第三話 『そこにある希望』 4. たいせつなもの
メガルのゲート付近に夕季の姿があった。手には南沢から受け取った袋をぶら下げている。
雅と違い、夕季はメガルの敷地内にある宿舎で寝泊りしていた。
駐屯基地並みの強固なゲート内でIDカードを提示し外へ出る。
敷地外の茂みからゲートの様子をうかがうようにうろうろしている、不信な人影を見かけた。
光輔だった。
光輔は夕季の姿を目にするや、そそくさと近寄って来た。
ちらと一瞥し、そのまま通り抜けようとする夕季。
それに気づき、焦ったように光輔が追いかけた。
「あ、の、柊さん、ケガどう?」
反応なし。
「……かなりひどそうだったみたいだけど」
足を止め、夕季がじろりと光輔を睨みつけた。
「どうしてそんなこと知ってるの」
「あ、いや、ちょっと……」
しどろもどろになった光輔を置き去りにして、夕季がまた歩き始める。
慌ててポケットから腕時計を取り出す光輔。桔平から預かったものだった。
「あのさ、柊さんがよくなってからでもいいんだけど、これ、あの人に渡しといてくれない」
差し出された時計を夕季がまじまじと眺める。
何も言わないのに光輔が勝手に補足説明を始めた。
「いや、別に何かあったってわけでもないんだけど、りょうちゃんが俺のことあの人に話してたみたいで、ちょっとさ……」
「だったら自分で渡せば。あたし、あの人あまり好きじゃないから」
冷たく言い放ちスルーしようとする夕季を光輔が引き止める。「俺もうあの人の前に顔出せないんだよ。何だか怒らせちゃったみたいでさ。今度顔見せたらぼこぼこになるまで殴られるらしい……」
「殴られればいいじゃない」
「そんなこと言わないでさ、頼むよ」無理やり夕季に時計を握らせた。「すごく大切なものらしいんだ。早く渡したくて。朝、雅とお見舞いに行くって話してたからさ、ちょうどよかったかなって……」
「みやちゃんに渡せばいいのに」
「いや、雅にはちょっと頼みづらくて」
「あたしより?」
「え! ……う〜ん……」
「……。どうしてそんな大事なものを光輔に渡したまま忘れてくの」
ぶすりと夕季。
とっさに光輔が取り繕う。
「あ、出動命令があったからじゃないかな。その前に見せてもらってたんだけど」
「出動命令?」
光輔が逃げ始める。緊張した面持ちでぶんぶんと手を振った。
「とにかく頼んだから」
光輔の背中を睨みつけながら、夕季はあきれたように鼻から息をもらした。
ノックの音がして桔平は病室のハンガードアに顔を向けた。
「どうぞ」隙間からのぞいた顔を見て、わざとらしく驚いた振りをする。「おおっと、びっくり! タマゴロ〜」
すると何もリアクションをとることなく、ノックの主、夕季は部屋の中へ入って来た。
「めずらしいな。おまえさんが来るなんて。俺のこと嫌ってたくせに」
からかうような口調の桔平もものともせずに夕季。
「別に嫌ってるわけじゃない」
「好きでもない、だろ?」
「……。後でみやちゃんも来るから」
「何だ、一緒に来ればよかったのに」
その言葉には様々な意味合いが含まれていた。
無表情に桔平を眺めながら、夕季は光輔から預かった腕時計を差し出した。「これ」
桔平が目を丸くする。今度は本当に驚いていた。
「何でこれをおまえが持ってるんだ?」
「穂村光輔が渡してくれって持ってきた。桔平さんの大切なものだからって」
「あの坊主、そんなこと言ったのか……」
桔平が嬉しそうに時計を手にする。
その様子を夕季は不思議そうに眺めていた。
「そんなに大切なものなの」
すっかり夕季の存在を忘れていた桔平が振り返る。にやけた顔を向けた。
「ん? 俺にとってはな。座れよ」
焦点を変えることなく、夕季がパイプ椅子に腰掛ける。
「どれくらい?」
今度は桔平が不思議そうに夕季を眺める番だった。妙に食いつきがいい。少なくとも桔平が知る夕季の中に、これほど興味を持って身を乗り出す姿はなかった。
「そうだな、絶対になくしたくないもの第一位ってところか。命の次に大事っつうか、むしろ命より大事っつうかな……」
「そんなに大事なものをどうして忘れていったの」
「……」一瞬キョトンとし、思わず笑う。「そりゃそうだ。スカしたこと言っといて、つじつま合わねえな」
ふいに夕季が複雑そうな表情になった。握りしめた拳を見つめ、戸惑いながらそれを口にする。
「……。あたしの大切なものって、何だろう……」
「そんなこともわかんねえのか?」
ゆっくり顔を向ける夕季。
「……わかるの?」
「バカ、俺にわかるわけねえだろ」即答。
「……」
「そんなの人それぞれだからな。本当に大切なものなんて、本人にしかわからない。おまえの大切なものなんておまえにしかわかんねえよ。何言ってんだ、やぶからぼうに。不思議少女ってガラでもねえだろが。ま、忘れちまったんならそのうち思い出すんじゃねえのか? 風呂入ってる時とか、トイレで頑張ってる時とか、ぶりっとな。ちゃんとメモっとけよ。間違って一緒に流すんじゃねえぞ、ゲハハハハ!……」
眉を寄せ、夕季が桔平の顔を凝視する。
プレッシャーに耐え切れず、桔平が思わず目をそむけた。
「……そのネコ娘みたいなツラで睨むのはやめてくれ。タマが縮むじゃねえか」
「睨んでない」ふいに口をへの字に曲げた。「……でもバカはひどいと思う」
「ああ、そっち……」
「……。陵太郎さんが死んじゃった時は悲しかったけど、それとも何か違う気がする……」
桔平がふっと笑った。
「そんなこと俺に聞くために、一人でやって来たのか?」
口もとを真っ直ぐに結ぶ夕季。桔平の目をじっと見つめながら手に持った袋を突き出した。
「何だ、これ?」
「シュークリーム。桔平さん、甘いもの好きだって聞いてたから」
「お、レ、何とかってとこのやつじゃねえか。ここのうまいんだよな」
桔平の声が踊り出す。
「そんなにおいしいの?」
「バッカうまだ! ……いや、おまえに言ったんじゃないからな」今日一番の即答。すぐに眉間をゆがめた。「おまえが買ってきたんじゃないのか?」
夕季が首を振った。素直に本当のことを打ち明ける。
「メックの人に貰った。この間あたしが助けようとしたからって」
桔平が、はは〜ん、という顔になった。
「おかしいと思ったよ。おまえが俺のためにこんなもの買ってくるわけないからな」
「……」
「嫌いなのか? 甘いもの」
夕季がぶんぶんと首を振った。ずっと桔平の顔に注目したままだった。
「何となく受け取りづらくて。こんなもの貰えるようなことしてないから……」
「気持ちが重いんじゃないのか?」何気なく言う。心はすでに箱を開けることに夢中だった。
夕季の反応はない。
図星だった。
桔平がおもしろそうに笑う。視線は菓子箱を開けることに集中したままだった。
「受け取ってやれよ。向こうはおまえがその気持ちをどう受け止めようと、何とも思っちゃいねえよ。押しつけようなんて気はさらさらないはずだ。いらなかったら捨てちまえ。もちろんまるごとスルーして俺によこすのもアリだ。意義アリだ!」嬉しそうに一つを手に取りかぶりついた。「お、抹茶だ。うめえな!」
夕季は同じ表情のまま、その様子を眺め続けていた。
桔平から目線をずらし、箱の中をそろっと覗き見る。
シュークリームをじっと見ている夕季に気づき、二つ目を口にくわえた桔平が箱を差し出した。
「ほれ」
「……」
中の一つを手に取り、夕季がかぷっと食いつく。レモンサワー味だった。
「うまいだろ」
夕季が小さく頷いた。「……うん」