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30話 - 嵐の前の静けさ

誤字・脱字・文法の誤りがあったらごめんなさい。

 ……。


 唐突に外の空気が変わったのを察し、意識が覚醒した。


 目を開けて最初に飛び込んだのは自分の体を抱きしめる(ローゼ)の顔。

 記憶が確かなら自分は娘の膝を枕に寝ていたはずだ。

 だが娘は、我の身が自らの身を守る最後の砦であるかのように、しっかりと抱きしめていた。


 ぼやけていた視界の焦点を徐々に安定させる。

「……」

 よくよく見ればその体は僅かに震えており、その表情からは薄い恐怖が見て取れた。

 ……。

 娘を脅かさないように言う。

「…………。……娘よ、少し苦しいな」

「っ! ご、ごめんなさい!」

「いや、よい」

 ローゼの必死のハグから解放され、再度その柔らかい太腿に頭を降ろす。

 一息つきながらも。

「……一人足りぬな、何があった?」

 巡らせた視線と共にその異常を尋ねる。

「その、あの、クロッシュラー家の男の人が来て……」

「クロッシュラー?」

 ローゼがどうにか説明をする。

 耳慣れぬ言葉に眉を顰めつつ、足りない一人――リルカという娘――の気配を追う。

 ……まだ、屋敷の中、か。

 だが、再度聞こえた娘の声に意識が現実に引き戻された。

「はい、皇国の上位貴族の方、です」


 捕らえた気配を分析する。

 リルカという娘から感じるのは困惑。そのクロッシュラー家の男とやらからは心配、安堵、そして僅かな興奮。

 思考の海に没しながらも、疑問を発する。

「……貴族? なんの用で?」

「それは、流石に……」

 ローゼが口ごもる。

 ……まぁ、分かるわけもないか。

 申し訳なさそうに俯く娘の頬を、苦笑しながら撫でる。

 ローゼは皇国の内部に来てから日が浅い。さらに付け加えるなら、元は平民の出である。皇国の内情を鑑みて用件を推測しろ、などとは言えるわけがない。

 それでも、まぁ――。

「――面倒なことにはなりそうだがの」

 誰にも聞こえないような小声で呟く。

 この時期、このタイミングで上位貴族のリルカへの来訪。

 権謀術数に通じていない者ですら、なにやら感じるものがあるだろう。

 どうするかのう?

 我が君は未だ例の店から動いていない。

 …………というより、我が君の気配が途切れ途切れなのだが……。

 と、我の考えを遮るように、この部屋の最後の一人から声が飛んできた。


「殿下、彼の者なら私が存じております」

 我らに向かって凛とした声で言葉を送ってきたのは、この部屋の最後の一人。

 すなわち、皇国十二貴族バール家の次期当主、リミエラ・フォン・バールその人だった。

 流石に直接言葉がかかるとは思わなかったのだろう。

 娘がしどろもどろに応じる。

「え、え? あ、えと、はい。あの、教えていただければ、その嬉しい、です」

「はい。仰せのままに」

 小娘――リミエラ――は膝をつき、一礼をすると説明を始めた。


「先程の無礼者はソラ・フォン・クロッシュラー。皇国上位貴族クロッシュラー家の次期当主でございます」

 ……。

 ローゼがおたおたしているので、苦笑しつつも視線で小娘に先を促す。

 小娘も小娘で我の言葉遣いや仕草に思うところもあるのだろうが、僅かに眉を顰めるものの、素直に続きを話し始める。

「現在の所属は皇国近衛騎士団の第二軍団。近衛騎士であり、……私の同僚でございます」

「……あ、そういえばクロッシュラーは武門の……」

「仰るとおりです、殿下」

 何かを思い出したらしい(ローゼ)の呟きに小娘(リミエラ)が微笑で首肯する。

「クロッシュラーはアルマンディと同じように、古くから続く武家の名門。今も皇国軍部ではそれなりの影響力を持っている家柄です――」

「――」

 それから暫く、クロッシュラーの小僧の話が続く。

 曰く、クロッシュラーが現在のアイオライトを主体とする派閥とは別の派閥の家柄であること、ソラという男は社交界ではそれなりの浮名が立っていること、ソラという青年は貴族令嬢の間では好青年として評価が高いこと、剣の腕はそれなりであること、等々。

 取り留めのない話しもあるので、片手間に聞きつつも気配を追っていたのだが、一点だけ聞き逃せない言葉が耳に飛び込んできた。

「ソラ・フォン・クロッシュラーは現在のリルカ姫の婚約者であり、その婚約の仲人をしたのが、ガート卿なのです、殿下。――」


 ――グリード・フォン・ガート。

 皇国十二貴族の筆頭であり、現皇国宰相を拝命している男。そして、現在皇国で尤も発言力を有している男でもある。


 瞬間、以前我が君と交わした会話が脳裏を過ぎる。

 そう言えば、いつだが我が君が「皇国において皇家は象徴であり、偶像である」と言っていたな、だとすれば事実上この男こそが皇国の中心か……。

 ともあれ、再度小娘の言葉に耳を傾ける。

「――これは私の母、即ちジルヴァ・フォン・バールや殿下の伯母君であるカルディエ様が中心となっている軍部に影響力を持ちたい故の縁談とも言われています」

 私や母の推測ではありますが、と小娘が付け加えた。

 だが、実に嫌な言葉を聞いたものである。

それになにより小娘自身の言葉と表情から、それがまず外れているものではないことが読み取れた。




 ふっと、小さな呼吸をすると、改めて自らを膝枕している娘の顔に視線を向ける。

 ……あの娘が心配、か。

 沈うつな顔で黙りこんでしまった(ローゼ)に苦笑した。

 リルカ姫への婚約者の来訪、そしてその婚約者との仲を取り持ったのが皇国宰相。

 皇国宰相にいい印象を抱いていない娘からしてみれば心配以外の何事でもないのだろう。

 ……。

 まぁ、聞けば我が君はあのリルカという娘に世話になっていたというしなぁ。

 やれやれ、と腹を括る。

「……よっと」

 苦笑しながら横たえていた身を起こす。

「しばし待っていよ、娘。我が探ってきてやろう」

 なんだかんだで我はこの娘には甘い気がするなぁ。

 かつては戦好きで大陸を放浪していた月神狼は笑む。

 種族も違う、歳も世紀レベルで違うが、それでもまぁ……。

「…………もしいるとするなら、これが手の掛かる妹、……そういうものなのだろうな」

 温かい苦笑と共に呟いた。


 二本の足で床の上に立つと、自らの身に重ねるように幻影を纏う。

 我を見ていた娘と小娘の焦点が曖昧になっていく。

 ……初の試みだが、中々上手く言ったようだ。

 周囲の風景にあわせた幻影を纏うことで、擬似的な不可視状態を実現しているのだ。

 部屋の化粧台に我の姿が映っていないことを確認し。

「さて、では少々はしたない気もするがな、娘のためよ。出歯亀に赴くとしようか」

 見えないではあろうが、にやりと口の端を吊り上げると、その場を後にした。




 ◆◆◆【リミエラ・フォン・バール】◆◆◆



 目の前で、ソラ以上の無礼者である銀髪の少女の姿が薄れていく。

 精霊術でもない、武法術でもない、ましてや魔導術であるわけがない。

 正体不明の力。

 本来ならば身分の分からぬ輩など、皇国に唯一人の皇位継承者である殿下に近づかせるわけにはいかないのだが――。

「さて、では少々はしたない気もするがな、娘のためよ。出歯亀に赴くとしようか」

 多分以上の笑いを含んだ声が響くと、その気配が完全に消え去った。

 やがて、ドアがひとりでに開くと、再びひとりでに閉じる。

 恐らくは姿を消したまま、この部屋を出て行ったのだろう。


 ふうと小さくため息をつきながらも、一息を抜く。

 あの少女は、あの(・・)アッシュ・グレイの仲間だと聞く。

 少なくともまんま見た目どおりの存在ではないのだろう……。

 時折放つ気配もまるで歴戦の戦士のそれである。

 と、少女が姿を消してから僅かな間を置き、殿下から不安そうな気配を感じた。


 失礼かと思いながらも、そっと横目で殿下を見る。

「……」

 その同姓ですら羨む美麗な容貌は不安と怯えに翳っていた。

 ……。

 本来ならば身分の分からぬ輩など、皇国に唯一人の皇位継承者である殿下に近づかせるわけにはいかないのだが、殿下自身があの銀髪の少女から離れなかったのだ。

 まるであの少女が唯一の命綱であるかのように。


 僅かな迷いを断ち切り、改めて臣下の礼をとる。

「――殿下」

「え? あ、は、ハイッ! ……えと、何でしょうか、リミエラ、さん?」

「リミエラ、で結構で御座います」

 不安そうに縮こまる殿下に、内心でイザークに同情する。

 殿下のお顔を見る限り、同姓である私にすらその心を開いているようには見られなかったのだから。

 それでも、震えるだけで言葉を交わそうとすらしないイザークら男性陣に比べれば、会話が可能なだけまし、ということなのかもしれない。

「……いえ、――」

 僅かな逡巡もあるが、それを内心で押し隠し言葉を続ける。

 母や軍務長官であるアイオライト卿より「殿下と接するには時間がかかりそうだ」とは聞いていたがこれは確かに……。

「――殿下は、この後のご予定は?」

「…………えと、その、アッシュ様を待ちます。それにルーナちゃんが待っていろと言っていましたし、その、ここで待ってます……」

 語尾は小さくなり、やがては蚊の鳴くような小さな声になってしまった。

 ……やはり。

 ここまで物的証拠を突きつけられると、流石に不快感が滲む。

 別に殿下に、というわけではない。


 ただ、信頼し心を開いてもらえない自分に不快感が募った。




 ◆◆◆【ローズレット・ハート・ラ・イシュタリア】◆◆◆



 つい、俯いてしまう。

 目の前の少女――リミエラ姫――が嫌いという訳ではない。

 ただ、皇国に来てからの経験や過去が私の心に重く圧し掛かっているのだ。




 皇国で唯一人の皇位継承者。唯一人の皇女。

 流石に平民からいきなり皇女になったためかそこまで政務らしい政務はまだやったことがない。だが、皇国内の重要人物たちと面会するのが今の私の政務だった。

 そして、皇国に来てからは数多くの貴族やそれに準ずる者達と面会をした。

 ……。

 皆が皆私の容姿を褒め、皇女という存在を持ち上げる。

「美しい容姿」「髪が綺麗」「瞳が綺麗」「肌が雪のよう」「ドレスや装飾品ですらくすんでしまう」「ここまで美しい人にはあった事がない」「流石は皇女殿下」「殿下あってこその皇国」「時期皇王には殿下しかいない」等々。

 だが、それらは私の心に何一つとして響かなかった。

 仕方ないといえば、仕方ないのかもしれない。

 実際に、皇国であれだけの大きな政変があり、またエルレナ様がお父様を暗殺しかけたことがあっただけに、歴史を重んじる皇国としては唯一人の皇女というのはそれほどまでに重要な存在なのだろう。

 ……。

 皇国に唯一人の皇女、精霊王ノアの正当なる継承者。

 ……。

 私の耳には直接届いていないが、お父様に婚約話を持ちかけた貴族達も多くいるとの話だ、以前も、そして現在も。全員が全員というわけではないが、それでも私が面会した中には下心が見え透く者もいたのも確か。

 ……。

 ……。

 ……。

 そして、尤も私の心を抉ったのが、義理の兄であるレオナルドに襲われたことだった。

 思い出すだけでも、怖気が奔り震えが止まらない。

 思わず母の形見(リング)を握り締める。

 ……あれ以来私は――。






 その震えは銀髪の少女が帰ってくるまで止まらなかった。




 ◆◆◆【ルーナ】◆◆◆



 ……ふむ。

 娘から離れているようにも思えるが、実際に屋敷の中なのだ。

 この程度の距離ならコンマ一秒以下で娘の前に文字通り駆けつける(・・・・・)ことも出来る。

 なにやら娘の様子からして、速めに戻ったほうがいいのは確かなんだが……。

 ともあれ。

「あの場所なら大丈夫、か」

 トンッ。

 軽く跳躍すると、そのまま壁を垂直に疾走し三階の窓際に辿り着く。

 そのまま。


 ――シュリンッ。


 魔力で顕現させた白銀の爪を壁に食い込ませた。


 元より不可視の迷彩を纏っている身である。

 その上気配を消し、絶壁である窓の外にいる。まず見つかることはないだろう。

 というより、至近距離で凝視されても見つからない自信が多分にある。

「……いささか、やりすぎな気もしないでもないが、念には念を入れたほうが良いしのう」

 小さく苦笑すると、そのまま耳を澄ました。




「帰って来て下さい、リルカさん」

「……私は」

 強めの声にうろたえている声。

 前者はソラとか言う男、後者はリルカという娘だろう。

「コーラル卿もお母上様も心配されています!」

「……」

「確かに、アシュレイ・ガートは貴方の元・婚約者だったし、貴方が大切にされていた弟分だったのかもしれない。でも、今は貴方の婚約者は僕なんです」

「……分かっているわ、でも……」

「リルカさんっっっ!!」

 男が詰め寄る気配がして、女が僅かに緊張する気配がする。

 男から感じる気配にはある種の必死さが滲んでいた。

 ……ううん?

 思わずな事態に、片眉を跳ね上げる。

 これでも永い間生きているのだ、人の言葉の真偽ぐらい、わかるつもりだ。

 でもって、あの男に裏心はない。

 つまるところ。


「僕が貴方を幸せにします! だから、僕と一緒に帰ってください!」


 あのソラという男は、心の底からリルカという娘を想っているのだった。


 おや~~。




 ◆◆◆【ソラ・フォン・クロッシュラー】◆◆◆



 目の前で柔らかな空色の髪をした女性が俯く。

 リルカ・フォン・コーラル。自分より二つ年上の婚約者。

 そして皇国の誇る十二貴族の姫君。


 僕も様々な女の人と付き合ったが、目の前の女性に勝る女の人はいなかった。

 柔らかな微笑をたたえた表情、空の青を溶かしたかのような澄んだ色の髪、見事なプロポーション、そしてなにより優しく面倒見のいい性格。

 単純に目の前の女性に匹敵するような美貌の人はいる。ガート家の姫君然り、真紅の髪が麗しい皇女然り。

 だが、目の前の女性は僕自身が理想とする女性の体現だった。


「……私がここに居るのは、誰から?」

 俯いたまま、ポツリと漏らす。

 別段隠すような理由もない、素直に言う。

「宰相様です。宰相様とフィーリアさんからあなたを迎えに行くようにと」

 その瞬間、リルカさんが鋭く息を呑んだ。


 僅かな間が空く。

 やがて。

「私もソラのことは嫌いじゃないよ」

 小さく呟く。

 それを聞き心が舞い上がる。

 何度もデートやお茶に誘ったりしたが、明確に答えてもらったことはなかったから。

「貴方は社交界で言われているような浮わついたような人ではなかった、それに誠実でマジメ、私を愛そうとしてくれてるのが分かるから」

「では――」

 心が有頂天を飾る。

 しかしその寸前、リルカさんの続いた言葉が耳朶を叩く。

「でも、私は帰らない」

「なっ!」

 思わず絶句する。

 そして、思い出す。

 精霊武闘祭での時のこと。

 リルカさんは、とある男の為に親友だったフィーリア姫と宰相様に……。

「だって、私は――」


 ……。


 ……。




 ◆◆◆【ルーナ】◆◆◆



 ……。


 屋根の上で寝転がりながらも、先程のことを思い出して、短い息を吐く。

 ……雲行きが怪しくなってきたのう。




 空色の髪の娘が明確な拒絶を言う前に、男が何かの手紙を手渡したのだ。

 実際に見たわけではないが、男が宰相から文を預かった、と言っていたから間違いないだろう。

 だが、問題はその後だ。

 僅かな間があき、娘から一瞬、ほんの一瞬だったが間違いなく憎悪と憤怒の感情が迸ったのだ。

 人間でも鋭いものでなければ気付かなかっただろう。

 それほどの一瞬だった。

 だが、やがては、悲しそうな気配を放ち呻く様に、呟いたのだ。


「……帰ります」と。




 ……。


 さてさて、中々に複雑な事態になってきた。


 まずは我が君がどのように動くか、だが。

「まぁ、好きに動くのだろうなぁ」

 笑う。

 我が君は自らの心の思うままに生きている人間だ。

 あれほど自由という言葉が似合う人間も、そうはいまい。

 もし、あのリルカという娘を助けるつもりがあるのなら……。

「……楽しみだ。実に、な」




 ……。


「さて、娘にはなんと報告すればいいかのう……」


 弱った、とばかりに溢した。




 もし、その体が獣の体だったなら、まさに耳が伏せ、尻尾が丸まっていた事だろう。

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