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ぷろろーぐ 《出会いは別れ、沈黙と孤独は》 

人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにすぎないのか―― ニーチェ

「本当にそうだろうか。僕にはそうは思えないよ」


 よく覚えていないけれど、確かそんな風に答えた気もするし、適当に相槌を打っただけかもしれない。


 どちらでも、どちらにしてもしなくても、どうでもいいことだった。


 と、言うのも。


 益体もない彼女の言葉を適当に再現するならこうだ。


 「世界、というか人間なんてものは、どこまでいっても独りぼっちだよね」


 本当にそうだろうか。僕にはそうは思えないよ。


 世間には、脇目も振らずグループで集合する奴らがいるじゃないか。


「そうか。じゃあ君もそのいくつもあるうちのコミュニティーのどれかに属しているんだね」


 どうだろうか。


 ただの気紛れでお茶を濁してみた。


 だけどやはり、僕はその輪の中にはいないだろう。


 と、言うのも。


 途方もない彼女の文句を曖昧に再生するならこうだ。


「人間、というか世界なんてものは、どこまでいこうと集合体だよね」


 本当にそうだろうか。僕にはそうは思えないよ。


 人間には、脇目も振れず補集合扱いをされる奴らがいるじゃないか。


「そうか。じゃあ君もそのいくつもあるうちのコミュニティーのどれにも属していないんだね」


 そうだろうか。


 ただの出来心で言葉を濁してみた。


 だけどやはり、僕がその輪の中にいないのは事実だ。


「ははー、なるほどね。そんな風に問題を曖昧にしておけば、賢そうだもんね」


 彼女は感慨深げに言う。僕はどうだったろう、確か肯定も否定もせず口を閉ざしたままだった気がする。肩を竦める程度の反応は返したかもしれないけれど。


「“どうだろう”か。そう、そうだよね。確かに、何か思うところがありそうに聞こえるね。事実とは関係なく」


 どうやら《事実》との違いをどうしても強調したいようだ。どこか蔑視の的にされている気もする。


「僕の勘定、いや杓子定規に則って言わせてもらえれば、それは賢者を装うただの詐欺師だけどね」


 本当にそうだろうか。


 僕はそう返した。いや答えにすらなっていないけれど、そう皮肉げに応じたことは覚えている。


「詐欺師だなんて、僕から言わせればこれ以上の褒め言葉はないよ」


 どうだろう、なんて迷うことはない。どう贔屓目に見なくてもただの誹謗中傷だった。


 彼女は益体も途方もありはしない話を続ける。


「とどのつまり、世界と人間はどちらが良いんだろうね。悪いんだろうね」


 目の前の彼女は。


 どこか思わせぶりに、夕日で紅く焼けた空を見上げ、そう呟いた。聞かれるまでもない、答えは既に決まっている。


 そんなの――


「どっちも一緒だよ」と彼女は投げ出し、


「どちらでもいいよ」と僕は吐き捨てる。


 そんなもの、僕達が弁舌を振舞おうとも、別段何かが変わるわけでもない。わざわざ取り立ててテーブルに挙げるような話題ではないのだ。


「ここにきて、初めて意見が揃ったね」


 これといった感情が感じられない、表情と声色で彼女はそう言った。


 異口同音になった、ただそれだけの他愛もないことで、張りつめていたわけではないけれど、二人の間の空気が緩んだ。だからといって、二人の顔には自然に笑顔が漏れることはない。僕は笑わなかったし、彼女は笑えなかった。勿論、無理をして人工的に破顔を生産することもしない。


「僕たちは一体どうなんだろうね」


 時間と足は進み、そろそろ別れ道へと掛かろうとした時、唐突に誰かがそう言った。


 近くに踏切があるのだろう。どこからか甲高い警告音が、電車が近づいていることを知らせている。嫌に響くような高い音調にも関わらず、何だかその音は虫眼鏡を通して見た景色のように、ぼんやりと耳に漂っていた。


 そして、その音よりも更に近くから、聞こえた声は、僕の独り言ではない以上、彼女のものだろう。僕は振り返る。


「僕たちは、二人で一緒にいるのかな。それとも独りと独りなのかな」


 振り返る、僕のその動作と同時に彼女の言葉が投げかけられる。


 どういう意味だ、と。発せられた言葉の真意を探ろうと、彼女の表情を伺おうと、視線を向ける。


 しかし、これまた丁度タイミングを等しくして、前方から迫りくる電車の光で視界は染められて、彼女の思惑は読み取れなかった。


 質問の意図は分からないけれど、投げかけられた問いは、答えなければない。


 一瞬、笑顔という皮を被ったそれで口元が綻んだ後、僕はその問いに相応しい答えを見つけ、口にした。曖昧な虚言でこの質問に臨むのはやはりというか、あまりにも場違いに思えたから。


「    、      」


 口パクだった。


 実際、発声しようがしまいが関係のないことだろう。フェンスを隔てたすぐ横を轟音が走り続けている限りは。


 因みに、今過ぎ去っていった電車こそが、乗らなくてはいけない便なのだけれど。それ故、心は自然駅へと向かう。今日のところはもうお開きだろう。


 だから最後に一つだけ尋ねた。それは先ほど彼女が僕に問い掛けたものと同じで、結局質問を質問で返す、感じの悪い形になってしまった。


「………」


 彼女は自らの言葉の写し鏡に対し、いくらか思案に出掛けたかと思えば、すぐに戻ってきた。実質、考え事に費やした時間は一瞬だったと言ってしまって良いだろう。


 口を開き、僕とは違い、きちんと音に乗せて科白を放った。


「さあ、どうだろうね」


 無邪気にそう舌を出して笑った。彼女はその後、「冗談だよ」と修飾したが、予想外の受け答えに、僕は思った以上の脱力感に見舞われる。自らの言葉の写し鏡を見ている気分だった。


 そしてそのまま、自然の流れとして二人とも、これが与太話だと言わんばかりに、答えを明確にしないまま別れたのだ。


 その後も何度も顔を合わせ、幾度も談笑したけれど、不完全燃焼で気持ち悪いままの疑問を消化させることはなかった。


 確かに僕達が交わした言葉は数限りないけれど、わざわざ文として改めて興す程、そこに見合うだけの意味も内容も、価値などない。たかが暇つぶしの為にぽっと出た他愛もない話なのだ。


 使い捨て。インスタント。量産型。僕達の会話を表すならそれらの単語が良いように思えた。どれか一つかもしれないし、どれでもいいし、その全てでもあるのだろう。それ故に、一度芽が出た話の種は二度とは収穫されることはないのだ。


 だがしかしその時の話はいつものそれとは違うように思えたのだ。だからいつの間にか家の前に辿り着いていた時も、彼女の問いが耳にはりついて、熟考の中で、僕を揺れさせていた。頭の中でいつまでも疑問が反芻され、反響し、当分意識から外れることはなかった。


 変に意識していたところを見ると、彼女も僕と似たり寄ったりの気持ちを抱いていたのだと、今なら分かる。


 それだけの影響下に晒されておきながら、僕も彼女もこの話を持ち出すことはなかった。それは僕と彼女。《二人》もしくは《独りと独り》の仲を良くも悪くも変えてしまう禁忌の内実なのだ。言うなれば毒のなる種とでも言おうか。外からは何の変哲もない。だけれど僕たちにとっては、それに深い意味を見出さずにはいられないのだ。


 僕達は二人で一緒だったんじゃないか。


 本当にそうだろうか。僕にはそうは思えないよ。


 僕達は独りと独りでしかなかったんだ。


 本当にそうだろうか。僕にはそうは思えないよ。


「結局――」


 それに対し、例の笑顔しか浮かべられない先輩は、


「君たちはどういう関係だったんだい」


 そう訪ねた。


「………」


 それに、僕は答えなかった。


「世界、というか人間なんてものは、どこまでいっても独りぼっちだね」


 誰かの言葉が思い出の中から響いてくる。


 そうかもしれない。心の檻の中、俯き気味にそう呟いた。


 クラスを見渡してみると幾つかの仲良しグループが認められる。しかしそのグループは本当に根から仲良しだなんて言えるのだろうか。


 お互いが贈与し合っているのは、嘘偽りだらけで相手を無難に愉悦に浸らせる魔法の呪文だけで、そこに本当に自分の意思は配合されているのだろうか。結局彼ら彼女らを結び付けているものは酷く頼りない虚構でしかないのではないだろうか。


 やはりそれは人間というものがどこまでいっても一人でしかない。一匹狼は決して群れの中では暮らせてはいけない。何よりも、皆仲良く手を繋いで歩いていくには、人間は矮小すぎるし尊大なのだ。


「人間、というか世界なんてものは、どこまでいこうと集合体だよね」


 誰かの言葉を思い出の中から手引いてくる。


 そうかもしれない。心の枷の下、俯くようにそう呟いた。


 クラスを見渡してみると何人か、グループの外にいる人間が見られる。しかし孤独とかぼっちとかいう蔑称で呼ばれる人間も結局どこかのグループに帰属しなければならない。


 世間は集団単位を強制しているのだ。だかがしかし、何も強制的――受動的な話ばかりではない。

 

 別に独りでも楽しめることはある。孤独だからといって同情や蔑視の対象になること自体間違いなのだ。そうは言いつつ、孤立している人間は孤立している人間で最小限ではあるが独自のコロニーを形成してそこに居直っている。


 やはりそれは人間というものが一人だけでは生きていけないということなのだ。何よりも、緑色でないコンクリートジャングルの世界は、独りで生きるには広大すぎるし窮屈なのだ。


「結局――君たちはどういう関係だったんだい」


 あの放課後に、僕は耐えきれず自身の中でずっとうずくまっていた疑念を、くすぶっていた不安をその先輩に打ち明けたのだ。そこで僕はそう聞かれた。僕は答えなかった。答えられなかった。


「だって、君たちは友達じゃなかったのかい?」喜怒哀楽から頭文字と語尾以外は、欠落したような顔で彼はそう聞いてきた。


 友達。


 僕達は、そんなのじゃないですよ。


 そう答えると不思議そうな顔をされた。


 僕達はそんなのじゃないんですよ。友達なんて僕も彼女もきっと作れないんですよ。だって、僕達は孤独の内奥からずっと《トモダチしている偽者》を見て、怒り、妬み、恨み、悲しみ、羨むことはなかったんです。ただ呆れと蔑みの二つの感情をもって《ああはなるまい》とその表も裏も見続けてきたんですから。


「うーん、負債ってやつ?」と笑顔とも困り顔とも判別がつかない表情をする先輩。


「友達と言っても、どこからが線引きなのか意外と分からないもんねえ」


 友達を利用するなんて、いけないことです! 


 だったらそれは友達じゃないと言いたいんだね。


 友達相手に気兼ねなく話が出来ないなんて!


 だったらそれは友達じゃないと言いたいんだね。


「そうですね、その通りです」


 友達の定義は人それぞれだ。僕が口を挟む問題ではないのだろう。


 だけど――


「僕たちは一体どうなんだろうね」


 彼女は言った。


「僕たちは、二人で一緒にいるのかな。それとも独りと独りなのかな」


 やっぱりそれは――どちらでも、どちらにしてもしなくても、どうでもいいことだったかもしれない。


 だから、

 

「    、      」


 僕はそう答えた。


 僕はずっと孤独だった。彼女と出会ってから、僕の孤独は果たして他の何かに変われたのだろうか。それは分からない。


 本当は彼女と苦悶を共有したかった。


 彼女と過ごしたあの黄金とは程遠く、鉛程には滲んではいない。そこそこ彩り栄えていた刹那の日々が、瞬間の数々が、どうであったかなんて、


 そんなの、


 今となってはどうでもいいことなんだ。


 彼女はもういない。


 彼女は、


 僕が、


「お前が殺したんだろ」


 どこか抽象的でどこも掴みどころのない、あの彼は、無遠慮にそう言った。


 その通りだ。


「誰が殺したんだ」


 僕が殺したようなものだ。


「お前が殺したんだろ」


 その通りだ。


 僕が、


 彼女をころしコロしし殺したんだ。僕が殺したようなものだ。


 僕は今までずっと孤独だった。そして彼女がいなくなった今、間違いなく僕は孤独だった。


 ずっと孤独とともに暮らしてきたんだ。


「だけど、君がその彼女と一緒にいた時、それは孤独だったのかい?」


 奇度愛楽な先輩はそう問うてきた。


 だから僕は――


「僕たちは、二人で一緒にいるのかな。それとも独りと独りなのかな」


 殺された彼女は過去にそう言った。


 だから僕は――


 だから僕は――答える。 



「そんなの、分からないよ」



 結局、口パクであろうと、なかろうと。電車が来ようが、来まいが。


 その返答は聞こえても聞こえなくてもどうでもいいものだった。

やる気、元気、根気があれば、


頑張って書いていこうと思います。



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