第二章 ふたりめ 2
黒田康司は、事務局の扉から出てきた若い男を呼び止めた。呼び止められた男は尋常でない黒田の風体に怯えた表情を見せた。
「事務長の近藤さんに会いたいんだが」黒田は警察手帳を開いて男に示す。
「し、少々お待ち下さい」男は脱兎のごとく出てきた部屋に戻った。
黒田は扉から少し離れて近藤を待った。待っているわずかな間にも事務局にはひっきりなしに人が出入りしている。
やがて、ハンカチで額を拭きながらでっぷりとした巨体の近藤が出口に現われた。
「お待たせいたしました」突然の黒田の訪問に困惑した色が浮かんでいる。
「忙しいところ申し訳ないんだが、少し時間をもらいたい」
「刑事さん、今は一日の中でも一番忙しい時間帯でして、できれば他の時間においでいただけないかと」
近藤は「この状況を見ろ」とばかりに左右に視線を振りながら応える。
「常に俺たちの用件は緊急なんだよ、事務長さん、あんた人ひとり、この病院で死んでるっていう事実をどう受け止めてるんだ」
黒田は低く呟くと近藤を威圧するように見下ろした。
近藤の表情は見る間に青白くなった。黒田に凄まれて平静を装うことのできる者は少ない。
「わかりました。それではどうぞこちらへ」
近藤の後に従いて、黒田は奥の会議室に入った。
「刑事さん、申し訳ありませんが本当に時間がありませんので、できれば手短に願いたいのですが」
近藤はパイプ椅子を黒田に勧めながら、自身も腰を下ろした。椅子が軋みを立てる。
「あんたが出し惜しみしなければ、すぐに終了だ」
黒田は表情を変えず椅子に腰かけて、長い脚を組んだ。
「それで、ご用件とは?」
近藤は黒田の言葉には付き合わずに用件を促す。
黒田はポケットから煙草を取り出して火を点けると、顔を近藤の真近に寄せる。
「お宅のところの院長さんは覗きが趣味なのかい?」
「何を仰っているのですか?」
近藤は、煙草の煙と口臭に顔を歪めながら応えた。
「覗きが趣味でないのなら、この病院の尋常でないカメラの数はいったい何なのだ?」
黒田はさらに顔を寄せた、凶暴な顔がさらに恐ろしく歪む。
「ですから、この病院の複雑な構造を補うために、防犯と患者さんの安全上の理由で――」
「室内にはカメラを設置していないとのことだったが、実際のところは個室を含めて、ほぼ全室に設置しているな。誰が見ているんだ!」黒田は近藤の言葉に被せて語尾だけを爆発させた。掌で机を軽く叩く。
「け、刑事さん、何なんですか、もう――」
近藤は絞り出すように言葉を継いだ、全身から滝のように汗を流している。
「近藤さん、私は別にカメラの件を取り上げて、どうこうしようとは思ってないんだよ。お偉い先生だからいろいろストレスも溜まるんだろうさ。ただ私がこの病院の構造的な秘密を少しだけ知っている、ということは頭の片隅に入れてもらった上で、話を聞いてほしい」
黒田は一転して言葉と表情を和らげた。
「刑事さんはいったい何をお知りになりたいと――」近藤は俯きぎみに視線を向ける。
「澤田病院を設計・施工している業者を教えてもらいたい」
近藤のたるんだ顔が一瞬にして引き絞られた、もはや頭頂から流れる汗を拭うこともしない。
「それは――、理由を教えていただけませんか?」目の奥にわずかに光が浮んだ。
「捜査上の理由だ、それ以上は無理だな」黒田は無表情に煙を吐きながら、慎重に近藤の表情を観察していた。やはり病院の構造には重大な何か、が隠されているようだ。
「俺は一度目を着けたことは徹底的に調べる。あまり面倒なことはしたくないんだよ」
黒田は、いつでも破裂しかねない雰囲気を滲ませながら声を一段と低める。
近藤は俯いて何事かを考えている、もう一息だろう。黒田は立ち昇る紫煙越しに、近藤を見ていた。