22話 - VS 精霊術師マチルダ
誤字・脱字・文法の誤りがあったらごめんなさい。
熱が冷めそう……。
初めて会ったときまるで美の女神かと思った。
優しげな瞳、涼やかな声。
緩やかに波打った真紅の髪と、澄んだ海のように深い蒼の瞳。
その全てが完璧だった。
皇王陛下の愛娘、ローズレット殿下。
ワインレッドのドレスに身を包み、椅子に座るその姿は宛ら絵画の一枚ですらあった。
私とて大貴族の一子。今まで様々な女と遊び、時には寝た。
町娘や侍従の女、時には娼館の娘。今まで手をつけた女は限りない。
だが、その全てがくだらなく思えてしまうほどだった。
今も俺の一言でいくらでも付き合う愛妾はいる。
だが、その全てが目に入らなくなるほどの胸の高鳴りを感じた。
……ああ、あの少女が欲しい。
初めてだった。
初めて、自らの全てを賭けても欲しいと思えた。
こういうのを一目惚れというのだろう。
あの方の声を聞きたい。あの方と話したい。
そしてあの方の綺麗な肌や髪を、この手で触れてみたい。
――あの方の全てを自らの物としたい。
ふとそう思ってしまう。
これを男の性というのだろう。
しかし。
殿下が甘えていた男の姿が脳裏をよぎり、同時に限りない殺意が湧きあがった。
アッシュ・グレイ。
聞いたところによると、あの仮面の男は傭兵であり、皇王陛下の愛娘であるローズレット殿下が懇意にしている人物であるらしい。
事実、殿下はかの傭兵には心を開き、彼の前ではあのお淑やかで大人しい殿下が歳相応の少女として明るく振舞うというのだから、その親愛の深さが窺える。
私達十二貴族の子息は殿下が正式に皇女として迎えられた時に、一度面会をしている。
しかし殿下の表情は作り物めいた固い表情であり、我らに笑顔を向けてくれることはなかった。
リミエラ姫やフィーリア姫、マリアリア姫、リルカ姫などの同じ女性相手には少しは言葉を交わす。
だが、俺やフォッグ、ボルゼアやアナベルなどの男性陣にはその視線すら合わせようとしなかったのだ。
彼女は皇王陛下の息女、そして俺達は皇国を支える十二貴族の子息。
本来なら殿下の信頼を受け、友誼を通ずるのは我らのはずだというのに……。
「――くそっ」
あまりの寝覚めの悪さに悪態をつく。
横には裸の少女が寝ている。
昨晩付き合わせたカーリアン家に奉公している侍従の少女だ。
本来なら女と寝た次の日の朝は目覚めがいいはずなのだが。
「くそっ!」
あの仮面の野郎、ゆるさねぇ。
これが男の醜い嫉妬だというのも理解している。
だが、それでも止まらない。
「くそが!」
心にかかる暗雲を吐き出すかのように俺――イザーク・フォン・カーリアン――は悪態をついた。
◆◆◆【アッシュ・グレイ】◆◆◆
くああっ。
大きく口を開けて欠伸をする。
昨晩は皆でドンちゃん騒ぎをしていたのだ。
そしていざ横になろうとしたら眩しい朝日が俺の眼球に直撃した。
故に、眠くて眠くて……。
本来なら他の人たちの試合でも観戦するのだが、それも今は億劫。
「……寝るか」
控えの部屋に置かれていた長椅子に横になると目を閉じる。
ローゼと共に観客席にいるであろうルーナに念話を送る。
(ルーナ、時間になったら起こしてくれ)
(この場で寝ようというのか? 暢気なものよのう……)
心底呆れたような念が返って来る。
(……何とでも言え、もう限界)
(しょうもない奴よ。まぁよかろう、承った)
(…………サンクス)
ルーナの言葉に短く返すと、すぐさま意識は深い闇に沈んだ。
……。
唐突にルーナの声が響く。
(起きよ! 我が君の番だ!)
(………………………………ん、了解)
本当ならまだまだ惰眠を貪りたいのだが、そうも行かないのが現実だ。
(……今は?)
(後僅かで前の試合が終わる)
(……にゃる)
ルーナの言葉に思考の回転速度を加速させ始める。
寝ぼけ眼のまま立ち上がると、体を軽く捻りコリをほぐす。
「う、ぐっ」
パキ、ポキ。捻ると同時にいい音が鳴る。
……やはり寝床は畳が一番だなぁ。
そんな事を思いながら眼下に目を落とすと、丁度一人の壮年の騎士らしき人物が勝負を決したところだった。
「勝者、近衛騎士団長オリガルド!」
審判の声が響く。
そのまま次いで。
「第四試合、精霊術師マチルダVS一般出場枠アッシュ・グレイ、両者入場を!」
……行くか。
再度欠伸をすると、踵を返し会場へと続く階段に向かった。
「両者、構え……」
目の前にはショートヘアをした女性がゆっくりとした動作で半身に構える。
今回の相手はマチルダとか言う精霊術師、ジュリサの話によれば貴族お抱えの精霊術師であり、皇国でも十指に入る実力者でもあるらしい。
さらにその背後には翼を持ち虹色に輝く美しい魚が舞う。
……ほう、空飛魚か。
水属性と風属性の二つの属性を合わせ持つ稀少な精霊だ。位階は中位。
お手並み拝見と行くかね。
「………………始めッ!」
審判の号令が響き、その直後に嵐とばかりに風刃が襲ってきた。
「ぃよっと、おらよっと」
軽いステップでかわし、そのまま真横に跳躍。
さらにそのままの勢いで側方宙返り。
「おおう。これはこれは♪」
降り立ったのもつかの間、即座に前方に蹴撃を繰り出し飛来した風刃を砕く。
「予測に次ぐ予測。俺の回避行動まで計算に入れて風刃を配置するとはたいしたもんだ」
「……」
「あらら、だんまりかい」
俺の言葉に帰って来た沈黙に苦笑する。
と。
寡黙な精霊術師の周囲に多数の水球が浮かんでいるのを視認する。
「ほう。風刃で俺を攪乱。本体はその間に次の準備を整える、か。これはこれは」
素直に感歎の息を吐く。
発生の早い風を使い、その次は質量のある水を使う。
水と風を用いた多彩なまでの戦術。
恐らくこの水球とて次への布石となるのだろう。
「……行け」
精霊術師の一声により、水球が常人には視認不可能な速度で打ち出される。
当然、俺は常人ではない。
「フッ」
高速連打で打ち出した拳が飛来した水球を残らず砕き割る。
が。
「およ?」
本来なら飛沫となって地面に落ちるはずの水が空中に浮遊している。
そのまま水は鋭い針となって俺を四方八方から取り囲んだ。
「おおう!」
水球による集中砲火から水針による全方位攻撃。
しかも俺は拳を繰り出したばかり。
「……穿て」
精霊術師の言葉。
一瞬の間もおかず、水針の檻が俺を包み込んだ。
体を回転させる。
拳打を放ったのは右の腕。
故に、それを引き戻さずにそのままの勢いを持って、体を回転させる。
曰く、円運動を持って剄力となす。即ち、化勁。
さらには身に硬気功を纏う。
気とは自らの生命より生み出しし、力。
故にその応用力は非常に広い。
代表的なものであれば、気の流れを加速させての身体と五感の強化、気を纏わせての刀剣や盾鎧の強化。
ここで俺が言いたいのは、気というのは自らの身だけではなく、自らの纏っているものにもそれを通すことが出来るということ。
そして俺が行うのは硬気功。
自らの身の表面だけではない、髪一本から爪の端まで。果ては自らの衣服、外套、仮面まで。
ありとあらゆる物体に鋼以上の強度を与える。
化勁と硬気功の複合技。
パシャァァァァンッ!!!!
俺に突き立った水針の全てが砕け散る。
だが、敵も並みの相手ではない。
気づけば、俺の頭上にて剣を振りかぶっていた。
「ほほう。今日日、精霊術師は術以外にも剣を使うのか……」
感歎の呟き。
恐らくは風に乗っての高速移動。
さらにはその刀身が僅かに揺らめいている。
刀身に圧縮された風を纏っているのだろう。
ここまでの戦術の組み立て、中々にたいしたものだ。
だが。
「甘いぜ♪」
体を真横に倒す。
即ち地面と水平に。
俺の体はほんの一瞬の間だけ、空中で真横になる。
だが、俺にとってはその一瞬でもお釣りが来るほどに十分すぎる。
付け加えるなら俺の体は未だ回転の勢いが掛かったまま。
そしてそれを利用し、振り下ろされた剣に向かって、蹴りを打ち上げた。
バリィンッ!
硬気功と化勁の力でもって打ち上げられた蹴撃は振り下ろされた剣を蹴り砕く。
蹴りを打ち上げた俺、剣を振り下ろしたマチルダ。
共に足場のない不安定な空中にいる。
が、俺は大地に向かって拳打を打ち出し、その反動で高く跳ね上がる。
俺の頭上にいるマチルダの、より上へと。
武法術の使い手にとってバランス感覚などの自らの感覚機能は真っ先に鍛えるべき対象だ。
故にこの程度の回転や挙動で自らを見失うことはない。
「――シッ」
体に再三の回転を掛ける。
水針を受けたのが守りの化勁なら、先程の蹴撃とこの一撃は攻めの化勁。
回転が勢いを生み、勢いが力を生む。そして力は破壊へと転化される。
ドゴォンッ!
俺の放った一打は会場となっている大地を大きく抉り、同時に会場全体に巨大な轟音と振動を与えた。
「おおう、今の一撃を避けるか。たいしたもんだな、本当に」
「……はぁ、はぁ」
俺がお褒めの言葉を送るが、マチルダはそれどころではない。
脇を押さえて荒い息をつく。
まぁ、風の生み出す衝撃を自ら受けたのだからそれも仕方ないだろう。
……。
俺の踵落しが決まる瞬間に風の爆圧を発生させ、踵落しの威力を減衰、同時に自らの身を吹き飛ばしたのだ。
その咄嗟の機転・判断に素直に賞賛を送る。
だが、未だ俺は無傷。
「武器も壊され、身には小さくないダメージ。降参したほうがいいぜ」
「……はぁ、はぁ…………はぁ」
だが、マチルダは無表情のまま小さく口を動かす。
「…………の……だ」
「お? 何?」
首を傾げる。
だが。
「私の勝ちだ、そういったのだ」
「はい?」
カチンッ。
背後でそんな音が鳴り。
次の瞬間、俺を強大な爆発が包み込んだ。
少し講義をしよう。
まず水というのは簡単な話、酸素と水素という物質に分解できる。
でもって精霊術師マチルダは俺が風刃を捌いている間に大気中の水分を集めて水球を生成した。
大気から水を生成することが出来るのなら、その水をより小さく分解することが出来ない道理はない。
空飛魚は水属性と風属性を操る。
それはつまるところ、水と風。もっというのなら水素と酸素と理解することも出来る。
砕かれた水球は水針に。
砕かれた水針は水素と酸素に。
最初から分解していたなら大気の変化を感じ取って俺が気づいただろう。
だが、マチルダは俺が水球と水針を防ぐところまで読み、この一手を周到に準備していたのだろう。
分解された水素と酸素はゆっくりと、されど気づかれないようにその所在を配置され、一気にそれを破壊へと転じた。
水素と酸素の混合気体による爆発。
表して曰く、水素爆鳴気。
……。
マチルダのセリフの直後になったカチンという音は、砕かれた剣の破片が勢いよくぶつかった音だろう。鋼同士の勢いの強い接触は火花を散らす。
つまりはそれが火種。
恐らくは水素爆鳴気の準備を整え、その咄嗟の判断で砕かれた剣を火種に変えた。
正直に言おう、ここまでの一連の戦術を組み立てた頭脳と手腕、まこと見事である!
爆発というのはその熱波もさるものながら、その衝撃波も恐ろしい。
それは人体の内部。
もっと分かりやすくいうのなら、体内の呼吸器系に甚大なダメージを与えるのだ。
いくら硬気功を纏うおうとその熱波は防げない。
いくら硬気功を纏おうと口や鼻からはいる衝撃波は防げない。
この一撃、硬気功を纏った俺に対してこれ以上ないというほどの有効打である。
……。
……。
……。
俺が、常人であったなら、だが。
「おおう、中々に驚いたぜ」
「………………馬鹿な」
俺の呟きに、精霊術師の無表情が砕け散る。
即ち無表情から恐怖へと。
だが、ある意味それも仕方ないことであろう。
なぜなら、俺は爆発の直撃を受けたにも関わらず傷一つ負っていなかったからだ。
「ま、この程度じゃまだまだってことだな」
「……」
絶句するマチルダにウインク一つ。
「あばよ♪」
ヒュッ。
小さな小さな風きり音がし、次の瞬間。
ドォォォンッ!
大気が鈍い轟音を発した。
それはあまりの速度で物体が移動した際に発する衝撃波。
曰く、音波。
会場に巨大な破壊力が生まれ。
そして哀れな精霊術師はその破壊の嵐に巻き込まれた。
『縮地法八式・嵐蹄』、暁帝国で習得した歩法の一つ。
その正体は単なる移動だ。
もっと言えば、武法術で極限まで強化した五体による移動、だ。
だが、他の縮地法と違い大気を抉り突き破る移動法は強大極まる衝撃波を発し、そしてそれは相手を巻き込むことで攻撃手段ともなる。
先も説明したが、衝撃波というのは侮ってはいけない。
使い方次第でそれは簡単に人を害せるのだから。
……。
まぁ実際の所、この技を使ったのは先程の爆発に対するちょっとしたお返しだったりするのだが。
「しょ、勝者! アッシュ・グレイ!」
審判の声が響き渡るが、対して観客や観戦していた貴族たちは静まり返っている。
ある意味仕方がないとも言えるだろう。
精霊使いでもない俺が身一つで名の知れた精霊使いを倒し、あまつさえ巨大な破壊を巻き起こしたのだ。
精霊至上主義の皇国国民としては、自らの価値観が揺らぐ事態だろう。
……ざまぁ。
絶句している民どもに内心で嘲笑を送り。
会場入口で手をふっている少女二人の下へと歩いていった。
◆◆◆【???】◆◆◆
体内の精霊が訴える。
間違いない、と。
あの仮面の男は主の望んだ者だ、と。
思わず目から涙が、そして両の手で押さえた口からは歓喜の嗚咽が漏れそうになる。
空色の柔らかそうな髪を揺らしながら万感の想いを込めて呟く。
「………………。…………アシュレイ……」
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どうも復帰した神楽です。
先日は突然の休載失礼しました。
言い訳をさせていただくなら、当時少々のナーバスになっていたのと、雪華の前身である炎の剣がパクリと野次られた時の事を思い出したからです。
今は多少は落ち着いています。お待たせしてしまったなら申し訳ありません。
とりあえず、続きを書けるぐらいには持ち直しました。