第一話 日常から非日常
目が覚めるとそこは自室だった。
見慣れた天井、見慣れた雑貨、見慣れたパジャマ。何一つ変わらない事実に少し安堵する。
……いやまて、何がおきた。冷静になろう。
あのあと……つまりあの自殺現場を目撃した俺はしばらく動けなかった。すぐに回りの人が集まって来て、その後警察に詳しいことを聞かれ家に帰った……ような気がする。
いや、ここにいる時点で家に帰ったのは事実だが、あまりの出来事にまだ気が動転しているのだろう。
まだ夢見心地のような、そんな感覚が拭えない。
そうだ、昨日起きたことは夢だったかもしれない。あの匂い、あの音、あの景色………。
「……うっ、」
そこまで思い出したとき、喉が痛くなり口いっぱいに酸っぱい匂いがいっぱいになった。
急いで口に手をあてトイレに駆け込んだ。
やっぱり夢じゃない。あの俺の想像を遥かに超える惨状。誰も想像したくない体験。できれば夢であってほしかったが、あの衝撃が脳裏から離れない。
……一体誰だったのだろう。
胃から出るものがなくなったところで、ようやく収まった。
だるい体にムチを打ち、鼻と喉が痛いのを我慢して、洗面台へと向かう。
軽く口をゆすぎ、顔を洗えばいつもの顔を鏡で拝める。ひどい顔だな。明らかに顔色が青いし、目なんて開けきれてない。まるで死人だ。
「……へへ」
自傷気味に乾いた笑い声が出た。
「お、マイ弟よ。今日は早い……どうしたん?」
そんな異様な光景を見て、部屋に入ってきた姉が怪訝な顔でこちらを見て訪ねてきた。
「どうしたって、昨日のことだよ。あんな現場見たら誰でもこうなるだろ」
「昨日?なんかあったの?」
「母さんから何も聞いてないのかよ……」
「帰り遅かったからね。昨日母さんにはあってないねぇ。で、何があったの?」
「………こんな状態した出来事だ。自分で言いたくない」
思い出したくもないし。
「そんなこと言わず、姉さん話してみ」
相変わらずデリカシーがないなこの人。
しかし、まぁ、姉さんも心配しているということだろう。
さすがにこの状態で人に当たる気にもならない。
「……人、死んだところ見たんだよ」
「…あー、おk皆までいうな弟よ。人生そういうこともある」
「聞いておいて適当かよ。マジで相当気分悪い」
「ごめんって。なんせ姉さん働いてるとこ、そういうの日常茶飯事だし。別に茶化してるわけでもない。ただどう声かけるか迷っちゃっただけ。ごめんね」
言葉はふざけているように聞こえるが、姉さんなりの配慮だろう。そういうことにしておこう。
そういえば確か、
「ていうか、俺それ見たの姉さんの勤務してる病院の近くだったぞ。しかもそこの患者さんだったと思う姉さんこそ何か知ってると思ったけど」
先の会話で思い出した。こいつあそこに勤務してたじゃん。
つまりはしらばっくれてるのか。
こいつ。冗談にしては嫌がらせが過ぎる。
しかし予想していた反応とは違い、姉さんは「は?」という顔を見せた。
「……なぁマイブラザー」
「?どうしたんだよマイシスター」
そういうと姉さんは俺のでこに手を当ててきた。
何してんだこいつ。
「熱なんてないと思うが」
体なんて別段だるいわけではない。まぁ、調子は少し悪いが。
眉をひそめた姉は困惑したまま手を放し、そのままその手を自分のあごに移動させた。
「……あんたそれ本当にあった出来事?ふざけてる?」
「ふざけてたとしても、冗談で人が死んだとかいうつまらないギャグは言わねぇよ」
「うーん、そうだよね。あんたそこらへんは分別ついている人間だと思ってる」
それは光栄だ。
「病気でもないし、冗談でもない…」
「なぁさっきからどうしたんだよ」
挙動不審になった姉を止め問いかけてみた。すると、姉さんは困ったような顔をして口を開く。
「いや、昨日は誰も死んでないはずだけど」
「………えっ?」
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あの後、姉さんに本気で心配されたので、とりあえず逃げるように真っ白なスニーカーを雑に履いて登校。
少し不安に駆られケータイの時間を見た。まぁ、変化なく20日になっている。 もしかしたらと思ったがそんなSFは存在しなかった。
例の現場にも行ってみた。
正直よりたくはなかったが、好奇心、よりも安心を求めて、重い足を引きずっていってみた。
が、何もない。当然のごとくと言わんばかりにそこには日常が流れていた。
クラスの奴らにも聞いてみた、それとなく遠回りに。
けれどみんな返答は同じ、昨日見たはずの現場を誰も知らない。
最寄りの病院だ。接点がなくとも一つの噂話があったとしてもおかしくはないのに、それすらも聞かない。
さすがにここまで来たら思わざる負えない。昨日だと思っていたのは夢なんだって。
ていうか、望んでいたのはそっちだし、今回は自分の想像力がすごいってこと、それで終わろう。
……やっぱり気にはなる。
それが人間というものだ。仕方がない。
色々と夢である確証を得たが、それでも犯人は現場に戻る、ということだろうか。犯人ではないけど。
俺はもう一度学校終わりに病院近くに寄ってみた。
「………」
けど、やっぱり何もない。
警察がいるわけでもないし、ましてや血の跡もない。移るのは切り出した石のタイルだけ。白色をベースのデザインのため、血痕が残っててもおかしくないのに、底なしに白い。
というか、今思えば現実味に欠けるしな。
目の前に偶然人が落ちてきたり。不自然にあそこの周りには人はいなかったし。
多分俺の脳のリソースがここまでしか表現できなかったのだろう。
夢はその人の見たものをかいつまんで見せるもの、ってどっかで見たようなないような。
だって、ほら、確か俺昨日先生に渡された封筒なんて持って…ない………し。
鞄をそう思ってまさぐってみた。自分の知らない教科書ではない紙の感触。
それをつまんで引っ張ってみる。
ガサゴソと雑に引っ張り上げたそれは、見るからに茶封筒だ。
は?なんで?
恐る恐る、名前を見てみる。
櫻木佐紀
どう…いう…ことだ………?
夢の中に出てきたものが、なぜ俺のカバンの中にある?
「どういうことだ?」
思わず。声に出す。
「当然、夢じゃなかったってこと」
後ろから声がした。女の人の知らない声。
想いもしなかった返答に動悸が激しくなった
ゆっくりと俺は後ろも見る。
心臓が痛い。脂汗が止まらない。
俺は今見てはいけないものを見ようとしている、そんな気分になる。
「まさか、本当だったなんて。私が死んだことがなかったことになってるって」
死んだ?誰が?
「どうしたの?キツネにつままれたような顔して。こうしたのは、あなたでしょう」
俺が?何をしたってんだ?
「私たちはあなたの力が必要なの」
振り返った先にいたのは黒髪のストレートロングの女の子少し髪は乱れていて急いできたのがうかがえる。
病院の患者服を身に包み。こちらを力づよい目でこちらを見ていた。
「あなたは、何を見てきたの?」
この人は昨日俺の目の前で、死んだはずの人だ。
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ありえないことが同時に起きた。
一つは、言わずもがな死んだ奴が目の前で元気に話している。
夢だと信じた後に亡霊が出てくるのは反則だと思ったが、どうやら彼女は死んでいないという。
実際、病棟につれられたとき中の人と話していたし、俺にしか見えない存在ということは分かったがにわかには信じがたいことだ。
二つ目に、死んだ事実がなくなっていた。
というのも、前の話も少しかぶるが、目の前の少女が死んだことがなくなっている。
環境が、世界そのものが、死んだという事実を隠蔽するように、出来事が消されていた。
「と、いうことでよろしいでしょうか?櫻木佐紀さん」
「んー、概ねあってる」
大きな個室に、ぽつりと置かれたベットに腰掛ける少女、もとい櫻木佐紀が微妙な顔をしてうなずいた。
「正確に言えば、私は自殺じゃ死なない。だから死んだことがなかったよりも、自殺っていう行為がなくなった。こっちのほうがあってるのかな」
「……ますますわからん。
要は君は、あんな高さから落ちても死なない超人だって言いたいの?」
「いや、あの高さから落ちたら死ぬよ?何言ってんの?」
「その言葉そのまま返すわ」
こいつからかってんのか?
「別におちょくってるわけじゃないのよ。ただ、その、どう説明すればいいのか」
「しっかり説明してくれよ。こちとら、目の前で人さまが死ぬっていう忘れたくても忘れられない体験してるんだよ。納得いくようなことを言ってくれ。
今この状態すら俺は怪しいと思ってんだからな。
いきなり目の前に自殺の当事者が表れて、なおかつなんか俺のせいとか言われるし。
一体どういうことだよ」
恐怖の中に確かに芽生える怒り。正直、この現状をどうにかて説明してほしい。
そういわれて彼女は少しむっとしたが、だが俺の複雑な心中を察してくれたのか、眉にしわを寄せ、あごに手をやる。
「んー、なんていおうか。
とりあえず、整理しよう。
昨日君は私届け物をしようとして病院に来た。そこで私が自殺をしたところを目の当たりにする。」
「おかげで今朝の目覚めは最悪だったよ」
「ごめんって。で、今日起きて昨日の出来事を皆に聞いたら誰も知らない。むしろそんな事実が消えていた。君目線はこういう感じに見えていた。それでいい?」
「まぁ、ざっくり言えば」
「オーケー、じゃあ子からそこに補正を入れていくわ。
まず私は、昨日自殺なんてしていない」
「いきなり、破綻したぞ」
「いいから黙って。私は自殺してない、そう塗り替えられた」
塗り替えられたって。まるで誰かが意図的にそうしたって聞こえる言い方だ。
「何か言いたげね。まぁ、それもおいおい説明するわ。
正直なところ私が自殺するのは不思議ではないわ。
何せ私は自殺しても死なないもの」
「まず、そこを説明しろよ。死ぬとか死なないとか、どっちなんだよ」
「……あーと、そうねそこからよね。
結論から言えば私は不死身じゃない。病気にかかるし、誰かに刺されでもしたらころって逝っちゃう。
でもある条件下だと私は死ななくなる。
それが自殺」
「……はぁ」
「まぁ、それ相応の怪我はするけどね。けどその後遺症で死ぬこともないわ。
で、ここからが本題。なぜ私がピンピンしてるのか。
それは、まごうことなくあなたのせいよ」
「……俺はそんな超能力なんて使えないぞ」
ましてや、そんな能力があったら日常茶飯事使いまくるわ。
「まぁ、意図せずに発動しちゃうんでしょうね。条件は……何かしら。ふつごうなことがあったら?いやそれだと」
なんか、考察中だけど。おそらくこいつ、中二病というやつか。
まじめに考察しているが、多分もうそうなんだろうな。
おそらく俺と似たような夢を見て興奮しちゃったんだろう。自分は特別なんだって信じちゃったのだろう。
こういうのには、触れないのが一番。簡単に話し合わせて帰るか。
あー、緊張して損した。
「おっけおっけ、いやぁお互いすごい力に目覚めちまったな、うん。ま、こういうことは他言せず俺たちの胸にしまっておこう。それじゃ」
俺渾身の笑顔と考えていた言い訳をまくしたて、席から立った。
そういわれた彼女は最初のほうこそぽかんとしていたが、言葉が租借できたのか、怒気をはらむ目線をこちらに向けてくる。
「……そんなに疑わしいんなら試してみる?」
「試してみるって何ーーーーー」
と言ってる間に彼女はどこから取り出したのか、大きな包丁を取り出し自分の心臓に突き立てた。
その姿はまるで狂気だ。
「!!!!!!ばっ、お前!なに、やってん……だ」
顔がみるみる色をなくし、手元には赤い血がぼとぼとと落ちる。
けれどそこである異変に気付く。
なんと目の前の少女は状況でも話は止めない。
「これが私の……超常現象。自殺じゃ絶対死ねない」
そういうと、包丁を胸から抜き取る。
「私たちは一度どこかで冒険し帰ってきた。心に大きなトラウマを抱えてこっちの世界に逃げ帰ってきた」
さっきまで、流れが止まること知らなかった血がいきなり止める。
「その中で、そのトラウマを隠すためだけに一部の能力に目覚める。
それが当人の心を守る手段だから」
散らばった血が先に集まっていく。
「この超常現象を、私たちは
逃避病
そう呼んでいる」
説明が終わった時、部屋は元の真っ白な部屋になっている。
そこに赤色は一切見えなかった