第三話 『そこにある希望』 3. 信頼
夕季は空竜王のハッチを開け、ふう、と深くため息をついた。
相変わらず手応えがつかめない。
これから雅と桔平の見舞いに行く約束をしており、帰ったらまた深夜まで訓練を続けるつもりだった。
次の発動で招集がかかるかどうかはわからない。だが姉忍が言うようにあてにされていないのだとしたら、これ以上の屈辱はない。
せめて戦力として、メックとの共闘に参加したかった。
忍の顔を思い出す。
薄暗く広大な空間の中で、夕季は一人唇をきつく噛みしめた。
「頑張ってるな」
背後から呼びかけられ、夕季が振り返る。
格納庫の入り口からメック隊員が二人、夕季に笑いかけていた。
二人とも桔平と同じくらいの背格好で、一人は短髪でガッチリしており、もう一人はやや髪が長めで優男風だった。
優男が箱の入ったビニール袋を夕季に差し出した。
「これ、食べてくれ」
状況がわからず怪訝そうに眺める夕季。
それを予想していたかのように、その隊員は笑いながら続けた。
「礼だよ。こないだ助けてもらった」
見覚えのある顔だった。記憶をたどる夕季。
思い出した。
陵太郎が亡くなった日、ケガを負った一人の隊員をかばったことを。
「……あたし、何もしていない。逆にメックの足でまといになっていただけで、あの時だって海竜王が来なかったらどうなっていたか……」
沈痛な面持ちでそう告げた夕季をつつみ込むように、その隊員は満面の笑みをみせた。
「そんなことどうだっていいんだ。おまえが自分の危険を顧みずに助けようとしてくれたことが嬉しかったんだから」
もう一人が乱入してくる。
「俺達の役目は命を張っておまえ達を守ることだ。死ぬのは覚悟の上だから誰も恨んだりはしないがね。そういう気持ちがありがたいんだよ。よこしまな考えにとらわれずに戦うことに専念できる。同じメックのエスが知らん顔なのに、おまえみたいな人間がいるだけで、なんだか報われたような気になるよ」
「仕方ないだろ。仲間とは言っても、エスは俺達の中から枝分かれした、まったくの別物なんだから。命令系統も違うしな」
「あいつらはブラザーじゃない。自分達がエリート部隊だと勘違いしてやがる。ま、夕季に言っても仕方ないけどな」
「……」
「こら、そういう言い方するな。同じ仲間なんだから」
「お、悪い。そういうつもりはなかったんだけどな。あ、夕季って呼んでもいいよな」
「……。別にいいけど……」
「まったくよ、こっちの女子高生の方がよっぽど頼りになるぜ。ま、命令違反までして俺達が助けてもらってちゃ意味ないけどな。上からたんまりおこごともらったんじゃないのか?」
「……たいしたことない」
「助けてもらっといてなんだが、バツが悪いから今度からは気持ちだけにしておいてくれ」
優男が照れ臭そうに苦笑いする。
「こいつ、奥さんに怒られてやがんの。反対に助けられてどうするってよ」
「あ……」忍の言葉を思い出し、はっとなる夕季。うつむきながら申し訳なさそうな声を絞り出した。「ごめんなさい。余計なことして……」
「いや、そうじゃないんだって!」大げさに両手をばたばたさせて彼が否定する。「おまえは全然悪くない。俺がだらしないのが確定なだけでさ」
「……」
「とりあえず、これ買ってきたから持ってけって、さっき嫁さんがさ。レー・何とかっていう店のシュークリーム。こないだ食ったけど結構うまかったよ」
「朝から並ばなきゃ買えないんだってさ」
「こら、言うな」
「……」
「嫁さん、すごく感謝してたよ。またちゃんとお礼がしたいから、こんど来てもらえって。無理にってわけじゃないけど」
夕季が戸惑うような表情になった。小声で言う。
「……ありがとう」
それを見てシュークリームを手渡した隊員は安心したように笑った。
「……。ケガ、大丈夫なの?」
「ん? ああ。かすり傷だよ。勤務には支障ないレベル」
「そんでも、しっかり労災出してやがんの」
「やかましい!」苦笑いをしてから、ほっとしたような顔になる。何かを思い返すように、噛みしめるようにそれを口にした。「本当のことを言うと内心ほっとしているんだ。半年前に子供が産まれてさ。最近は毎日無事に家に帰れることが、何よりもありがたく感じられるようになった」
夕季が表情を曇らせる。それを聞くべきか否か迷っていた。
「……。そんなに大事な人達がいるのに、どうしてこんな危険なことを続けてるの。怖くないの?」
優男風のその隊員が即答する。
「そりゃ怖いさ」
「だったらどうして。いつ死んでもおかしくないのに。二度と大切な人に会えなくなるかもしれないのに……」
知らず知らず夕季の表情に悲痛さが浮かび上がる。それを二人は好意的に受け止めた。
「大切な人だからそうしたいんだ。大切な人達だから、どんなことをしたって守りたいって思える」
「……」
「俺達は何も、世界の平和を守ったり、正義の味方になろうなんて大それたことは考えていない。ただ身近な人間だけは、自分の手で守りたいんだよ。おまえにだって守りたい人の一人や二人いるだろ?」
短髪の隊員が合いの手を入れた。「あたりまえだろ。でなきゃ、こんな得体のしれないもんに進んで乗るかよ。まあ逆にそういうのがいないからできるって奴もいるが」
「……あたしには、そんな人いない」
夕季がぼそりと告げた。
それを受けて二人が顔を見合わせる。ふっと笑った。
「夕季は違うよ。そんな人間が他人のために命を投げ出せるわけないだろ」
「そりゃそうだな。そんな奴ならいの一番に逃げ出すはずだからな」
「きっと自分でもよくわかっていないだけだ」
絶句する夕季。彼らの解釈の中で美化された自分と、実際の自分とのギャップに後ろめたい気持ちになり始めていた。
沈んだような面持ちで箱を眺め続ける夕季を見て、二人も神妙な顔つきになった。
「すまないな。俺達にもっと力があれば、おまえらみたいな若いの、あてにしなくてすむんだが」
短髪の隊員の言葉が夕季の心を呼び覚ます。目を見開いて顔を上げた。
二人は笑っていた。夕季が何より欲しがっていたものを惜しげもなくさらけ出して。
「今度はちゃんとバックアップするからな」
「……」
「俺は駒田」短髪がウインクをする。シュークリームを手渡した隊員を親指で指した。「こいつが……」
「南沢だ。覚えておいてくれ」
「いつまで一緒に仕事ができるかわからないけどな」
「こら、そういうことを言うな」
「じゃあな」
「頑張ってな」
「……うん」
二人が去って行く。夕季はその背中をいつまでも見送っていた。
ふいに南沢が振り返った。
「あ、それ保冷剤融けちまってるから、すぐに食べないのなら冷蔵庫に入れといた方がいいぞ」
「バカ、おまえより百倍も頭いい奴に向かって言うことか」
「俺達よりも、だろ」
「俺はおまえの二割は頭いいぞ」
「嘘つけ」
笑い声の中、光射す通路に二人が消えて行く。
「無理するなよ」
夕季の心に信頼の二文字を刻みつけて。