第三話 『そこにある希望』 7. 今すべきこと
「何! 空からだと!」
鳳が空を見上げる。
晴天だった空を雨雲が覆いつくしていた。それはメックに向かって集結し始めていた。
「何だ、ありゃ」駒田が驚きのあまり、口を閉じることすら忘れる。「何て数だ……」
「鳳さん、撤退だ! 今の俺達じゃ、あんなの相手にできっこない」
南沢の声も耳に届かず、鳳は空を覆う翼を持った新たな敵を凝視していた。
雲のような白い人型のインプが翼をはためかせ近づいて来る。黒く見えたのはその無数の影が積み重なっていたためだった。
「鳳さん!」
「おまえら行け。俺は残る」
鳳の一言に隊員達が戦慄する。
「何を……」南沢が声を絞り出す。「無茶だ。あんた死ぬ気か!」
「応戦の指示が出ているのか!」駒田がつめ寄った。
「いや」
「だったら……」
「撤退命令も出ていない。俺の判断だ」
「……だったら指示を仰げよ」
「その必要はない」
「な……」
「今俺達がすべきことは何だ」
「……」
「これから生きていく人間達に今の俺達の姿を見せてやることだ。どんな時でも屈しない姿勢を見せてやることだ。何があっても、見捨てず、逃げずに立ち向かう者がいることを教えてやることだ。たとえ一人でもな。必ずそれに応える人間はいる」エスのいる方角をちらと見た。「俺達は、それが必ずそこに存在するものだということを、正しい心を持つ者に信じさせてやらなければならない」
「だからって……」
「だからおまえ達は行け」
「……」
絶句する南沢に背中を向け、鳳は先につないだ。
「一人だって無駄死にをする必要はない。俺一人で充分だ」
「……どうでもいいけど規律はどうなったんだ?」
あきれ顔の駒田に鳳が言い放った。
「そんなもんクソッくらえだ!」
「……言っちまったよ」ちっと舌打ちする駒田。苦笑いしながら空を見上げた。「しゃあねえなあ、うちの隊長殿は……」
駒田が銃を手に取る。他の隊員達もそれに続いた。
「一時の感情に流されるな。おまえ達は自分自身が正しいと思ったことをすればいい」
憮然と言い切る鳳に、駒田が不本意そうに顔をゆがめてみせた。
「正しいも何も、今あんたが答えを出しちまったじゃねえか」
「だから俺一人で充分だと……」
「あんた一人で何ができるよ」
「……」
「あんた一人残ったところでたいしたことできねえだろ。だったら犬死にみたいなもんだ」
「そうだよな」
他の隊員達が追従する。
「俺達は正しいことをしなくちゃならんのだろうが。何もできないうちに瞬殺されちまったら、意味ないよな」
「言ってることが矛盾してるんだよな」
「さんざんカッコいいことぬかしといてよ」
「ツメが甘いんだよな」
「ま、昔からだけどな」
「おい、南沢、おまえは行け。一応ケガ人だし」
「おう、まだ可愛いガキとお別れするのは早すぎるからな」
「バカ言うな!」南沢が目を剥く。「こんなところで逃げたら、一生子供に顔向けできないだろ」
「バカ野郎!」
鳳の怒号に隊員達が身をすくませる。
鳳は隊員達に背中を向けたままで押し殺した声を発した。
「これは遊びじゃねえんだ。残れば確実に死ぬ。くだらない体裁は捨てろ。むしろ引くことを勇気だと思え」
その問いかけに答える者はいなかった。みなにやにやと笑みを浮かべたまま、鳳の背中を見守っていた。
駒田が涼しげな笑みをたたえる。先までの軽い調子とは違い、静かにそれを口にした。
「俺達がここから逃げれば、奴らはまた街を襲うだろう。今度こそ多くの命が失われる。それだけは阻止しなけりゃならん」
同じ表情で南沢が続く。
「俺達が本当にしなければならんのは、仕事や命令に従うことじゃない。愛する者達をこの手で守ることだ」
「だな。それによ、みんなでやりゃ案外何とかなるかもしれねえしな」
「おお、ポジティブだな、おまえ。さすが元高校球児」
「ったりまえだ。あの地獄の猛特訓に比べりゃ、こんなの屁でもない」
「俺もだ。あの夏合宿を超える苦しみには、いまだかつて出あった記憶がない」
「おまえは卓球部だろうが」
「それは差別発言だぞ」
「……。この、へなちょんぱどもが……」
ぐすんと鼻を鳴らす鳳。ようやく隊員達に顔を向けた。
「すまんな、みんな」覚悟を決めた表情で笑った。「もし生き残れたら、好きなだけ飲ませてやる」
「あんたの言うことはあてにならんよ。ま、聞くだけ聞いとくが」
駒田の顔をじっと見る鳳。
二人がにやりとする。
他の隊員達も同じ顔になった。ケガや疲労で今にも倒れそうな体を気力で支えながら。
「できれば全員生き延びろよ。命令だ」
「無茶言うなって」
「柊さんにメールうっとくか。DVD返しといてって……」
「やめとけ。借りパクされるぞ。あの人も結構なマニアだから」
「なあ、へなちょんぱって何だ?」
「知るか! おっさんに聞いとけ!」
ただならぬ気配を感じ取り、夕季が振り返った。
雨雲がもうもうと姿を変えながら、押し流されるのが見えた。
生暖かい風がさあっと吹き抜ける。
無線でしぶきを呼び出した。
『何が起こったの』
しぶきはそれには答えなかった。
「何でもありません。あなたは早くその場所から撤退しなさい」
『……』
「夕季」
『嫌だ』
「……」
『何かおかしい。今からそれを確かめに行く』
「夕季、これ以上の命令違反は……」
『切ります』
本部からの連絡を一方的に遮断する。
凪野が立ち上がり、火刈に背中を向けた。
「仕方がありませんな」火刈が嘆息する。「今空竜王を失うわけにはいかない……」
「了解した……」木場が再度司令部から連絡を受け取る。
すうう、と深呼吸してから、忍を呼び出した。
「木場だ。古閑、命令は継続だ。すみやかに遂行しろ」
『……。了解』
木場が空を見上げる。
すべてを覆い隠そうとする暗闇が、空を埋めつくそうとしていた。