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クズ男、スキル覚醒して脳汁を出す

 俺の短剣が僅か数センチだけオークの足に刺さっている。

 全速力で走り、勢いをつけてから攻撃したというのに。

 なんて硬度だ。


「グオオォ!」


 オークが咆哮しながら手足を振り回し、暴れる。


「シッ!」


 俺は咄嗟にその場から飛び退いた。

 いいぞ、悪くない。思いのほか動けている。

 昔を少しずつ思い出しているのかもしれない。

 探索者に必要なトレーニングは一通りこなしていたからな。

 体術も剣術も最低限の心得はある。

 だが。


「鈍いな……動きが……!」


 体のキレが悪い。

 体力と筋力は若い頃に比べて圧倒的に劣っている。

 さっきまでは逃げ回っていたが、今度はオークと戦う必要がある。

 条件は不明だが戦闘スキルを覚醒させるには、基本的には戦闘が必須だ。

 オークと戦うことで習得できる可能性を信じるしかない。

 それにオークがヒマリちゃんに標的を移さないよう、俺に注目してもらわなければ困る。

 ゲーム的に言えばヘイトを向けるって奴だ。


「はっ、やること多くていいな。余計なこと考えなくて済む!」


 俺は短剣を身構えつつ、姿勢を低くする。

 回避重視の体勢だ。攻撃は適切なタイミングのみで行う。


「オラ! どうした!? 来いよ!」

「グオオオォ!」


 オークは顔を赤くして、丸太のような腕を振り下ろす。

 一撃食らったら終わりだ。すべて避ける!

 俺は大げさに横っ飛びして回避。

 オークの連打が放たれ、さらに横に飛んで回避。それを繰り返す。

 言葉で言えば簡単だが、回避する度に首筋がヒヤリとする。


 どくん。

 回避する度に、心臓が一鳴り。

 俺に何かを訴えてくる。


「グルゥオ!」


 轟音。通り過ぎるオークの拳。回避。


 どくん。

 俺の分身は、また脈動する。

 激しい動きによる疲労?

 過剰な不安による動悸?

 違う。そんなんじゃない。

 どくん。


「は」


 誰だ? 誰かの声が耳朶を震わせた。

 再びオークの攻撃。

 ギリギリで避ける。


 ギリギリ?

 なんでギリギリで避けた?

 なぜ待っている?

 そんな大ぶりのパンチを。


 どくん。

 脳が熱を持っている。

 胸が激しく脈打つ。

 過剰な拍動。


「はは」


 また聞こえた。

 嘲るような笑み。

 いや、違う。


 これは……愉しんでいる?


「グルオオオォォ!」


 憤りながら叫ぶオーク。

 顔を赤くして、憎悪を俺に向けている。

 ああ、あいつは俺を殺そうとしている。

 一心に、すべてを懸けて、俺を殺すためだけにここにいる。


 オークの攻撃を避ける。

 避ける。避ける。避ける。


「ははは」


 どくんどくんどくん。


 背中を走る怖気。

 ゾクゾクとした感覚。


「ははははは!」


 声が近づいてくる。

 否。これは近づいているんじゃない。


「ははははは! あーははははは!」


 俺の声だ。

 俺が笑っていた。

 狂笑。愉悦。

 口角を上げて、俺は愉し気に笑っていた。


 殺されかけているのに。

 死に向かっているのに。

 体力は限界近いのに。

 ここから逃げ出す確率なんてゼロに等しいのに。


 それでも俺は笑っていた。

 高揚感が俺を侵食していく。

 ああ、これは知っている。

 ギャンブルと一緒だ。

 身を削り、何かを得る。あの感覚と同じ。

 違っている点は賭けているものと得られるもの。

 そして圧倒的に低い勝率。


「あははははははははははははははははははっ! 脳汁止まんねぇーーーッ!!」


 だが俺は笑った。笑ってしまっている。

 回避行動をより最低限にし始めている。

 ギリギリまでオークのパンチを引き寄せて。


「グゴオォォォ!」


 そして避ける。

 少しでも判断を間違えば死んでしまうというのに。

 俺はスリルを楽しんでいるのか?

 オークの大ぶりなパンチを俺は避けずにじっと見つめた。

 再びギリギリまで引き付け、瞬間的に姿勢を低くする。

 オークの懐に飛び込むと同時にオークの足の指に短剣を突き立てた。


「グガアア!」


 オークの怒号と悲鳴。

 俺はそれを聞くと即座にその場から飛び退く。

 数瞬前に俺がいた場所はオークに踏み潰されていた。

 我ながら良い反応だ。長年怠惰な生活をしていたとは思えない。


 これならいける! そう思った瞬間、俺はガクッと膝を折った。

 何が起きたのか理解できず、両足を見下ろす。

 震えている。

 感覚も麻痺して動かない。


「動け……何してんだ……!?」


 だが俺の体は満足に動かない。

 そこでようやく気付いた。

 俺は今まで全力で動き続けていた。何分? 何十分?

 運動不足で経験不足なアラサーのおっさんが可能な稼働時間を超えている。

 筋肉が痙攣し、まともに動かない。


 頭が馬鹿になっていた。

 戦闘に没頭しすぎて自分の状況がわかっていなかったのだ。

 脳汁のせいで鈍麻していたのか。


 オークは俺を殺しに迫ってくる……ことはなかった。

 おい、おいおい冗談だろ!?

 オークは俺とはまったく違う方向へと走り出したのだ。

 ヒマリちゃんの方へと。


 窪みに隠したはずのヒマリちゃんが目を覚まし、立ち上がろうとしていた。

 そのせいで彼女の姿が丸見えだった。

 最悪のタイミングだ。

 だがヒマリちゃんに非はない。彼女は意識を取り戻して、立ち上がっただけだ。


「グオ! グオ! グオ!」


 オークが気味の悪い声を吐き出しながら走っている。

 このままだとヒマリちゃんは殺される。


『別にいいだろ。他人なんだし』


 その瞬間、俺の中に不意に浮かんだ言葉。

 それは誰でもない俺自身の考えだった。


『リリの娘? 一回しか会ったことないだろうが。赤の他人。そんな奴を助ける理由があるか? ないだろ? 自分さえよけりゃそれでいいんだ。おまえはそういう奴だ』


 もう一人の自分の囁きに俺の心は揺らぐ。

 ああ、そうだ。俺以外の奴のことなんてどうでもいい。

 俺は一人で、地べたを這いずり回って、底辺の生活をしてきたんだ。

 人間なんてクズだらけ。他人のことなんてどうでもいいと思って生きている。

 そう思えるほどに大勢の腐った連中を見てきた。俺もその一人だ。

 だから助ける理由なんてない。その必要もないんだ。

 ……そう思ったのに。


 俺は無意識の内に走り出していた。

 他人なんてどうでもいい。俺さえ良ければいいと思っていた。

 目の前で困っている人間がいても俺は放っておく、助けを求める人間がいても誰かが助けるだろうと放置する、ニュースで誰かが不幸な目に合ったと聞いても他人事だと思う、俺はそんな人間だ。


 だけど、ヒマリちゃんを見捨てることなんてできない。

 俺がまだガキでまともだった時に大事だった人の子供だからだ。

 クズな大人じゃない。純粋だったガキの頃に関わった人だからだ。


 彼女を見捨てたら、過去の自分を穢すことになる。

 好きだった人を見捨てることになる。

 好きだった気持ちを否定することになる。


 今の俺はクズだ。

 だけどガキの時の綺麗な思い出まで捨ててしまったら、クズ以下の存在になってしまう。

 俺はクズでも人間のままでいたい。


 だから助ける!

 命を懸けて!

 命を賭けて!


 さっきまで満足に言うことを聞かなかった体が思うように動いていた。

 だがわかる。すでに限界は超えているということを。


「いやあああーーーっ!!」


 ヒマリちゃんの悲鳴。

 オークが拳を振りかぶる。

 俺はオークの足元に到達。


 ヒマリちゃんがうずくまる。

 オークが拳を振り下ろす。

 俺はヒマリちゃんの前に到達。


 ヒマリちゃんと目が合う。

 オークの拳が俺へと届く寸前。

 ブン。

 俺は振り返り、短剣を振った。


 …………は?

 なんで短剣を振った?

 相手は三メートルを超える巨躯。

 腕は丸太みたいに太い。

 短剣ごときで弾けるはずもない。

 そんなことはわかっていはずだ。


 でも俺は短剣を振った。

 なぜだ?

 なぜ攻撃をした?

 回避する時間はなかった。だから悪あがきで短剣を振ったのか?

 なんだ? どうした? 何が起こっている?


 《《どうして時間が停まっている》》?


 思考が加速しているのか?

 視界に移るすべてが止まっている。

 俺もオークも恐らく背後のヒマリちゃんも。


 何も聞こえない。

 短剣を振る直前のヒマリちゃんの叫び。

 オークの咆哮と拳を振り下ろす際に生まれる轟音。

 短剣の生み出した鋭い風音。

 激しい心音。


 それらの残響だけが聞こえ、そしてやがて無音が支配する。

 ふと思い出す。

 この光景、見覚えがある。

 まさかこれって。


 【パチンコのリーチ後の最終演出】。


 そう思った次の瞬間。


 ガガガガガガガガガガガ!

 同時に短剣から伝わる激しい振動。


 キュインキュインキュイン!

 けたたましい人工的な電子音が鼓膜に響き渡る。


 ズバババババババババババババ!

 放った斬撃が衝撃波となりオークの巨躯を半分に寸断。


 ピュオオォガガガガガ!

 生まれた激しい風が俺の髪を揺らす。


 キュインキュインキュイン!

 視界が虹色のエフェクトで埋まる。


 キンキンキンキンキン!

 オークの体が金色の粒子で包まれ、そして吹き飛んだ。


 ブルルルルルルル!

 巨体が地面に倒れ、自身を思わせる振動が生まれた。


 ヒュウゥ、デレデレデレデレ!

 オークから生まれた光の粒子、魔素が俺の体に吸収され、脳内にレベルアップ音が響き渡わった。


「……倒した……のか?」


 オークを倒す瞬間、最後の最後にスキルが覚醒したってのか!?

 状況を理解した瞬間、こみ上げてきた過剰な感覚。

 それは安堵感と快感。

 鼓動が一瞬だけ止まり遅れて大きな脈を打ち、下腹部からこみ上げる振動と共に肺に、心臓に、脳に訪れる静寂と脈動。

 例えるなら温かい風呂に入った瞬間に、ほんの少しの間だけ感じる快感を何百倍にもした感覚。

 息が止まり、深呼吸すると全身がゾクッとする感覚。それが全身を駆け巡る。


 ああ、知っている。これはあれだ。

 パチンコの大当たり!

 それを何十倍にもしたほどの快感。


 やばいやばいやばすぎる!

 全財産をかけて逆転コンプリートした時が俺の人生で最大の脳汁体験だと思っていた。

 でも軽く更新してしまった。


 全身が脈打っている。

 視界がおぼろげになる。

 足をついている感覚が麻痺していく。

 現実感が薄くなり、夢を見ている感覚になる。


 脳汁(オキシトシン )だ!

 脳汁(セロトニン )が溢れてる!

 脳汁(アドレナリン )が俺の理性を崩壊させ! 

 脳汁(ドーパミン )による快感が押し寄せる!


 あーーーーーーーー! 気持ち良すぎーーーーーー―!

 サイコーだぁぁぁぁぁ! このまま死んでもいいやぁ!

 頭がクラクラする。

 脳汁が溢れた時、陥るあの感覚だ。

 今まで感じたことないレベルのパチクラである。

 気持ち良すぎて、頭がおかしくなりそうだ。


「は、はははは! ははははは!」


 思わず笑った。笑うしかなかった。

 自分の感情が理解できなかった。

 ただ一つわかっていることは助かったってこと。


 そして。

 俺は興奮冷めやらぬまま、振り返る。

 そこには驚きのまま俺を見上げているヒマリちゃんがいた。

 彼女を助けることができた。

 パチンコばかりしていた、ギャンブル依存で怠惰なクズの俺が、一人の女の子を救うことができたんだ。

 初恋の相手の娘を。

 俺にしては上出来だろ?


 過剰な快感は徐々に消失し、じわじわと湧いてきたのは純粋な喜びだった。

 完全に気が抜けてしまい、俺はその場に座り込んだ。


「か、甲斐さん!」


 ヒマリちゃんが咄嗟に俺を支えてくれた。


「はは、悪いね……おっさんを支えてもらって……」

「そんな! ……そんなこと……ないです。ありがとうございます、甲斐さんがいてくれなかったら私……私……っ」


 ヒマリちゃんは目を潤ませていた。

 肩を震わせ、俯き、顔をくしゃっと歪める。


「ごめんなさい……ありがとう、ござい……ます……ううっ……ぐすっ」


 それは安堵か、それとも感謝か、罪悪感か、それとも自分の境遇を悲しんでいるのか、あるいは全部か。

 あれだけのことがあったんだ。情緒が不安定になって当たり前だ。

 だが俺たちは助かった。死なずに済んだんだ。

 今はそれを喜ぼう。


 俺は泣きじゃくるヒマリちゃんを見ないように天井を見上げた。

 若い女の子が泣いている時にできることなんてありはしない。

 ただ泣き止むのを待つだけだ。


 俺はただのクズのアラサーのパチンカスのドパオジでしかないんだから。

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