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無縁人間  作者: 片桐洋右
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第一章 ひとりめ 1

 澤田総合病院の深夜のナースステーション。事務机を挟んで二人の看護師が椅子に座っている。二人とも若く、一人は二十歳前後、もう一人も二十代前半といったところである。

「ねえ山下先輩、あの特別室の辺り何だか気味が悪くないですか?」

 准看護師である小倉美奈は、先輩看護師である山下沙織に唇を窄めた表情を見せた。

「ああ、何だか分かる。私も何度通っても嫌な感じなのよね」

 山下はマグカップに入れた眠気ざましのブラックコーヒーに口を付けてから小倉に目を向けた。

 澤田総合病院は二十四時間の完全看護体制を敷いている。従って整形外科病棟に勤務する看護師は、ほぼ週に二回の夜勤がローテ―ションとなっている。

 院内は十時で完全消灯され、暗い館内でナースステーションだけが一晩中、煌々と明かりを放っている。蛍光灯の白い光が白い看護服を照らし出す。

「私、特に霊感があるとか、そういうタイプじゃないんですけど、初めて特別室の辺りを夜勤で見回ったとき、何かにじっと見られてるような視線を感じちゃって――」

 小倉は両手を体に回しながらぶるっと震えてみせた。

「でも小倉さん、あなた今夜、巡回でしょ。その話題、自分を追いつめていない?」

 山下は形の良い唇に笑みを浮かべたまま、視線で咎めた。

「そうなんですよぅ~、だからもう怖くって~」

 得意の鼻にかかったような口調で応えて、小倉は肩をすくめた。

 再びナースステーションに静寂が訪れた。時計の秒針の音が響く。

 ふと山下は顔を上げて、暗い廊下のほうに目を遣った。誰もいない――。

 小倉も釣られるように見たが、誰もいないのを認めて、山下に視線を向けた。

「どうしたんですか? 先輩」

 視線を戻した山下を、小倉は不安げな表情で見詰めている。

 突然、ブザーが鳴った。山下も小倉も肩をびくんと震わせたが、巡回時間を告げるブザーだと分かって、お互い気が抜けたような笑顔になった。

「もう――」思わず山下が声を漏らす。

「先輩、巡回代わっていただけませんか?」小倉が泣き笑いの顔で懇願した。

「だーめ。これも修行よ、行ってらしゃい」山下は笑顔のままぴしゃりと言い放った。

 小倉は両手を目の下に当てて、子供が泣くときのような仕草を見せたが、やがて「ではでは、巡回に行ってまいりま~す」と立ち上がった。

 山下は、懐中電灯を手にナースステーションを出る小倉の後ろ姿に「いってらっしゃい」と明るく声を掛けた。

                 *

 澤田総合病院は創立からわずか二十年の内に今日の規模と業容へと成長した。急激な診療科目の拡大と患者数の増加に伴い、施設は無理な増築を重ねた。結果、院内は迷路のように曲がりくねり、暗がりの中では小倉ですら迷ってしまうことがあるほど、複雑な構造を成していた。

 迷路のような構造は、医療機関にとってけっして好ましいことでなく、従って有人の看護体制の他に、各所には防犯カメラが設置され、入院患者の徘徊や不審者の侵入といった事態に備え、構造的な問題を補っていた。

 小倉は大部屋と呼ばれる、一室に複数の入院患者が入っている部屋の中を順番に見回って行く。扉を開けて、中をライトで照らす。

 いびきをかいて眠る者、何度も寝がえりを繰り返す者、寝言を言う者など寝相は様々であるが、別段変ったところはなく、いつもの夜の病室の風景であった。

 小倉は一通り大部屋の巡回を終えて、長い曲がりくねった廊下を歩いていた。廊下を行き当たった所が、先ほどナースステーションの中で話題に上っていた特別室のある棟だ。

 廊下のむかって右側には窓が並び、雲間から覗いた月明かりが薄く差し込んでいる。左側に十並ぶ個室は満室であった。小倉は一部屋ずつ、扉を静かに開いて中の様子を覗う。どの部屋も窓際にベットが置かれ、小さなソファとテーブルが一つずつ設置されている。

 個室の並びのさらに奥、角を一つ曲がったどん詰まりのところにポツンと一室だけ、トイレと風呂を備えた特別室があった。小倉は個室の巡回を全て終えると、特別室に向かう廊下の角のところで立ち止まった。月明かりも届かない暗い廊下の端、周りから死角になった場所、闇の色はいっそう深い。

 小倉は結局、特別室にまで足を運ばずに歩みを戻した。今、特別室に入院患者はおらず、ただでさえ気味の悪いところに近づきたくない、と思ったのだろう。

 早足でナースステーションに戻る途中、小倉は何かに魅かれるように足を止めて振り返った。月明かりの照らす廊下のいちばん奥のところ、特別室へ向かう角のところだけが、深い闇を作っている。

 小倉は廊下の真ん中で、闇へと視線を引き絞った。そして、凍りついたように動かなくなった。


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