを繰り返したことだろう。回をおうごとに襲撃の規模は拡大した。もはやメックだけでは大量のインプの軍勢に無太刀打ちできず、それらはすべて夕季が撃破した。メックは後方からのバックアップのみで、そのおかげで一人のケガ人を出すこともなくなった。
それは夕季が自ら望んだ選択ではある。
だがどうしてもそこに信頼を求めることができなかった。
戦えば戦うほど、せっかく得た大事なものを失っていくような気がしていたのである。
それは果てしなく続くらせん階段を、わき目も振らずに駆け下りる感覚にも似ていた。どこを向いているのかさえわからず、立ち止まれば転げ落ちていくだけ。
空竜王に乗り込むために移動式のステップに足をかける。
力が入らず、後方にのけぞった。
「!」
誰かに背中を支えられ振り返る。
口もとを固く結んだ鳳の姿があった。
「あ……」
何かを言いかけ、夕季が口をつぐむ。気まずそうに顔をそむけた。
「夕季、もうやめろ」
その言葉にはっとなり目を見開く夕季。ゆっくりと振り向いた。
「そんな状態じゃ無理だ。本当に死んでしまうぞ」
悲しげな瞳で夕季を見続ける鳳。それを受け入れてしまえば、心が折れてしまいそうだった。
奥歯を噛みしめ、夕季は黙って空竜王に向き直った。
「夕季……」
「他に誰がいるの」
顔も向けずに抑揚のない声を出す。
「私が行かなかったら、他に誰がやるの」
「俺達が何とかする」
「それじゃまた同じだ」
「……」
「みんな傷ついて、みんな死んでいって、残った人達が悲しむ。だったら、私がやった方がいい……」
突然後ろから肩をつかまれ、夕季の体が反転する。鳳が手を振りかざすのが見えた。
バシッと夕季のこめかみを平手で打ち払う鳳。
その勢いで夕季は尻もちをついた。
「何するの!」
鳳を睨みつける夕季。
鳳は夕季を見下ろしていた。哀れみを込めた口調で言う。
「立ってみろ、夕季」
ギリギリと歯がみし、鋭い眼光で鳳を睨み続ける。だが立ち上がることはできなかった。何度も力を込め、しかし腰が抜けてしまったようにがくがくと震えるだけだった。
「俺がどれだけの力で殴ったのか、おまえにもわかっているはずだ。たったあれだけで立つことすらできない。そんな奴を一人で戦わせて、のうのうと後ろで見物していられると思うか」
厳しく、そして慈愛に満ちた鳳の感情だった。
だがそれすらも夕季は素直に受け止められずにいた。
差し出された鳳の手を振り払う夕季。顔をそむけ、悔しそうに冷たいコンクリートの床を睨みつけた。
鳳が手を引いた。悲しげに眉を寄せる。
「夕季、殴ってすまなかった。だがわかってくれ。おまえを死なせたくないんだ。みんな同じ気持ちだ。おまえは俺達の仲間だ。大事な仲間が一人で苦しむ姿を、俺達は黙って見ていられない」
夕季が顔を上げる。
いつの間にか鳳の背後にメック隊員達が集結していた。みな心配そうに夕季の様子をうかがっている。
「夕季」駒田が切り出した。「おまえにも引けない事情があるのかもしれない。でも、死んじまったら何にもならない」
南沢がそれに続いた。
「おまえは俺達の命の恩人だ。だがそれ以上にかけがえのない仲間だと思っている。ほっとけないよ」
「でも、あたしはみんなを……」
「俺達を見ろ」
鳳の声に顔を向ける夕季。全員が真剣なまなざしで、夕季を心配そうに見つめていた。
「俺達が喜んでいるように見えるか?」
「……」
「おまえは俺達に笑って欲しくて、そんな無理をしているんじゃないのか? だが俺達は誰一人、そんなことを望んじゃいない」
「……でも、あたしは……」込み上げる想いにのどを詰まらせる。泣きそうな表情になった。「じゃ、どうすればいいの!」
「おまえの笑顔を見せろ」
「!」
夕季の顔を穏やかに見つめ、鳳が笑う。
「簡単なことだろ」
「……」
夕季の心が折れかける。目を丸くし、険の取れた表情で隊員達を見続けた。
その声が聞こえるまでは。
「まだこんなところにいたの」
振り返るメック隊員達と夕季。
進藤あさみが蛇のようなまなざしを向けていた。
「もう時間がないのよ。早く空竜王に乗りなさい、夕季」
冷たく言い放つ。背後に木場と忍を従えていた。
「待ってくれ、副司令」鳳が慌てて訴えかける。「夕季は今出撃できる状態じゃない。今回は勘弁してやってくれ」
「なら誰がインプと戦うのですか」
「俺達が行く」
あさみが笑う。
「おもしろいことを言いますね。あなた達が役立たずだから、この子一人にすべてを託しているのではないのですか」
「何だと!」
「やめろ、駒田!」
いきり立つ駒田を声だけで制する鳳。
「何と言われても仕方がない。事実だからな。だが」目一杯の眼光であさみを睨みつけた。「今回は俺達に任せてくれ。必ず何とかする」
それすらも一笑にふすあさみ。感情のともなわない言葉を連ねていった。
「今さらあなた達の何を信用すればいいのかしら。柊隊長がいなくなっただけでガタガタなのに。もっとも彼がいたところでそれほど変わるとも思えないけれど。もう誰もメックなんて信じてはいない。エスだけあればメックは必要ない。上層部でもそういう意見が出始めています」
「ならちょうどいい」
鳳が肝の据わった顔になる。パーフェクト・コールドに一歩も引く姿勢を見せなかった。
「もし俺達だけで奴らに勝てなかったら、メックは解散する」
「鳳さん……」南沢が呟く。すぐに腹を決め、あさみに向き直った。
あさみは表情もなくその様子を眺め続けていた。やがてにやりと笑う。
「いいでしょう。そこまでの覚悟があるのなら好きにしなさい」
まるで鳳の言葉を引き出したかのようだった。
「待って」
夕季の声にそこにいた全員が振り返る。木場や忍も同じだった。
「私が行く。だから今の話はなかったことにして」
「夕季……」
心配そうに夕季を眺める駒田。
鳳に表情はなかった。
「私がやる。メックにはバックアップをしてほしい……」
決意のまなざし。
震える腕で体を支え、ゆっくりと立ち上がった。
「できるの? 今のあなたに」
「……」
「最初に言っておくけれど、あなたにもしものことがあってもそれだけで作戦を変更できるほど、今の私達に余裕はない。最悪の場合、躊躇せずに空竜王の回収を優先します」
「何だと!」
駒田を手で制す鳳。
「それが嫌なら今すぐ空竜王の搭乗権限を返上しなさい。あとはこの人達に任せておけば、あなたは助かる。あなただけはね」
「今さらそんなこと。嫌ならとっくに降りてる」
あさみが夕季の顔に注目する。
あさみの表情から感情が消え失せていた。ふいに目尻が下がり、切なそうに夕季を見つめた。
「悪いわね。あなたが無理をしていることは重々承知している。でも今の私達はあなたに頼らざるをえないの」夕季の肩に触れ、背中を向けた。「できることなら代わってあげたいけれど……」
夕季は一度もあさみに顔を向けなかった。
「あたしがやる」木場の後方でじっと様子をうかがっている忍の姿を真っ直ぐに見据える。「誰にも手出しはさせない……」
あさみの口もとが含むようにうごめいた。
司令部別室で凪野守人は感応研究部からの報告書に目を通していた。
光輔のものだった。
メガネをかけ難しそうな顔をする。
「見込み違いでしたか」
視線だけをじろりと向ける。いつの間にか火刈聖宜が目の前にいた。
不敵に笑い火刈が言う。
「感応数値わずか五パーセント。オビディエンサーの序列で見れば、たかだか十三番目。リストから除外しても問題ない結果ですな」
「……」
「とは言え、気にはなりますがね」瞳の奥が妖しく光った。「六年前のあの事件を起こした人物と同じものとは考えがたい」
凪野は何も答えようとはしなかった。
その心の内を見透かすように火刈がふっと笑う。
「発動の時刻が近づいています。出現予測ルートの範囲もすでに避難を完了しています。古閑夕季は出撃準備をすませているようですが、メックは動かした方がよろしいですか?」
「好きにしたまえ」じろりと睨めつける。
「では、後方からの支援という形で配備させておきます。また出番はないでしょうが」
呼び出し音が鳴った。
インターホンを受け取る火刈。波野しぶきだった。
『司令、基地沿岸より千二百キロメートルのポイントにターゲットを確認いたしました』
「何、もうか? 何故そんな遠くに。今度は何だ。空か、海か?」
『それが……』信じがたいという様子でしぶきは続けた。『本体のようです……』