おかしな二人2(滅びた世界の片隅で)
「・・・」
世界は滅びていた。
僕は、誰も何も通らない道路の真ん中に、短パン一丁で海水浴用の寝そべることのできる白い折り畳みの椅子を置いて、そこにゆったりと寝そべり日光浴をしていた。
世界が滅びても、夏の日差しは変わらず強烈だった。僕はこの夏の強烈な日差しが大好きだった。僕は今、全身でこの日差しを独り占めしている。
「う~ん、最高だ」
世界は今僕のものだった。たとえ体に悪いと言われてもこればっかりはやめられなかった。
「・・・」
僕は夏に輝く空を見つめる。世界が滅びたことなどどこ吹く風で、空は今日もどこまでも青く、雲は呑気に流れていた。
世界はまだ滅びてから三カ月しか経っていなかったが、すでにコンクリートで覆われた街は、草が生い茂り始めていた。夏だということもあるが、自然の力はやはり凄まじい。
僕は丘の上の平屋に住んでいた。どの家でも選り取り見取りだったが、僕は、あえて郊外に立つ、街と海を見下ろせる丘の上の小さな平屋を選んだ。豪邸に一人で住んでも、掃除が大変だし、虚しいだけだった。
滅びた世界はなかなか快適だった。えり好みをしなければ特に生活に困ることはなかったし、特に足りないものもなかった。スーパーやコンビニに行けば、保存食や飲み物はまだたくさんあったし、生活必需品も潤沢にあった。
焚火や自炊の生活はそれなりに楽しかった。というか、楽しかった。
原始的な生活がこんなに楽しいとは思ってもいなかった。ネットもテレビもなかったが、むしろいらなかった。楽しいことは山ほどある。肉を焚火の火で焼く。それだけで楽しかった。
どうしても暇になれば、図書館や本屋に行けば、本や漫画、雑誌が読み切れないほど山のようにあった。だが、そんなものも必要ないくらいに、やることはたくさんあった。昼寝もその一つ。
文明の利器を使おうと思えば、電気は発電機があったし、バイクや車もまだ動いた。だが、それらを使おうとは思わなかった。無くても十分充足していたからだ。
近代文明の中で必要と思っていたもののほとんどは、いざなくなってみると、ほとんど必要なかった。ゲームもネットも、テレビもスマホも、まったく必要なかった。というか、なくなってむしろその呪縛や依存から解放された爽快感があった。
今日は久々に、探索も含め近所のスーパーへ食料調達に行く。スーパーには、一人で食べるには腐るほどの食料品がある。そこで手に取るのは、だいたいインスタント食品か缶詰めだった。
「・・・」
スーパーのレジから、札束が溢れているのが見える。だが、当然そんなものは、今は何の価値もなかった。あんなものを、みんな必死になって、自分の人生や、限りある時間や労力のほとんどをかけて、人によってはすべてを捧げて奪い合っていたのだ。今冷静になって考えてみると、本当にバカらしかった。
世界は滅びてよかったのかもしれない。僕は思った。
世界はまだ滅びたてほやほやで、まだ、人間のやらかした地球温暖化の影響がたっぷりと残り、猛烈な暑さだった。食料を持ちながら、そんな強烈に暑い日差しの中をえっちらおっちら、丘の上の自宅まで歩いて行く。まあ、別に急ぐ必要はない。世界は滅びているのだから。でも、体中のすべてから、汗が玉のように吹き出してくる。
ふと顔を上げると、丘の上の逆光のその先に少女が一人立っていた。三カ月ぶりの人間だったが、なぜか僕は特段驚きもしなかった。
「やあ」
僕が右手を上げ、声をかける。
「は~い」
彼女も手を上げて応えた。
「もう世界中に誰もいないのかと思ったわ」
彼女が言った。
「僕もだよ」
僕は彼女を、自宅に誘った。
僕たちは平屋の縁側で麦茶を飲む。この家の一番いいところは、すてきな縁側があることだった。
「世界は滅びたのね」
「そうみたいだね」
「まあ、いいんだけど、どうせ下らなかったから」
「前の世界がってこと?」
「そう」
彼女はせいせいしたわ、といった感じで言った。
「結局、セックスくらいだったもの。あの世界で楽しかったのって」
「・・・」
僕は思わず彼女の体を見てしまう。十五歳か十六歳くらいだろう。まだ幼い体つきをしている。夏ということもあるが、キャミソールにミニスカート、目のやり場に困るほど、かなりの薄着だった。
「私、せっかくだから、世界を旅して回っていたの」
「そうだったの」
「うん」
「どうだったの?世界は」
「しっかり、滅びていたわ」
「やっぱり、滅びていたんだ」
まあ、僕もいまさらそんなことはどうでもよかった。僕は今、この滅びた世界を楽しんでいた。
「世界が滅びたって別に大したことはないわ。まあ、強いて言えばもうラーメンが食べられないことくらいかしら」
「インスタントならあるよ」
「スーパーカップある?」
「あるよ」
「しょうゆね」
「うん」
僕たちは、たった今スーパーから収穫して来たばかりのカップラーメンを作り、食べた。
「私、ケーキ屋さんになろうと思っていたの」
彼女がラーメンをすすりながら言った。
「そうなんだ」
「私の夢」
「夢かぁ、いいね」
「あなたお客さんになってくれる?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、私明日からケーキ屋さんを始めるわ」
「うん」
次の日、彼女はうちの向かいにあったパン屋でケーキ屋を始めた。
彼女のグー、チョキ、ケーキ店のお客は僕だけだった。でも、どこから嗅ぎつけたのか時々、スズメもやって来た。それに彼女が、売れ残りのケーキをあげると、スズメたちはうれしそうにそれに群がった。
彼女の作るケーキは、素朴な味だが、おいしかった。
「おばあちゃんに教わったの」
彼女が言った。彼女はおばあちゃん子だった。
「素朴な味だね」
「だって、牛乳もバターも生クリームもないんだもの」
彼女は不満げに言った。
「牛もどっかに生き残っているといいんだけどな」
僕がケーキを齧りながら言った。
「きっといるわよ」
「そうだね。今度探しに行ってみるよ」
「うん、そしたらおいしいケーキができるわ」
「うん」
僕は、なんだか少しわくわくした。
「何しているの?」
「一度してみたかったんだ」
僕は道路の真ん中に、街のあちこちからかき集めて来た札束を積み上げていた。
「何を?」
僕はその積み上がった札束に火をつけた。
「どう?」
「悪趣味だわ」
「そうかな」
「これいくらくらいあるの?」
「さあ、十億くらいかな」
僕は燃える札束の山にさらに札束を放り込みながら言った。
「以前の世界の人たちが見たら卒倒するわね」
「うん」
僕たちは、しばらく燃え盛る札束を見つめた。札束はよく燃えた。
「そろそろいいんじゃないかな」
「何が?」
彼女が僕を見る。
「じゃじゃ~ん」
僕は棒を使って、火の中からサツマイモを取り出した。
「焼き芋ね」
「そう、サツマイモは保存が利くからあるんだ」
野菜は世界からなくなったが、芋はあった。
「十億円の焼き芋ね」
「うん」
僕は彼女に焼けたホクホクのサツマイモを渡す。
「でも、何だか豪華なのか虚しいのか分からないわね」
彼女が受け取った焼き芋をしげしげと見つめ言った。
「うん、でもおいしいよ」
「うん」
彼女は、焼き芋を半分に折りかぶりつく。
「甘いわ」
「焼くと甘くなるんだよ」
「おいしい」
「おいしいね」
僕たちは、ホクホクと焼き芋を食べた。
「私、お金は嫌いだけど、焼き芋は好き」
「うん」
僕たちは、会話もそこそこに黙々と焼き芋を食べた。
「またやりましょ。焼き芋」
「うん」
彼女は焼き芋を気に入ったようだ。
「今度は百億くらいで」
「うん」
お金は今、焼き芋の燃料になっている。
「ほんとすてきな縁側ね」
一仕事終え、お店を閉めた昼下がりの午後、彼女はうちに遊びに来ていた。
「うん、ほんといい縁側なんだ」
僕たちは僕の家の縁側に座っていた。本当に平和で穏やかな縁側だった。
「ほんといい天気ね。毎日こんなだったらいいのに」
彼女はそう言って、そのまま仰向けにゴロンと横になった。今日も夏らしいよく晴れたとてもいい陽気だった。
「クラスに明子ちゃんって子がいたの」
真っ青に晴れた夏の空を見上げながら彼女が言った。
「明子ちゃんは、とてもお話し好きなのに、学校では誰とも話をすることができなかったの」
僕は彼女を見る。
「明子ちゃんは、毎日毎日教室で一人、机に座っていたの」
「・・・」
「学校以外ではとても明るくて元気なの。とても、よく笑うし、よくしゃべるの。友だちもたくさんいるの」
「・・・」
「でも、あの小さな監獄みたいな教室の中では、どうしてもうまく生きていくことができないの」
「・・・」
「どうしてもできないの・・」
「・・・」
「だから、明子ちゃんは、今もとても学校が嫌いなの。とてもとても嫌いなの」
「・・・」
多分、明子ちゃんは、彼女なんだろうと思った。
「明子ちゃんは、自分の着たい服があったの。でも、学校では制服を着なければならなかったの」
「・・・」
「明子ちゃんは、とてもおしゃれで、みんなが羨むくらいそんなセンスが抜群だったの」
「・・・」
彼女は今日もものすごく薄着だった。今日はおへそも出ている。
「明子ちゃんは思っているの。学校なんて、もう、あんなのまっぴらごめんだわ。もう二度と行きたくないって」
彼女は、最後にそう言った。
「どこに行くんだい?」
次の日、彼女は大きなシャベルカーに乗っていた。
「学校を壊しに行くの」
彼女はそう言って、キュラキュラとシャベルカーのキャタピラを回して行ってしまった。
「・・・」
僕はその背中を見送った。
しばらく、彼女のケーキ屋さんは、休業していた。かわいいイラスト入りの、休業と書いた札を入口にぶら下げて。
「やったね」
「やったわ」
あれから 一か月が経ち、学校は見事に跡形もなく破壊されつくされていた。
「見事だね」
思わず言ってしまうほど、学校はきれいに破壊しつくされていた。
「ゴジラでもここまで見事に破壊はできないよ」
「これですっきりしたわ」
彼女の表情は明るかった。僕もなんだかとてもすっきりしていた。
「牛はいなかったけど、ヤギがいたよ」
僕は山の向こうの里山で偶然見つけた一匹のヤギを連れて来た。人慣れしているのか、僕を見つけると自分の方からひょこひょこと近寄って来た。だから捕まえるのはかんたんだった。
「ヤギもお乳が出るの?」
「もちろん、出なきゃ食べればいい」
「それはかわいそうよ」
「そうかい」
「そうよ」
「でもおいしいんだよ」
「じゃあ、しょうがないわね」
彼女の基準はおいしさだった。
「でも、毛がないのね」
「毛?」
「もっと毛むくじゃらでもじじゃもじゃじゃなかったかしらヤギって」
「?」
「私テレビで見たことあるわ。もさもさのこんな奴がいっぱいいるの」
「それは羊じゃないかな」
「ヤギじゃないの?」
「うん、それはヤギじゃないよ。まあ、今となってはそんな分類もどうでもいいけどね。君がそれをヤギと言えば何でもヤギだよ」
「ふ~ん・・」
でも、彼女はやはりヤギと羊の違いがあまりよく分かっていないみたいだった。
「あっ、お乳が出たわ」
苦心惨憺してヤギのお乳を搾っていた彼女がうれしそうに言った。そんな無邪気に喜ぶ彼女の表情を見るのは初めてだった。子どものような本当にうれしそうな笑顔だった。
「これでおいしい、ケーキができるわ」
「うん」
「お肉が食べれないのが残念だけど」
「そうだね」
僕は、彼女のケーキの方が食べたかった。
「何してるの?」
「野菜を作っているんだよ」
「へぇ~、食べれるの?」
「もちろん」
僕は驚いて彼女を見る。
「何?」
彼女はきょとんとしている。
「野菜ができるとこ見たことないの?」
「うん」
彼女は無邪気にうなずいた。
「そんな人いるんだな」
僕は驚く。
「私は現代っ子だもの」
「そうか」
そんな世界だったんだな。僕は思った。
「土から、もこって出て来るのね。なんかかわいい」
彼女は、さっそく土からひょこっと芽を出している小松菜の芽を興味深そうに顔を近づけ見つめながら言った。
「うん」
「なんか不思議」
彼女は、マジマジと小松菜の芽を見つめた。
「私飲食店でバイトしていたんだけどな」
「・・・」
「でも、全部、本部から調理済みの食材が冷凍で送られて来て、それを湯煎で溶かして盛りつけるだけだったの。飲食店なのに調理を一度もしたことがなかったわ」
「そうだったの」
僕たちは何か異常な世界に生きていたらしい。
「これが種?」
「そう」
彼女が僕の手の平の上のチンゲン菜の種を見る。
「これが野菜になるんだ」
「そうだよ」
「ほんと不思議」
彼女はその小さな粒々を目を中央に寄せてマジマジと見つめた。
「・・・」
確かによく考えると不思議だった。
「世界はこんなに素晴らしいのに、何で今まで気づかなかったのかしら」
彼女は、夜空を見上げながら言った。そこには満天の星空が広がっていた。僕らが生きているその下の世界は今、真っ暗だった。
「よけいなものが多過ぎたんだ」
僕が言った。僕たちは焚火を囲んで、夕食後のコーヒーを飲んでいた。夕食は、インスタントのカレーだったが、焚火で作れば何でもおいしい。
「あなたは何かなりたいものとかなかったの?」
彼女が僕を見た。
「そうだなぁ・・」
僕は首を傾げる。
「今なら何でもなりたい放題よ」
「そうか、夢は叶い放題だ」
僕は笑った。何者かになりたくて、でも、結局、僕は何にもなれなかった。
「僕はミュージシャンになりたかったな」
「じゃあ、歌を歌ってよ」
「うん」
僕はアコースティックギターを引っ張り出してきて、彼女の前で歌った。古いブルースだった。
「あなたはもう立派なミュージシャンね。私が認めたんだから」
「うん」
僕以外に、この世界には彼女しかいなかった。
僕は、でも、夢が叶ったことよりも、もう夢なんか追いかけなくていい今の生活がうれしかった。
「はい」
「あっ、出来たんだね」
「うん」
彼女は、生クリームでいっぱいのケーキを持っていた。
「どう?」
「滅茶苦茶おいしい」
彼女のケーキはシンプルだったが、ふわふわで、甘くて、とびきりおいしかった。
「こんなケーキ初めて食べたよ」
「そういうケーキを目指していたのよ」
「初回のケーキで到達したんだね」
「そうよ」
彼女はドヤ顔で僕を見た。
あの子をいじめていたのは、あの子が憎いからじゃない。僕は僕を守るためにそうしていたんだ・・。
「どうしたの?」
縁側で昼寝をしていた僕を、遊びに来た彼女が起こす。
「うん・・」
僕は目を覚ます。
「とてもうなされていたわ」
「うん・・、なんだか嫌な夢を見ていた気がする」
「どんな夢?」
「・・・」
しばらく、どんな夢か思い出せなかった。
「とても、嫌な夢だよ」
それだけは分かった。
「・・・」
僕は思い出していた。あの日々のことを・・。
「僕はあの子を傷つけたんだ・・」
僕はあの子を傷つけた。自分を守るために・・。
「僕は最低だ」
僕は最低だ。心の底から思った。
「僕は最低なんだ」
そんな僕を、彼女はやさしく、その小さな体で抱きしめてくれた。
「何しているの」
「映画の上映会をやろうと思ってね」
僕は大きな道路のど真ん中に、街の電器店にあった一番大きな液晶テレビを持って来て置いた。そして、その向かいに、家具屋で一番高級で大きくてふわふわなソファを置いた。
「なんだかいい感じね」
それを見て彼女が言った。
「うん」
我ながらいい思いつきだと思った。
「君も来てくれるかい?」
「もちろん」
「今夜だよ」
「うん」
「何を見るの?」
「それは、始まってからのお楽しみだね」
「そうなんだ楽しみにしているわ」
そして、その日の夜はあっという間に来た。
「はい」
「何これ?」
「映画にはコーラとポップコーンだろ」
「そうなの?」
「うん」
僕はコーラの瓶とポップコーの入った大きな紙コップを渡す。
「うわっ、冷たい」
コーラを受け取った彼女が驚いた。
「発電機を使って、しっかりとコーラを冷やしておいたんだ」
こういう時に文明の利器は便利だ。
そして、僕たちはソファに並んで座り、映画が始まった。
「火垂るの墓ね」
「うん、夏になると見たくなるんだ」
誰もいない星空の下、僕たちは二人で映画を見た。
「とても悲しい映画ね」
「うん」
僕たちは映画の余韻に浸りながら、文明の滅びた真っ暗な世界を見つめていた。
「人はもう殺し合わなくていいのね。だって、もう人がいないんだもの」
彼女が言った。
「うん、そうだね」
僕たちは、今、平和だった。
「なんだか空気がきれい」
「世界が浄化されているんだ」
なんだか世界が滅びて、世界は美しくなったような気がした。
「人がいなくなったから?」
「うん」
僕たちは、並んで海を見つめていた。
「世界は滅びてよかったのかもしれない・・」
彼女が言った。
「どう思う?」
「僕もそう思うよ」
「そうよね」
そして、また二人で海を見つめた。丁度太陽がいい角度で海を照らし、海は最高に輝いていた。世界が滅びても、世界は美しかった。
「・・・」
世界は輝いている。別に何もしなくても、世界は最初から輝いていた。何もしなくてもよかったのだ。最初から、そこに完成した美しさはあったのだ。何もいらなかった。よけいなものは何もいらなかったのだ。
そして、僕たちはキスをした。世界が滅びても、人間がすることは同じだった。女の子は最高の存在で、その唇は、最高に温かくやわらかかった。
世界は滅びたけれど、世界はまだそこにあって、僕と彼女の世界は始まったばかりだった。
おわり