第二章 ふたりめ 6
深夜三時過ぎ、前川の運手する捜査車両は再び、澤田総合病院の玄関までの坂道を上っている。比較的寒い日が続いたせいか、今年は桜の散りが遅い、道の両側には暗闇の中、白い花がゆらゆらと揺らめいている。
捜査車両を玄関前に停めた。既にパトカーが数台停車している。職員口を抜けて、現場に向かう。もはや見取り図を見る必要もなかった。今回の現場も、前回と同じ、整形外科病棟の中であった。
「これは、えらいことになるぞ、前川よ――」病院内を早足で進みながら、板井が呟いた。
「勿論、前回から一週間しか経ってませんからね」前川は、先を進みながら応える。
ナースセンターの角を右に曲がり、曲がりくねった廊下を進む。
人だかりをかき分けて、中に入る。立ち入り禁止のテープの向こう側に制服姿の警官が立ち、さらにその奥、部屋の入り口全部を青いビニールテープが覆っている。
廊下のライトは点けられ、さらに照明灯が数本、現場付近の廊下を照らしている。紺色の制服を着た鑑識課員が数名、青いビニールの外で何をするともなく立っている。
「おお、おせえぞ」相変わらずのべらんめえ調で須崎が顔を向けた。眉根を寄せ、珍しくイラついている様子である。
「いや、急きょ大場町の変死現場に行くことになっちゃいましてね。これでも、すっ飛んで来たんですよ」板井が須崎の背に軽く手を当てて頭を下げた。前川も板井の後方で頭を下げる。
「えらいことだぜ」須崎は先ほどの板井と同じ言葉を呟いた。
「まだ、始まってないんですか」板井は須崎の肩越しに現場に目を遣りながら問うた。
「まだ、本部の指示が降りてねえんだ、たぶん、本庁が出張ってくるんだろう」須崎は頬に手を当てながら応える。
前川ら、所轄の捜査員は本部の指示なくしては現場に足を踏み入れることはできない。本部の許可が下りるまでは現場保存が最大の責務となるのである。
「本庁って――?」前川が会話に割り込む。
「桜田門さまだよ、警視庁捜査一課。県警本部とは犬猿の仲だ」板井が表情を歪める。
なるほど、さきほどから須崎や板井が「えらいことだ」と言っているのはそういうことなのか、と前川は見て取った。
「ちょっと、中いいですか?」
「まあ、本来のところはだめなんだが、ちょっとくらいならいいだろう」板井の言葉に、須崎はしゃがみこんでビニールシートを手に取った。そのままの姿勢で前川に顔を上げ
「おい、前川、今回は前よりひでえぞ。ぶっ倒れるなよ」と笑顔を見せた。
引き上げられたビニールシートから前川と板井が顔を覗かせた。途端、鉄分と生臭さが混じった濃密な血の臭いが鼻孔を襲う。
「うあ、こりゃあひでえ――」板井が呟き絶句した。
前川は呼吸を整え、ゆっくりと現場を眺めた。現場は個室であった。手前に小さなソファとテーブルが一つずつ設置され、正面の窓際にベットが設置されている。
被害者はベットの上に横たわっていた。白いベットやパジャマが血で赤く染まっている。
首は――、首はある。若い女性だ。目を見開き、歯を獣のように剥きだした表情のまま固まっている。前川はそのまま視線をゆっくりと頭部から胸元、腹へと移動させてゆく。
被害者には下半身がなかった、否、下腹部のところから真っ二つに切断されていた。
腹部からは、蛇のようなはらわたがとぐろを巻くように大量にはみ出し、まるで巨大な蛸が寝そべっているかのような様相を呈している。まだ凝固しきっていない血液がベットから床に落ちて血だまりを作っている。
「ありゃあ、はらわた引っ張り出されてるな、普通じゃああはならねえぞ」板井が前川の横に顔を並べて呟く。
前川は、こみ上げて来るものを必死で抑えながら、目を床に向けた。切断された下半身は床の上にあった。臀部を床に付けて両脚を伸ばし、まるでそれだけで床に座り込んでいるように見える。
前川は呼吸を整えながら現場を観察していたが――限界であった、口を押さえて、トイレに走った。
背後から須崎の「なさけねえ」という声が聞こえた。