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無縁人間  作者: 片桐洋右
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第三章 殺人鬼の幻 5

 澤田総合病院からの通報を受けて当直勤務の前川と須崎は捜査車両を走らせていた。

「ちくしょう! なんで俺の当直の夜ばかりに起こりやがるんだ」

 須崎が毒づいた、確かに澤田病院での犯行は、全て須崎が当直司令の夜に発生していた。

「しかし、マルヒ(被疑者)が確保されていると言ってましたが」 

 前川はハンドルを切って交差点を右折させた。真っ先に現場に到着した交番勤務の巡査からの報告によれば、被害者は一命を取り留めており、犯行の目撃者らによって犯人は取り押さえられている、とのことであった。

 須崎は応えない、気持ちを落ち着けるように煙草に火を点けた。

「しかし、驚きですよねえ。ホシはとてつもない怪力の持ち主で、剣の達人だなんて言われてるような奴ですよ。その取り押さえた目撃者ってのはプロレスラーか何かなんですかねえ」

 前川の言葉に、須崎は煙を吐きながら「さあな」と応え、少しだけ窓を開いた。室内に漂っていた煙が空いた隙間から流れ出る。

 今夜の須崎はどうも機嫌が悪いようだ、妙に反応が薄い。前川は話を止めて車の運転に集中した。

 見慣れた澤田総合病院の正面玄関への坂道を登る、既にパトカーが車寄せに停車している。駐車場に車を停め、職員口を通って駆け足で現場の整形外科病棟へ向かう。

 ナースセンターの前で野次馬を制していた制服姿の若い巡査が、前川達の姿を認めて駆け寄って来た。「ご苦労様です」と緊張した面持ちで敬礼する。まだ、高校生と言っても通用するほど幼さの残る顔である。

「ご苦労さん」と声を掛けながら非常線のロープをくぐる。白手袋をはめ、靴にはビニールのカバー、頭にもビニールを被って歩みを進める。鑑識が入る前に、一本でも自分の毛髪を現場に残さない配慮である。

 ナースセンターの前に立っていた中年の制服警官に須崎が声を掛けた。

「マルガイ(被害者)は?」

「無事です。幸いにも病院の中でしたので傷は深いですが命に別条はないとのことで」

「マルヒ(被疑者)は?」

「ナースセンターに」警官は軽く顎を振りながら応える。

「個室病棟の患者はどうなっている」須崎は間髪いれず、矢継ぎ早に問う。

「全て自分の病室の中で待機させています。我々が現着してからは誰ひとり部屋の外には出ていません」

 須崎は「よし」と頷き、足を速めた。前川も後に従う。

 何回か角を曲がって、現場の病棟に到着した。廊下の左手に個室が並び、右側の窓からは青白い月明かりが差し込んでいる。流れる雲がまだらに薄い影を投げかける。

 廊下の真ん中から、前川達の足元近くにかけて赤黒い大きな血だまりが二か所できている。壁から天井にかけても、広範囲に血の飛沫が飛び散っている。

 それらの血だまりのちょうど真ん中あたりに、青白い出刃包丁が落ちている。前川はゆっくりと歩みを進めた。「前川、血痕を踏むな」と須崎の声が聞こえる。

 前川と須崎は包丁に近づき、ゆっくりとかがんだ。包丁の持ち手には血液がべっとりと付着し、黒く凝固し始めている。

「これが、凶器ですよねえ」前川は須崎を見た。

「日本刀じゃねえのが残念か?」須崎は普段の会話の感じで応える。

 どちらからともなく立ち上がり、ナースセンターに向かう、やはり早足だ。さきほどの中年の警官が前川達を認めて近づいて来た。

「マルヒ(被疑者)と会う」須崎の一言に、警官はきびすを返してナースセンターに戻り、扉を引いて前川らを導き入れた。

 須崎の後にナースセンターに入った前川は、周りを警官に囲まれ、俯いて座る被疑者の姿に目を疑った。前川の様子に須崎が気が付いた、顔を向ける。

「何だ、知り合いか?」

「澤田芳子――、院長の奥さんです」前川はごくりと唾を飲み込んだ。

「なに?」須崎は絶句した。

「刑事さん――」澤田芳子は顔を上げてゆっくりと立ち上がる。

 昼間きれいにセットされていた髪は乱れ、でっぷりと全身についた脂肪を覆っている薄手の白いネグリジェは、赤剥けたように染まっている。動作に緩慢さは見られるものの、肉に埋まった細い目はしっかりと前川らに向けられている。

 芳子を椅子に座らせようとする警官達を須崎は制した。「なんだ?」と応える。

「私がやりました。大変申し訳ありません」鼻から妙な呼吸音を立てて、深々と頭を下げる。前川は芳子の仕草に妙な空々しさのような違和感を感じた。

「それは、署のほうで詳しく話してもらうから――」

「いえ、前の二件も全て私なんです」頭を上げながら、須崎の応えに被せるように芳子は応える。

 ナースセンターに緊張が走った。周りを囲む警官達が目を剥いて芳子に視線を送っている。前川と須崎も一瞬、継ぐ言葉を失った。ただ芳子を見ている。

 ナースセンターの蛍光灯の下、芳子の眼の奥に得体の知れない光が蠢いたのを、前川は確かに感じた。


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