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無縁人間  作者: 片桐洋右
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第一章 ひとりめ 6

 前川は、青葉署に設置された澤田総合病院殺人事件捜査本部の会議に参加していた。神奈川県下有数の総合病院での殺人事件であり、マスコミの扱いも大きい。県警本部からは百名近い捜査員が投入され、捜査本部の置かれた青葉署の会議室は、目をぎらつかせた捜査員達の熱気でむせ返っていた。

 雛壇と呼ばれる捜査会議場の前方には、本部長である県警刑事部長を中心に副本部長の青葉署長、県警捜査一課長が両脇を囲み、県警の機動捜査隊長、一課指導官など本部の幹部連が顔を揃えている。一方の青葉署側には副署長、刑事官、刑事一課長の上野毛が腰を下ろし、皆一様に口を真一文字に結んでいる

 席の前方に県警の刑事達が当たり前のように着席し、所轄である前川ら青葉署の捜査員達はは自ずと後方の席に着席していた。 

 警視庁と所轄の対立は今や一般人でも知る有名な話であるが、神奈川県内においても県警本部と、地元の捜査員の間に同様の図式が存在する。

「それでは始めます。起立・お互いに礼――」

 刑事部長、署長の訓示の後、眉が薄く、剃刀で切ったような細い眼の中野有次指導官が主導して会議は進行された。

「まずは解剖所見に関してこちらから報告する。死因は、頚部割創による離断、簡単に言えば斬首だ。左右の頸動脈、静脈がきれいに切れており、切断の凶器は鋭利な刃物によるとされている」

 中野は親指を立てて喉元を切る仕草をした。

「被害者に犯人と激しく争った形跡はない、又、切創や打撲痕などの小さな傷も一切ない。性的暴行の痕跡もなし。断面の力のかかり具合も考慮すると、犯人は被害者の背後に忍び寄り、切りつけたと考えられる。死亡推定時刻は午前二時二十分から四十分の間」

「ここまでで質問あるか」中野が問うた。

 すぐに前方に陣取る県警の刑事の中から手が挙った。中野はボールペンの先で指さして、質問を許した。

「マルガイ(被害者)に、抵抗した痕も傷も無いとのことですが、ホシはマルガイの首を一発で刎ねたと考えてよろしいのでしょうか」

 立ちあがった男は板井をもうひと回りがっちりさせたような広い背中の男である。

「どういう意味だ?」中野が、怪訝そうな顔で訊き返している。

「人間を斬首するというのは非常に難しい、と聞いております。もし所見の通りホシが斬首したというのであれば、かなりの怪力の持ち主か、あるいは刃物の使用に非常に長けたものかと――」

「おお、あいつなかなか鋭いといころを質問するな」前川の左隣に坐る須崎が小声で呟いた。

「どういう意味なんですか?」前川は須崎に顔を寄せる。

「江戸時代にゃあ切腹する侍の首を切り落とす介錯人ってえのがいたんだが、そんな首切り専門の侍にしたって、一発で首が切り落とせないことがあったそうだよ」

「へえ、そうなんですか」前川は須崎が時代小説の愛読者であったことを思い出した。

「それくらい首切りってえのは難しいんだ」須崎はまるで自分が経験したかのような口ぶりで囁いた。

 雛壇の中野は書類を凝視した後、顔を上げた。

「解剖所見からは何度も切りつけたという記載はない。従って一度で斬首されたということだ。ホシが怪力の持ち主か刃物の使用に長けた者かは今後の捜査によるところなのは言うまでもないが、君の意見は非常に重要な示唆を含んでいると思う」

 中野は、質問した刑事から視線を外して着席を促すと、隣に坐る捜査一課長に顔を近づけた。暫く言葉を交わした後、顔を戻し「おい、黒田いるか?」と前川達が坐る席の後方に向けて声を上げた。

 前川の後ろから「はい」とかすれた声で黒田が応えた。前川が振り返ると黒田はパイプ椅子を鳴らしながらゆっくりと立ち上がるところであった。前方の刑事たちも一斉に振り返った。百九十センチ近い長身に黒い服を着た死神のような姿に、会議室は静まり返った。

「青葉署の黒田くんだ。彼はかつては剣道の全国大会の出場経験もある剣の達人だ。そうだな、黒田――」

「そうなんですか? 黒田さんが――」前川が板井に目を剝いた。

「いや、俺も知らなかった」板井も小さな目を丸くしている。

 黒田は反応しない。無表情のまま視線を前方に向けている。

「その剣法の達人の君に聞きたい。真剣と竹刀の差はあるだろうが、どうだろう? 今の質問にあったように首を一刀両断するというのは難しいものなのか?」

「私は人間の首を切ったことはありませんので、はっきりとは申し上げることはできませんが――」

 普通の者が口にすれば冗談として笑いの一つでも起こりそうな言葉である。しかしながら常に黒いオーラを纏っているような黒田が発すると、「首は切ったことはないけれど、別のところならある」と言外に匂わせているように聞こえる。会議室の参加者は身じろぎもせず黒田を見詰めている。

「日本刀で畳を切ったことはあります」

 そうか、それなら自分も見たことがある、と前川は思った。確か野球選手が精神修養のため、日本刀で畳を真っ二つに切っていた映像をテレビで放映していた。

 前川は、黒田が日本刀の抜き身を手に身構える姿を想像して、身震いした。

「しかしながらよほど精神を集中させ、剣の角度と速度を極めて打ち込みませんと、一刀のもとに切ることはできません。失敗すれば、刀が、柔らかい畳にはじき返されて大怪我をします」

「つまり、君はどう思うんだ。ホシがマルガイの首を一発で切り落としたことに関して」

 中野が問うた。眉根に縦皺を寄せている。気が短いのだろう、と前川は感じた。

「――素人ではない、と考えます」

「なるほど、わかった」と中野は応えた。隣で頷く捜査一課長に再び顔を向けている。

「黒田さんと中野指導官は顔見知りなんですか?」

「さあ、上野毛課長に後で聞いてみるか」

 前川の問いに板井は首を傾げた。


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