(三十九)蕑を秉る
やがて岩から降りて近くの草地に腰を下ろすと、渓流を挟んだ向かい側に、丈の高い草が群生しているのが目に入った。
人間の子どもの背丈を覆うくらいはある。
水辺でしばしば見かける蘭であった。
「このあたりは、蘭が多いのですね」
「あれが野生の蘭か。香りは漂ってこないが」
「生えているうちは香りがないのです。
摘み取って乾かすと、次第にかぐわしくなります。
乾かしすぎてもいけないので、加減が難しいのですが」
「よく知っているな」
生まれてこのかた、農家の仕事を見知ってはいるが身を以て土にまみれたことがない曹植は、労働体験にもとづく妻のことばに素直に感心した。
「しかし、蘭か。あとは勺薬がそろえば完璧だな」
「完璧とは」
と崔氏は訊き返しかけたが、思い当たるところがあって目元を朱色に染めた。
「そういうご冗談はおやめください。猥褻です」
「何が猥褻なのだ」
曹植は面食らったような顔を向けたが、一瞬後に「ああ」と思い至ったようにうなずき、そして大笑いした。
「毛詩は、というか、鄭康成(鄭玄)の解釈はそうだな」
そして哄笑は爆笑となり、身体を大きくのけぞらせるあまり、とうとう草地に寝転んで仰向けになった。
冠をつけていないのは幸いであった。
「何がそんなにおかしいのです」
目元を染めたまま、崔氏は憤るように言った。
曹植が完璧と称したのは、『詩経』鄭風の「溱洧」になぞらえてのことだというのは彼女にも分かっている。
この詩のなかでは、春秋時代の鄭の郊外、洧水のほとりで蘭をたずさえた男女が出会い、語らい合って親密な仲となり―――夫婦のごとく一線を越えた仲となり、別れ際には勺薬を贈りあって思いを確かめあうのである。
少なくとも、崔氏が叔父崔琰から教えられた毛詩学派およびその注釈者である鄭玄はそのように論じている。
「何もかもではないか。―――“因りて相い与に戯れ謔れ、夫婦の事を行う”」
この詩の毛序に対する鄭玄の注釈を暗誦しながら、曹植は最後まで言い切ることができず、また笑いの発作に打たれた。
もはや声もあげられず、呼吸困難に陥らんばかりの様相である。
手元に硯でもあったらその口に突っ込んでしまいたいと崔氏は思ったが、あいにくここには硯がない。
しばらくして曹植はようやく笑いを収めかけた。
それでもまだ、口元に余韻が残っている。
「しみじみ愉快だな。
鄭学の門下生はみな、かの大学者の面前でこれを恭しく拝聴して復唱し、神妙な顔で書き写していたのかと思うと」
「何もおかしくございません。鄭師父の解釈は、筋が通っておられると思います。
―――唯一絶対に正しいわけではないかもしれませんが」
曹植が馴染んでいるほうの『詩経』の学派、すなわち韓詩学派によるこの詩の解釈は毛詩や鄭箋(鄭玄の毛詩注釈)とは相当に異なることを、崔氏も知識として知ってはいた。
というより、曹植の爆笑ぶりを苦々しい思いで見ているうちに、韓詩の解釈を思い出したのだった。
「そうだとも。韓詩のなんと健全であることか」
「毛詩が不健全なわけではございません。
あくまで批判の対象として、鄭や衛の、その、つまり、淫風をとりあげているのです。
全く肯定しておりません」
「淫風」
曹植はまた笑いがこみあげてきたような顔で言った。
「そなたの口からそれを聞く日が来ようとは。
大体、季珪どのから―――そなたの叔父上から毛詩を習うときはどうしていたのだ。
むろん鄭康成の解釈に準拠したのであろうが、それだとしばしば、やりづらくはないか」
「―――省略がございました」
「省略?」
「幼いころに叔父から手ほどきを受けた当初は気づかなかったのですが、大きくなってから自分で毛詩を頭から読み直してみると、それまで教わったことのない序や伝や箋につきあたりました」
「つまり季珪どのは、幼な子には不適切だと思った部分を除外して教えていたわけか。
“夫婦の事を行う”も」
曹植はふたたびこらえきれなくなったように笑い出した。
崔氏はまた憤った。
「そういう配慮は必要です。
子どもが―――とりわけ女児が、男女の私通に早くから興味を持ったら大変なことになってしまいます」
「それはそうだ。季珪どのはたしかに淑女を育てあげた」
曹植はようやく身を起こし、妻の顔を改めて見た。
きちんと目を合わせてきた。
「韓詩の「溱洧」は淑女にこそふさわしい」
「ふさわしいのは、三月上巳の日に、ということですね」
崔氏は先ほどとは違う理由で顔を赤らめ、目をそらした。
『詩経』の諸学派のなかで、韓詩だけが唯一、「溱洧」の情景を三月上巳の習俗と結び付けて解釈する立場である。
「そのとおりだ。
身を潔白に保つ士と淑女とが、蘭を手にして水辺で出会い、“邪悪を祓除”する」
そう言って曹植は立ち上がり、渓流のほうに近づいていったかと思うと、またすぐに戻ってきた。
みれば、川向こうの蘭の葉を、何本かの葉柄ごと摘み取ってきたらしい。
そしてひと房を崔氏に渡し、もうひと房を自らの手に持った。
「とはいえ、淑女はふつう、自分から男に声をかけないからな。
士のほうから言うこととしよう」
「え?」
「“観んか(見に行かないか)”」
芝居がかった朗詠の口調で言われ、崔氏は一瞬当惑したが、夫が意図するところは分かった。
一応、合わせてあげようかと思う。
「“既にせり(すでに見ました)”」
「“且つは往きて観んか(ともあれ行って見てこよう)”」
曹植は立ったまま、蘭を持っていないほうの手を妻に差し出した。
つづけて詠う。
「“洧の外 恂盱にして且つ楽し(洧水の向こう側はさぞかし楽しいことだろう)”」
「―――“恂盱(楽しむようす)”ではなく“洵訏(実に広々としている)”のほうが、当時の情景にそぐうのではありませんか」
「そこまで毛詩にこだわらずともよかろう。
―――まあ、鄭箋に即してもいいなら、俺はかまわないが」
かまわないとは、と崔氏は尋ねかけたが、すぐに先ほどよりも顔が火照った。
毛詩の本箇所に対する鄭玄の解釈に準じるならば、いまの語らいは野辺で男女が情を交わす前触れということになる。
崔氏は差し出された手をぱしりと叩いたが曹植は気にせず、彼女の手首をつかんで立ちあがらせた。
「だが、せっかく今日は三月上巳なのだ。韓詩の流儀で行こうではないか」
そうして妻の手をとってふたたび渓流沿いの岩の上に至った。
彼が両膝をついて水面を覗き込むので、崔氏もそれに倣った。
「浸しても、大丈夫か」
「―――はい」
禊のことを言っているのだと思い、崔氏はうなずいた。
果たして、曹植はつないだほうの手をそのまま水中に浸し入れた。
陽光が水面に達して久しいせいか、先ほどよりは温んでいる気もするが、冷たく清澄な水であることに変わりはない。
思っていたよりも長い間曹植がそうしているので、崔氏は水面から視線を外して彼の横顔を見た。
いつのまにか彼は目をつむり、何かを祈るかのようにみえた。
(―――ああ)
崔氏の胸中に伝わるものがあった。
ふたたび水面に顔を向け、彼女も目をつむった。
韓詩の代表的な注釈のひとつに、薛漢という学者による章句がある。
彼によれば「溱洧」の主題は三月上巳に鄭の人々が溱水と洧水の一帯で不祥を払うことだが、それは同時に、招魂の儀式でもあったという。
『礼記』などの経書とその注釈では、招魂の儀式は喪礼の一部として位置づけられ、生者が北方つまり幽冥の世界に向かって呼びかけるものとされている。
喪礼としてではなく三月上巳の行事として招魂をおこなうのは、後漢のいまでは一般的ではない。その作法も明らかではない。
だが、届いてほしい、と崔氏は思った。
生きていてほしかった。代われるものならば代わりたかった。
この思いが届くならば、他の祈りはすべて諦められると思った。