第二話 『風に折れない花』 4. 挑発
山の中腹にあるアスレチック公園の駐車場に、一台の大型トレーラーが停められていた。
荷台の上には巨大な人がたが上半身をやや起こすように設置されている。
海竜王だった。
平日で他に人影もなく、辺りはすでに暗くなりかけていた。
神妙な様子で立ちつくす光輔へ背を向け、桔平はくだけた調子でそれを切り出した。
「俺もついこないだまで知らなかったんだがな、もともとこのロボットは精神感応ってので動くらしいな。何を基準に感応指数なんてのを割り出してるのかは知らないがね。ただ簡単に思うようには動かない。で、操縦する奴らは、この周りに貼り付けられた鎧みたいなものを補助動力として、とりあえずロボットを動かしてるわけだ。ほら、あるだろ。手足にギプスみたいなの装着して、女の子でもプロレスラーみたいな力が出せるようになるっての。あれと同じ原理だ。要は余計なものだ。本当のこいつはこんな宇宙服みたいなずんぐりむっくりじゃなくて、もっとスマートなんだぜ。こいつの本当の姿を知ってるのは、メガルでも上層部の人間達と一部の技術者だけって話だ。乗ってる奴らからして、実際見たこともねえんじゃねえかな。でもよ、この補助具取っちまったら、どこにも機械や燃料なんかがある場所が見あたらないんだよな。どうやって動くのか想像もつかねえ」
桔平が振り返る。その軽妙な口調とは正反対の鋭いまなざしで光輔を睨みつけた。
「こいつには裏スペックがあってな。これがハンパねえ。いや、本来のスペックとでも言うべきかもな。動かすだけなら俺にだってできる。だが獣のように駆けずり回って、バケモノどもを蹴散らすなんて真似は到底不可能だ。俺が何を言いたいのか、わかるか?」
桔平の迫力に押され、尻込みする光輔。ごくりと生唾を飲み込んだ。
「いえ……」
「教えてくれねえかな」
「何を、ですか」
「こいつの動かし方」
「……」
「コードは解除しておいたから、今なら中に入れるぞ。さ、パパッとやってみせてくれよ」
「そんな、俺に言われても……」
「とぼけるな!」
突然の怒号に、瞬間的に光輔の体が縮み上がる。すぐに落ち着き払った表情になった。
それを見て桔平は、光輔が事情を飲み込んだことを知った。ほう、という顔つきになる。
「わかってるんだぜ。あの時こいつのそばにいたのはおまえだけだ。樹神陵太郎はすでに息を引き取っていたからな。おまえじゃなければ他に誰がいる。特定危険者リスト特Aランクの穂村光輔先生よ」
驚きの表情を浮かべ、光輔が動きを止める。
「……なんですか、それ?」
「ああ!」
桔平の恫喝に光輔が身をすくめる。しかしその表情の中に浮かんだ好奇心を桔平は見逃さなかった。
「おまえ、六年前に一度こいつに乗ったことがあるんだろ?」
「……知りません。こんなロボット見るの、初めてです」
桔平が眉を寄せる。
今日初めて見たというのは嘘だろう。だが六年前に乗っていないという言葉は本当らしく思えた。
桔平の頭が混乱し始める。
すると今度は光輔の方から切り出してきた。
「確かに僕は六年前メガルにいました。でもそれは姉さんがメガルに必要とされていただけで、姉さんがいなくなってからは、またもとの施設へ戻されたんです」
「……」考えを巡らせる桔平。何かを探るように光輔を凝視した。「姉さんはどうした」
「死にました。メガルの中で。詳しくは教えてもらえなかったけど、何かの実験中に事故にあったみたいです」
「……。本当に知らないのか?」
「はい……」桔平の顔を見上げる。すがるような表情になった。「何があったんですか。教えてください。姉さんは何故……」
「そこまでは俺も知らないな」
「……」
「極秘扱いなんだろう。俺が知っているのは、おまえさんが昔メガルにやっかいになってて、その後なんらかの理由で財団から一生を約束されたってことだけだ。てっきり搭乗者試験にリストアップしてるものだと思ったんだがな」
「そう、ですか……」
光輔が肩を落とす。
予想外の展開に桔平は困惑の色を隠せなかった。
「まあいい。それはそれだ。今俺が知りたいのは、あの時海竜王に乗っていたのが誰かってことだけだ。俺達はこいつに乗る人間をオビディエンサーって呼んでる。従属者って意味らしい。あくまでもこいつが王様で、俺達が家来だからだ。だがそんな王様を、王様とも思わずに自分の手足のようにぶん回しちまった奴がいる」鋭い眼光で光輔を圧倒する。「おまえだろ、穂村光輔」
「僕じゃありません……」語尾が消え落ちる。
「じゃ、誰だ。おまえ、見てたんだろ。あの時、樹神雅と一緒にいたはずだからな」
「……知りません」
「知りません、知りませんで通ると思ってんのか」
「本当に知らないんです。でもロボットなら見ました」
「……」
「ロボットが動き出すのは見えました。誰が乗っていたのかまでは知りません」
桔平が瞬きもせずに光輔を睨みつける。タバコの煙を派手に吐き出した。
「おまえ、俺が雅達のところへ行った時、いなかったよな。どこへ行ってた」
光輔の体がビクッと反応する。
「隠れてました。バケモノがうじゃうじゃ出てきて、怖くて」
「動けない女の子一人置き去りにしてか」
「……はい」
「ふざけるな!」
桔平が光輔の胸倉をつかみ、その体が十センチも浮き上がる。
「適当なことばっか並べやがって。いい加減ムカついてしょーがねえぞ!」
「でも本当のことですから」
桔平から目をそらす光輔。おそるおそる顔を向け、続けた。
「雅を置いて一人で逃げたことは言い訳できません。それが気に入らないんだったら、殴ってください」
その目は力強く輝いていた。
ちっ、と舌打ちし、桔平が光輔を解放する。
それは拒絶というよりは、かたくなに心を閉ざし、殻に閉じこもっているように桔平の目には映っていた。
「ち、クソが」
腹の虫が収まらず、桔平が悪態をつき始める。
「情けねえ! 情けねえぞ! こんなクズを助けようとして俺は走り回ってたのか!」
近くにあったバケツを蹴飛ばした。
「あのバカ、こんなモン助けようとして死んじまいやがった!」
光輔が桔平に注目する。あのバカを示すのが陵太郎だということはすぐにピンときた。
「任務ほっぽり出して、逃げ遅れた間抜けな妹助けるためにてめえが死んでりゃ世話ねえな、ったくよ。こっちの身にもなれってんだ! なんの義理もねえクソガキども迎えに死ぬ覚悟で行ってみりゃ、当の本人は隠れてましたってか。冗談じゃねえぞ。いい加減愛想もつきたぜ、陵太郎よ!」
「!」
「最後の最後まで尻拭いばっかさせやがって、結局なんの恩返しもしねえで死んじまいやがった。なんだったんだ、あいつは。人に迷惑しかかけられねえのか、ボケ倒しが!」
「……やめろ」
押し殺したような光輔の声に桔平が振り返る。じろりと見やった。
「あん!」
「それ以上、あの人の悪口を言うな」光輔の全身がぶるぶると震えていた。怒りに染まった顔を上げ、桔平を睨みつける。「あの人を、りょうちゃんを侮辱したら、俺が許さない!」
「言ったらどうする? 俺を殴るか?」表情もなく光輔を眺めた。「それともあのロボットで引き裂いてみるか?」
光輔が背中を向けた。
「これ以上あんたと話すことは何もない。あんたはりょうちゃんのことを何も知らない。どんな気持ちで俺達を助けに来たのか。どんなに悔しい思いをしながら死んでいったのか。それでも俺達を心配させないようにって、笑って死んでいったことも」
「知るか、ボケ!」冷たい口調で突き放す。「ろくにケツの毛もはえそろってねえクソガキが、青臭え理屈偉そうに垂れ流してやがって。何言ってんのかよくわからんが、俺がわかってるのは、あいつがいろいろやっかいなもんだけ残して、勝手に死んじまったってことだけだ。後始末だなんだ、こっちに全部おっかぶせてな。たまったもんじゃねえ、ったくよ」
キッとなって振り返る光輔。
その表情からは怒りの度合いがありありと見てとれた。
「死んじまう方は気楽でいいよな。何もしなくていいんだからよ。だがこっちは違う。あいつと知り合いってだけで、なんの役にも立たねえ妹まで押しつけられた。いい迷惑だ、まったくよ。でもあの娘も逆によかったのかも知れねえな。甲斐性なしの兄貴が死んだおかげで、一生働かないで食ってけるんだからな。うらやましいね」
「いい加減にしろ!」
「知るかって言ってるんだ。で、どうしたいんだおまえは」桔平の目が据わる。「こっちはさっきからずっと待ってるわけだが、来るのか来ねえのか、どっちだ」
「……」
「簡単には殴らせてやらねえぞ。俺はおまえが思っているより十倍強くて、百倍容赦がねえ。ガキだろうが女だろうが、向かってくる奴はボコボコに叩きのめす」
光輔の表情は変わらなかった。桔平の挑発も冷静に受け止める。
それに気づき、桔平がフンと鼻で息をつく。あきれ返るように光輔を追い払った。
「もういい、行け。とんだ見込み違いだった」
「……」
「バカがバカなりに命張って守った奴が、どんなもんかと期待して見に来てみりゃこのざまだ。こんな腰抜け守るために命捨てるとは、あいつも筋金入りの間抜け野郎だな」
「やめろ。俺はなんて言われてもかまわない。でもあの人のことだけは悪く言うな」
「おまえにゃ関係ねえだろ。こっちにもこっちの人間関係がある。あいつは俺にそう言われても仕方がないようなことしちまったんだよ」
「約束しろ」
桔平の言葉を受け流すように光輔が続ける。
「もう二度と、樹神陵太郎を侮辱するようなことは言わないと」
「知るか!」睨み返す桔平。「おまえ、あいつのなんなんだ。大の仲良しか? 親友か? どうなってんだ、コラ! あれか? 大好きなお兄様の悪口言うと、許さねえぞ~、ってやつか? べたべたしてて気持ちわりい野郎だな」
「……言葉になんてできない」
「はん!」
「そんな安っぽいものじゃない。あの人は、俺の希望だった……」
「……」
「俺だけじゃない。雅だって、礼也だってそうだ。あの人を侮辱されて黙ってるくらいなら、死んだ方がマシだ」
「簡単に死ぬ死ぬ言ってんじゃねえぞ。そういうのが安っぽいってんだ。ろくに腹も決まってねえくせしやがって。覚悟もねえのに、いっちょ前の口たたくんじゃねえ、クソガキが! あいつのことだ。桜島でアニメソング絶叫しちまうような、イタい兄貴だったんじゃねえのか? どうせ小遣いでも恵んでもらって抱き込まれてたんだろうがな。腰抜けの兄貴分はやっぱり腰抜けってことなん……」
桔平の言葉が途切れる。
光輔が思い切り殴りつけたからだった。
それでも桔平は身じろぎ一つせずその場に踏みとどまった。
頬に拳をめり込ませながら、じろりと光輔を睨めつける。
「そんなもんか、おまえの覚悟ってのは」
「うあああー!」
堰を切ったように二発、三発と光輔が桔平を殴り続ける。
六発目でついに桔平がよろめいた。
はっと我に返る光輔。両手のかまえを解き、桔平からの制裁を覚悟した。
「それで終わりか?」
「……」
「なら今日のところはこれでチャラにしておいてくれ。割に合わねえかもしれねえが」
桔平が何を言っているのか光輔にはわからなかった。呆然とその顔を見続ける。
「すまなかったな。くだらねえこと言っちまって。忘れてくれ。……あいつのこと、かばってくれてありがとうな」
ようやく桔平の真意に気づき、戸惑いの表情を浮かべる光輔。立ち去ろうとする桔平を追いかけるように投げかけた。
「あなたは、りょうちゃんのなんなんですか」
桔平が足を止めた。
「おまえさんと同じだよ。あいつは俺にとってかけがえのない親友だった。弟みたいなものかもな」何のためらいもなくそれを口にする。「あいつがどう思ってたかは知らないがな」
「……あ」
「ひいらぎだ」振り返り笑う。それから背中を向けた。「柊きっぺい。もう会うこともないだろうがな」
辺りはすっかり暗くなり、細かな表情までは読み取れなかったが、光輔には桔平が嬉しそうに笑っているように見えた。
「柊さん……」
「なあ、あいつは笑って死んでいったのか?」
「……はい」
「そうか……」少しだけ間を置く。「きっとおまえさんに何かを託したんだろうな。あのバカッたれの考えることはよくわからんが」
しばらくしてまた立ち止まった。
「二度とメガルには近づくなよ」
それが自分の身を案じての言葉であることを知り、光輔は神妙な様子で頷いた。
「はい」
その時津波の発生を告げる警鐘が市中に鳴り渡った。
それはプログラムの発動を意味していた。