第二章 ふたりめ 3
宮田真樹が澤田総合病院の個室に入院したのは、今から一週間前、ちょうど病院内で山下沙織が殺害された翌日であった。
男友達の運転する車の事故に巻き込まれたという真樹の症状は、肋骨骨折と頚椎の捻挫であり、全治一カ月と診断されている。
首の周りを白いギブスで固定された真樹は、ピンクのパジャマ姿でベットから上半身を起こし、見舞客の女性に整った顔を歪めている。
「もう、たまんないわよ、いい迷惑。絶対アイツの車なんか乗ってやらないんだから」
「でも、学年末の試験が終わった後で、よかったじゃない。いまどき四年制大学で女の留年生なんて、どこも就職できないんだから」
見舞いの女性は真樹の大学の同級生なのであろう、なだめるような笑顔で真樹に応えている。
「それよりも、相変わらず真樹はモテるわね、すごいじゃない」
女は真樹の機嫌を覗うように話題を変えた。部屋のあちこちに置かれた生花をぐるりと見廻した。
宮田真樹は美しい女だ。男が十人真樹を見れば、十人が彼女のことを美人と称するであろう。癖のないライトブラウンの髪を肩まで伸ばし、小ぶりな顔の半分を占めようかというほど、大きく黒目がちな瞳、小さくぽってりとした唇の間からは白く、並びの良い歯がのぞいている。
「でも、全然駄目、なんだか頼りなくって。やっぱ綾香と違って、男はうんと年上のほうが私にはいいみたい」
真樹は肩をすくめた。
「さては、いいオトコ見つけたな」綾香と呼ばれた女は悪戯っぽい笑顔で真樹に顔を寄せる。
「う~ん、惜しい人はいるんだけど」真樹は尖った顎に人差し指を一本立てて、口をすぼめた。
「誰だれ?」綾香は、ますます目を輝かせて顔を近づける。
「う~ん、院長先生」
「ええ~! 院長先生って、ここの? だって――年いくつ?」
綾香は素っ頓狂な声を上げたが、自分の声に驚いたように両手で口を押さえた
「六十歳って言ってた。還暦?」真樹は首を傾げながら応えている。
「おそるべし宮田真樹、君の男の趣味はついにそこまで進化したか」
「だから~、惜しいって言ったでしょ。いくら私だって、そこまで守備範囲広くないわよ」
真樹は顔の前で手をひらひらと振った。
「でしょう、ああびっくりした」綾香も大袈裟に胸に手を置いて、息を吐く仕草を見せる。
「実はね、私が狙ってるのは――院長の息子」真樹は悪戯っぽい笑みを浮かべながら片目を閉じた。
「あー! やっぱりぃー!」綾香は真樹を指さしながら、嬉しそうに再び声を上げる。病室が再び、放課後の教室のような賑やかさを帯びてきた。
「宮田さん! 病室内では騒がない!」
突然、中年の看護師が扉を開けた。整形外科病棟の看護師を束ねる後藤珠代婦長だ。
「あ、婦長さん、ちょうどいいところに来た。ねえ、婦長さん、澤田院長の息子さんって、医科大の三年生って聞いたんですけど、やっぱりこの病院を継ぐんですよね」
真樹は後藤が入って来たことが幸いとばかりに、全く悪びれることなく問うた。
「――あなたそんな話、誰から聞いたの? そんなこと貴方に関係ないじゃない」
後藤は一転、声を潜めた。瞼の肉が垂れて、いつも眠たそうに見える目がさらに細められている。
「関係ないですけど、なんか興味あるじゃないですかぁー。後藤婦長さんお願いします。澤田院長の息子さん、私に紹介してもらえませんかぁー」
語尾を上げた甘えるような真樹の口調も、独身のまま社会の荒波を生き抜いて来た後藤には全く通じていないようだ。真樹の申し出を無視して「とにかく病室では静かに」と言い置くと、背中を向けて部屋を出て行った。