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第一話 『海より来たる禍』 1. 穂村光輔



 私立山凌学園高等学校の講堂では入学式が催されていた。

 中総半島沿岸部に位置する人口約十万の工業都市、山凌市の高台に置かれたこの高校は、今年度で開校八年目をむかえる。全校生徒数約千二百人。新設校ながら文武両道を掲げ、有名大学への進学率と、近年では全国大会へ進出する運動部も出始めたため、周辺地域では人気校だった。屋上からは街を一望でき、遠く海の彼方まで臨める絶景でもあった。

 校長に招かれ、新任教師が壇上へとのぼる。

「樹神陵太郎先生は我が校の記念すべき第一回卒業生であり……」

 一人の少年があくびをし、講堂の窓から空を仰ぎ見た。

 澄み渡る青空と鳥達のさえずりが春眠を誘うようだった。


「穂村君」

 中庭で後ろから肩を叩かれ、先の少年が振り返る。その顔ぶれを確認し、穂村光輔は安心したように笑ってみせた。

「篠原か」

「篠原か、じゃないよ。なんで先に行っちゃうの。みんな待ってたのに」

 気のないそぶりの光輔に、呼び止めた少女、篠原みずきは不服そうに口をとがらせてみせた。

「だって、俺、みんなとクラス違うしさ。校舎まで別なんだぜ」

「ぼやくな、ぼやくな」みずきのそばにいた少年が合いの手を入れる。「昼休みになったら相手してやるから」

「おまえはいいよな、祐作とも同じだし。俺のクラス、同じ中学の奴いないんだよな」

「さびちいんだ」みずきがからかう。ツーテールを楽しそうに揺らした。

 コノヤローという表情で、みずきを見下ろす光輔。はあ、とため息をついた。

「別にさびちくないよな。俺がいるから」

 聞き覚えのある声に振り返る光輔。それから嬉しそうに笑った。

「りょうちゃん」

 光輔にそう呼ばれると、スーツ姿の長身の青年、樹神陵太郎は少しバツが悪そうな顔になった。

「こらこら、学校じゃこだま先生と呼べ」にやりと笑う。「ちなみに俺がおまえのクラスの副担だ」

「マジかよ。やりにくいな」

「いいだろ、もともとおまえの保護者みたいなものだしな」

「ははっ、また言ってる」

「だってそうだろうが」その太い腕で光輔の首をホールドした。「泣き虫光輔君」

「うげぇ……」

 楽しそうな二人を怪訝そうに眺め、みずきがおそるおそる口にする。

「穂村君、先生と知り合いなの?」

「ああ」みずき達を放ったらかしにしていたことに気づき、光輔が顔を向けた。「前に話したろ。昔施設で一緒だったんだ。その時は先生じゃなくてただのりょうちゃんだったけど。ま、今でもりょうちゃんか」

「樹神先生だ」

「だって……」

 ははっと陵太郎が笑う。懐かしそうに光輔を眺めた。

「おまえ、本当に今のままでいいのか。せっかくまた一緒に暮らせると思ったのにな」

「いいよ、俺は。あんまりりょうちゃん達に甘えるわけにもいかないし」

「遠慮することなんかないんだぞ。俺も雅も最初からそのつもりだったんだからな。雅、淋しがっていたぞ。おまえのことをずっと気にかけていたから。おまえの部屋まで用意してたりな。なんだったらこれからだって……」

「ありがとう、りょうちゃん。でもやっぱりやめとくよ。このままりょうちゃん達の世話になったら、俺、駄目になりそうな気がする。財団からの援助があるだけでもありがたいのに、その上そんなことしてたら他のみんなに申し訳なくて。ちょうど一人暮らしもしてみたかったし」

「そんなこと気にしなくてもいいのにな……」陵太郎が少しだけ淋しそうな顔になった。「ま、いつでも気が変わったら言ってこい」

「ああ、わかったよ、りょうちゃん、……じゃなくて、こだま先生」

「そうだ。その調子だ」光輔を優しく見守るまなざしには常に強い力が宿っていた。みずき達へ振り返る。「すまなかったな、邪魔をして。こいつは俺の弟みたいなものだから、みんなよろしく頼むぞ」

「はあ……」

「だが安心しろ。絶対にひいきはしない。むしろ厳しいくらいに扱うから」

 すると光輔の顔色が豹変した。

「教育委員会に訴えるぞ!」

「訴えろ、訴えろ。いつでも受けてたつぞ」

「変わらないな、りょうちゃんは……」苦笑い。

 それを受けて嬉しそうに陵太郎が笑った。

「光輔。今日、学校終わったら俺のアパートへ来い。飯くらい食わせてやるから。まあ、これから毎日、嫌でも顔を合わせなくちゃならんわけだがな」

「うん。わかった。行けたら行くよ」

「行けたらじゃない。必ずだ」

「じゃ必ず行けたら行く」

「そんな日本語はないぞ」

「りょうちゃんの勉強不足だよ」

「お、校長と同じことを言いやがったな」

「こんなところで油売ってたら、また校長に怒られるよ」

「おう、そうだった。いかんいかん」

「頑張れよ、こだま先生」

 光輔がそう言うと、満足そうな顔をして陵太郎は立ち去って行った。

「あ」

 みずきの声に光輔が振り向く。

「今、すっごく綺麗な人がこっち見てたよ」

 どれどれと周囲を見まわす男性陣。

「もう行っちゃったけど」

「早く言えっての。なあ、光輔」

「……」

「光、輔……」


 放課後、光輔は集合住宅が建ち並ぶ一角にいた。学校と海岸の境にあるこの場所からは海は見えない。

 それでも潮の香りは光輔の鼻腔をここちよく刺激した。

 陵太郎から手渡されたメモとにらめっこし、顔をしかめた。小学生が書いたような地図の端に、携帯電話の番号とへたくそな似顔絵が添えてある。吹き出しの中には『絶対来い!』と書かれていた。

「これじゃわかんないって。りょうちゃん、絵心なしだな」

 きょろきょろと辺りを見回し、ようやくそれらしい建物を見つける。

 まだ建ってさほど間もないだろう三階建てのアパートを見上げる。光輔の下宿とは違って貧相な様子もなく、一家族は住めそうだった。

 光輔が表情を曇らせる。

 何とはなしに、そこへいてはならないような気がしていた。

 ポケットへメモをしまい、静かに背を向ける光輔。

 足もとを風が吹き抜けた。

「おい」

 ふいに呼び止められ光輔が振り返る。

 声の主を確認し、呟いた。

「礼也……」

「何しに来たんだ」

 光輔より目線二つ分背が高い、礼也と呼ばれる少年は、そのスマートな外観に似合わない鋭いまなざしで光輔を睨みつけた。

「別に、何も……」

 軽く受け流そうとする光輔を礼也は許さなかった。

 両手で胸倉をつかみ締めあげる。それは見た目以上に力強く、激しかった。

「やめろって、苦しいから」

 光輔の表情が苦痛にゆがむ。

「今さらどのツラ下げてやってきやがった」噛みしめた歯と歯の間から荒々しい吐息がほとばしる。「ここから出て行け。おまえがいるとろくなことがない」

「なんで出ていかなくちゃならないんだよ。おまえには関係ないだろ……」

 ノーモーションから礼也が光輔を殴り飛ばす。

 数メートルも吹き飛び、光輔がぐったりとアパートの塀にもたれかかった。

「関係ねえとは言わせねえぞ!」

「なんのことだか、さっぱり……」

「だと!」

 激高し、弾かれたように礼也が猛ダッシュをする。

 先よりも数段硬い拳が光輔の顔面に突き刺さろうとしていた。

 逃げ場を失い光輔が歯がみする。が、その両眼が光を放つや、バネのように体を跳ね上げ、礼也をも凌駕するスピードで襲いくる左拳をかいくぐっていった。勢いそのまま、カウンター気味の右フックを礼也の頬に叩き込む。

 今度は礼也の体が宙に舞う番だった。

 両足をふらつかせながらも踏みとどまり、光輔が礼也を静かに見下ろす。

 激しく尻もちをついた礼也が、口もとの血をぬぐい立ち上がった。

「上等だ、この野郎」

「いい加減にしろよ」

「できるかって、んなもん……」

 その時だった。

「礼也君、やめて!」

 少女の呼びかけに礼也の表情が反応する。

 聞き覚えのあるその声に、ちっ、と舌打ちし、振り返ることもなく礼也はその場から立ち去って行った。

 光輔が声の主に顔を向けた。

「みやび……」

 とまどうように自分を見つめる光輔ににっこり笑いかけて、その少女、樹神雅は言った。

「久しぶりだね、光ちゃん」




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